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Battle4 慶長5年9月7日~14日 「垂井」抜きに語れない!

【関が原の合戦】 決戦!南宮山一帯の動向5

岐阜県のこの辺りをめぐります
慶長5年(1600年)9月7日、岐阜県垂井町の南宮山一帯に西軍の毛利秀元、長宗我部盛親らが布陣し、赤坂の東軍を牽制しました。



9月15日、決戦当日も東軍の池田輝政らと対峙しましたが、吉川広重の内応もあって最後まで動けず、戦わず退去してしまいます。



垂井(町)の2人の武将は、東西に分かれて関ケ原の合戦に参加しています。



一人は、岩手城主「竹中重門」、東軍・黒田長政とともに参加します。



もう一人は、垂井城主「平塚為広」、西軍・大谷吉継とともに参加、吉継に代わり大谷隊を指揮します。


JR垂井駅北口から~ 徒歩で約6分・車で約2分(約0.6km)~
1

垂井城跡

たるいじょうあと “義”を貫き、“勇”を持って戦った武将「平塚為広」の居城
垂井城は、西軍 平塚為広の居城。 平塚為広は、大谷吉継とともに挙兵を思いとどまるよう石田三成に対し諫言したものの聞き入れられず、 関ケ原の合戦では西軍に属し、大谷吉継に代わり大谷隊を指揮して奮戦しました。 專精寺に石碑がありますが、推定地であり城跡は確認されていません。
住所 岐阜県不破郡垂井町1349
電話番号 0584-22-1802
垂井城跡
垂井城跡から徒歩で約14分・車で約6分(約1.2km)
2

南宮大社

なんぐうたいしゃ 鉄の神様
美濃の国の一の宮である南宮大社は、金山彦命を主祭神とする全国の鉱山・金属業の総本宮です。 関ケ原合戦では社殿を焼失、その後、春日局の働きかけで、寛永19(1642)年、徳川3代将軍家光により現在の社殿が再建されました。 和様と唐様を折衷した独特の「南宮造」と呼ばれる建築様式で、建造物18棟が国重要文化財に指定されています。 南宮大社所蔵「 刀 銘三条 」 三条宗近の作品で現存する刀は、日本に五振りしかないという貴重な刀剣です。 国指定重要文化財に指定されており、宝物殿は毎年文化の日(11月3日)にのみ一般公開されております。
住所 〒503-2124 岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
電話番号 0584-22-1225
アクセス 名阪近鉄バス大垣宮代線・JR大垣駅~南宮大社(季節運行1月1日~3日間:1日5便)
HP 公式サイト
南宮大社
南宮大社から徒歩で約0分(約0.3km) ・(車✕)
3

安国寺恵瓊陣跡

あんこくじえけいじんあと 南宮大社の連続鳥居を抜け陣跡へ
毛利家の外交僧として活躍した安国寺恵瓊でしたが、兵役1800は吉川広家の内応で動けないまま退去し、京で捕らえられて斬首されました。 南宮山の麓にある西蛇溜池の東側に案内板が立っています。
住所 岐阜県不破郡垂井町宮代
安国寺恵瓊陣跡
~登山口~徒歩60分(約1.9km/標高404m)~南宮山山頂~ ・(車✕)
4

毛利秀元陣跡

もうりひでもとじんあと 西軍の総大将「毛利輝元」の名代として
約15000の大軍を率いて南宮山に布陣した毛利秀元は、戦意はありながらも吉川広家の内応で動けずじまいでした。 山頂一帯に見事な陣城遺構が残っています。
住所 岐阜県不破郡垂井町
毛利秀元陣跡
~徒歩約60分(約1.9km/標高404m)・(車✕)~
~南宮大社から徒歩約13分・車で約2分(約1.0km)~
5

吉川広家陣跡

きっかわひろいえじんあと 「毛利の両川」吉川元春の三男
毛利の重鎮・吉川広家は、兵約4200で南宮山北麓に布陣。 黒田長政を通じて徳川家康と内通し、関ケ原の合戦の間、毛利秀元の参戦を最後まで阻止しました。 現在、勤労青少年ホーム駐車場に案内板が建っています。
住所 岐阜県不破郡垂井町宮代
備考 駐車場は朝倉山真禅院Pを利用し、約200m、徒歩2分
吉川広家陣跡
紅葉の名所:朝倉山真禅院(参拝)
~徒歩約16分・車で約3分(約1.4km)~
6

池田輝政陣跡・春王安王墓

いけだてるまさじんあと・はるおうやすおうのはか 織田信長の重臣・池田恒興の次男
岐阜城攻略で二の丸一番乗りを果たした池田輝政は、関ケ原の合戦では南宮山の西軍に備えて布陣しました。 陣跡の石碑は、室町時代の史跡である春王・安王の墓と同じ敷地内に立っています。
住所 岐阜県不破郡垂井町宮代
池田輝政陣跡・春王安王墓
~徒歩約14分・車で約2分(約1.1km)~
7

浅野幸長陣跡

あさのよしながじんあと 岐阜城を攻略し、垂井一里塚へ布陣!
岐阜城攻略の緒戦で瑞龍寺山砦を落とした浅野幸長は、関ケ原の合戦では南宮山の西軍に備えて布陣しました。 江戸時代の中山道一里塚の上に石碑が建っています。
住所 岐阜県不破郡垂井町
浅野幸長陣跡
~徒歩約35分・車で約5分(2.9km)~
8

竹中氏陣屋跡 (岩手城跡)

たけなかしじんやあと(いわてじょうあと) 垂井町ゆかりの武将 豊臣秀吉の名軍師・竹中半兵衛の居城跡
豊臣秀吉の軍師・竹中半兵衛の嫡男・重門が築いた城跡で、現在も正門や石垣が残っています。 岩手の西にある菩提山は半兵衛時代の居城跡ですが、複雑な虎口や巨大な堀切り、堅掘群など、大規模で高度な縄張りをもつことから、 関ケ原の合戦に備えて改築されたのではないかと考えられています。
住所 〒503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手619-2
料金 無料
アクセス ・JR東海道本線 垂井駅から車で約8分(3.8km)
・名神高速道路 関ケ原ICから車で約10分(約5.5km)
HP 公式サイト
備考 大型バス駐車場:あり
竹中氏陣屋跡 (岩手城跡)
~徒歩約1時間17分・車で約15分(約6.4km)~
※途中、五明稲荷神社(黒田長政お手植えの銀杏の木)参拝可
9

長束正家陣跡

なつかまさいえじんあと 伊勢方面から美濃へ転戦するが参戦できず
豊臣五奉行の一人・長束正家は、兵約1500で南宮山東麓に布陣。 毛利秀元に総攻撃を呼びかけるも吉川広家の内応で動けず、退去した後に居城の水口城を攻められて自刃しました。 陣跡には、案内板が立っています。
住所 岐阜県不破郡垂井町宮代
長束正家陣跡
~徒歩約21分・車で約4分(約1.9km)~
10

長宗我部盛親陣跡

ちょうそかべもりちかじんあと 南宮山に陣を敷いたが動かず、仕掛けられず。
長宗我部盛親は、兵約6600で栗原山に布陣しましたが、戦わずして退去。 金屋川原(名神高速道路 養老SA近く)で東軍の徳永寿昌・市橋長勝に遭遇し大損害を被りました。 陣跡には、案内板が立っています。。
住所 岐阜県不破郡垂井町栗原
長宗我部盛親陣跡
~JR垂井駅南口まで 徒歩約54分・車で約10分(約4.5km)/  ~養老スマート養老ICまで 車で約3分(約2.1km)