• 202112
  • 20221
  • 20222
  • 20223
  • 20224
  • 20225
  • 20226
  • 20227
  • 20228
  • 20229
  • 202210
  • 202211
  
関ケ原の合戦 前哨戦


慶長5年(1600年)、池田輝政を中心とした東軍1万8千に対し、西軍3千のみの布陣。

河田木曽川渡河の戦いの後、東軍は木曽川を渡り米野に上陸し西軍と激突しました。

戦いは、東軍大勝利に終わりました。

これを米野の戦いといいます。

池田勢の一番槍の手柄を立てた大塚権太夫は、岐阜勢の武将を討ち取りましたが、飯沼勘平長資に一騎打ちを挑まれ討ち取られました。

討ち取った飯沼も、池田勢の武将に討たれました。

この後、戦場は更に西へと向かい関ケ原の戦いへと進みます。



尚、この戦いで戦死した飯沼勘平長資(大垣 池尻城主の子)の墓が、米野の戦い跡の碑より北東約500mの場所にあります。(岐阜県羽島郡岐南町平島1丁目)
基本情報
住所 岐阜県羽島郡笠松町米野
HP 公式サイト
マップで見る
人気サイトの宿泊プランを一括比較

オンラインで空室確認+予約