2017年11月24日
スポット 西濃エリア

ブロガーの紹介

関ケ原町 柴田 真奈

関ケ原町Gメンの柴田です。関ケ原の良いところたくさん知ってもらえると嬉しいです!

東洋最大の火薬庫

東洋最大の火薬庫

「関ケ原町」と聞くと多くの人が思い浮かべるのが、天下分け目の関ケ原合戦についてだと思います。
ですが、関ケ原合戦関連以外にも関ケ原町には多くの史跡や遺産が残っています。
今回はその一つである「玉の火薬庫」についてご紹介いたします。

関ケ原町は「関ケ原合戦」だけじゃないんです!


はじめまして。関ケ原町Gメンの柴田です。

岐阜県の西部、滋賀県との県境にある関ケ原町は、多くの方がご存じの「関ケ原合戦」のまちです。
日本史の教科書にはまず欠かせない、戦国時代最大級の戦の一つである関ケ原合戦。
そんな合戦の史跡が多く残る関ケ原町ですが、実は関ケ原合戦以外にも史跡や遺跡が残るまちなんです。

その一つが今回ご紹介する「玉の火薬庫」です。
第二次世界大戦時に使用された火薬庫で、
正式名称は「名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠(なごやりくぐんへいきほきゅうしょうせきがはらぶんしょう)」といい、
明治末期から大正初期にかけて建造されました。
関ケ原町の旧玉村地区にあったことから、「玉の火薬庫」と呼ばれてきたそうです。

周囲は約6km、総面積は約270haにも及び、東洋最大の火薬庫の規模を誇りました。
( 270haと言われてもあまりピンと来なかったので、よくある東京ドーム換算をしてみると約58個分!
  なのですが、東京ドームに馴染みがないので、やっぱりピンと来ませんでした・・・ )

これほど広大な敷地に造られた火薬庫でしたが、土で覆い植栽し山林のように偽装することで、一度の爆撃も受けることなく終戦の日を迎えました。
進駐軍は終戦後にこの火薬庫を見つけ、あまりの規模の大きさに驚いたそうです。

現在は、火薬庫の一部が公開されており、内部を実際に見ることができます。
温度や湿度の変化から火薬を守るために、魔法瓶のような二重構造になっているので、夏は涼しく冬は暖かい鍾乳洞のような体験が出来ます。

また、火薬庫への道中には、古い石で造られた衛門が、
入り口付近には不審者の侵入を防ぐために軍人が監視していた立哨台が残っています。


関ケ原合戦だけではない“関ケ原の戦い”の跡。
ぜひ足を運んでみてください。




◎アクセス
 「名神高速道路関ケ原IC」より車で約10分
 (「関ケ原鍾乳洞」を目指してお越し下さい)

◎問い合わせ先
 関ケ原観光協会     0584-43-1600
 関ケ原町地域振興課    0584-43-1112


※関ケ原鍾乳洞が休館日の場合は見学が出来ませんのでご注意下さい。