城物語
それは豪華絢爛な城か、それとも難攻不落の要塞か。ここでは、城の豪華絢爛な側面だけではなく、難攻不落の要塞として散りばめられた数々の工夫に注目します。
岐阜城(稲葉山城)
難攻不落メモ
天然の要塞
全国有数の標高に位置する岐阜城。まさに「美濃を制するものは天下を制す」を体現していたと言えよう。その鉄壁の秘密は、地形と眺めにある。崖の上にあるため守りやすく、さらに敵の動きを見て先手を打てたのである。絶好のロケーションに優れた軍略と豊富な兵力が合わさって難攻不落の城ができ上がったのだろう。
大垣城
難攻不落メモ
鉄壁の七口之門
かつての広大な大垣城には「七口之門」と呼ばれる7つの堅固な城門があった。現在の東門は七口之門のひとつ「柳口門」を移築したもので、市内各所でも「七口之門」の跡を見ることができる。すべての門跡を歩いて訪れてみると、かつての大垣城の大きさが実感できるだろう。
郡上八幡城
難攻不落メモ
里の小町およしの人柱伝説
山頂に位置する城は鉄壁の強さを誇る分、築城に困難を極める。郡上八幡城も例に漏れず、石垣の崩壊に悩まされていた。そこで里の少女およしが、人柱として生き埋めにされることに。伝承によれば、城の石垣に向かって「およし、およし」と言って手を叩くと、彼女の泣き声が聞こえるとか…。
苗木城跡
難攻不落メモ
大矢倉跡
城内には、攻め入る敵を迎え撃つための大矢倉と呼ばれる建物の跡がある。外観は2階に見えるが、実は3階建て。2・3階には鉄砲狭間が設けられている。一説によると、城内最大の矢倉にも関わらず完成が寛永年間と遅かったため、幕府を憚って鳩を飼うための「御鳩小屋」だと称したという。
江馬氏下館跡/高原諏訪城跡
難攻不落?メモ
由緒正しき中世の武家屋敷
難攻不落…ではないが、江馬氏下館には室町時代の庭園とそれを眺める建物(会所)があり、当時の武士の暮らしを垣間見ることができる。他にも格式の高い四脚門や、屋敷を囲む土塀、当時の威光を示す逆三角形型の薬研堀など、様々な遺構が再現されている。
岩村城跡
難攻不落メモ
霊泉「霧ヶ井」の伝説
総延長1.7kmの石垣もさることながら、城主専用の霊泉「霧ヶ井」も見どころのひとつ。というのもある伝説が残っているからである。敵軍に攻め込まれた際に、この井戸に城内秘蔵の大蛇の骨を投じると、たちまち雲霧が城を覆い尽くし、敵軍から城を守ったという。この伝説により、岩村城は「霧ヶ城」とも呼ばれている。
美濃金山城跡
松尾山城跡
大桑城跡
難攻不落メモ
多彩かつ大規模な防御施設
古城山の山頂一帯には、大小90余りの曲輪(山の斜面に造られた平坦地)があり、敵が簡単に侵入できないように堀切や竪堀が設けられている。一部には石垣も残るほか、山麓の城下町の入り口にも、四国掘・越前堀・外堀という大規模な堀と土塁からなる防御設備が築かれていることから、大桑城はかなり堅固な城塞だったと考えられる。
松倉城跡
明知城跡(別名:白鷹城)
難攻不落メモ
畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)
畝状竪堀群は、斜面と垂直に設けた複数の竪堀を組み合わせた堀である。斜面から侵入してくる敵兵の動きを封じるために築かれた。畝状竪堀群を持つ城郭は、この地域では限られている。