西首塚
戦死者への対応を大切にした竹中重門
関ケ原一帯を領していた竹中重門は、関ケ原の合戦翌日、戦いによって壊れた神社や戦死者の処理を家康に命じられ、東西2カ所に首塚を造営しました。
寛政5(1793)年に西首塚の敷地内に建立された観音堂には、馬頭観音や千手観音が安置されています。
基本情報
- 住所
- 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原2236
- アクセス
- JR関ケ原駅からR21を西へ700m
- ウェブサイト
戦死者への対応を大切にした竹中重門
関ケ原一帯を領していた竹中重門は、関ケ原の合戦翌日、戦いによって壊れた神社や戦死者の処理を家康に命じられ、東西2カ所に首塚を造営しました。
寛政5(1793)年に西首塚の敷地内に建立された観音堂には、馬頭観音や千手観音が安置されています。