• 光秀の主君・織田信長ゆかりの岐阜市をめぐる

光秀の主君・織田信長ゆかりの岐阜市をめぐる

明智光秀のふるさと・岐阜県の戦国武将特集【第3弾】
明智光秀や羽柴(豊臣)秀吉の主君であった織田信長は、今川義元や斎藤龍興に勝利するなどの活躍で尾張・美濃の2カ国を平定するほどの大名に成長し、岐阜城に入城しました。岐阜城は信長の天下統一への足がかりとなった名城で、「日本100名城」にも選ばれています。
斎藤道三・織田信長の居城
金華山(きんかざん)山頂に位置し、岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした。
戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でもありました。その後、織田信長がこの城を攻略、城主となり、地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。
現在の城は、昭和31年に復興され、鉄筋コンクリート造り3層4階構造で、岐阜市のシンボルとなっています。
城内は史料展示室、楼上は展望台として多くの人に親しまれています。
また、金華山一帯には道三や信長の時代に築かれたとされる石垣が見られます。
PICK UP!

信長公居館跡

岐阜城の歴代城主の館

信長公居館跡

岐阜城の歴代城主の館は、金華山の西麓にある千畳敷下・槻谷(けやきだに)にあります。斎藤道三に始まる斎藤氏三代の頃に造られ、織田信長が大規模に造成・改修をしました。信長時代の館は発掘調査から、巨石を立て並べた入口や金箔瓦を使用した建物、巨大な岩盤を背景にした庭園などがあったことが分かりました。

岐阜の歴史がまる分かり。『大河ドラマ館』も設置!
岐阜公園内にある、原始時代から現代までの岐阜の歴史を紹介する博物館。特に戦国時代を生きた織田信長の生涯を体感できる「天下鳥瞰絵巻」や信長の時代の楽市場の様子を一部原寸大で復元した「楽市立体絵巻」が展示されています。
楽市場内の反物屋では戦国時代の衣装や鎧などを試着できる体験をはじめ、「縄文土器の文様をつける」「昔の独楽で遊ぶ」など各種の体験コーナーで、楽しみながら歴史が学べます。また、各コーナーでは歴博ボランティアが体験補助や解説をしてくれます。
また、来年の大河ドラマ『麒麟がくる』に関わって、館内に『大河ドラマ館』が設置されます。
PICK UP!

麒麟がくる 岐阜 大河ドラマ館

岐阜市歴史博物館2Fの総合展示室に開設!

麒麟がくる 岐阜 大河ドラマ館

大河ドラマの主人公である明智光秀のみならず、光秀が仕えた斎藤道三、織田信長にもスポットを当て、体験シアター、大河ドラマに登場する衣装や小道具など、大河ドラマに関する展示に加え、歴史博物館の所蔵品を活用した戦国時代の歴史展示などを行います。

織田信長や孫の秀信ゆかりの寺
上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。
天文16年(1547年)、織田信秀(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三に大敗し5,000人ともいわれる戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築かれました。現在も円徳寺境内に安置されています。
また、永禄10年(1567年)岐阜に入った織田信長が、円徳寺(当時は浄泉坊)門前に立てた「楽市場・定」の制札や、永禄7年(1564年)に信長が寄進したといわれる梵鐘などが寺宝として残されています。
織田信長ゆかりの寺院
織田信長が斎藤道三の孫の斎藤龍興を亡ぼし1567年美濃に移ると、ここ崇福寺を菩提所とし、保護しました。その後、本能寺の変で信長と息子の信忠が明智光秀に討たれると信長の側室お鍋の方がその遺品を送り寺内に埋め位牌を安置させた「織田信長父子廟」があります。
堂内には貴重な資料が展示されているほか、きれいに手入れされた庭では、秋にはドウダンツツジの紅葉が見られます。
毎年10月第一土曜日のぎふ信長まつりの日に「織田信長公追悼式」が営まれ、まつりの2日間は無料開放されます。
信長が戦国最後の将軍となった足利義昭を迎えた寺
東海地方の中世浄土宗の一大中心地として栄えた寺。明智光秀と細川藤孝の仲介により、織田信長が戦国最後の将軍となった足利義昭をこの寺に迎えました。
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