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三成への友情を貫いた吉継、あえなく自害。

石田三成の盟友だった大谷吉継は、病身を押して関ケ原の合戦に参戦し、三成への『義』を貫きます。

当初から疑っていた小早川隊の裏切りにも動じず応戦しますが、

配下の脇坂隊ら4隊までが攻撃をしかけてくると軍は混乱、吉継は自害してしまいました。


尚、垂井町ゆかりの「垂井城主・平塚為広」は、大谷吉継隊の前方に布陣し、

病身の吉継に代わって大谷隊・平塚隊両軍の指揮していたとされています。


<辞世の句>
平塚為広 
「名のために 捨つる命は惜しからじ 終に留まらぬ浮世と思へば」
(名誉の為に殉じられるなら、自分の命など惜しまない。限られた人生なのだから)

これに対し、大谷吉継は、
「契りあらば 六つの巷に待て暫し おくれ先立つ事はありとも」 
と返歌しました。
(共に死ぬ約束があるのだから六道の分かれ道でしばらく待っていて欲しい。遅れて、あるいは先に死ぬことはあっても)




<岐阜関ケ原古戦場記念館 関ケ原メモリアル>
基本情報
住所 岐阜県不破郡関ケ原町藤下678-2
アクセス 平塚為広碑より山中へ徒歩15分、大谷陣跡より徒歩5分
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