
岩村歴史資料館
享保3年岩村城絵図のほか、岩村城や岩村藩の関連史料を展示しています。
霧に包まれる日も多く、別名「霧ケ城」と呼ばれ、日本三大山城の一つに数えられる名城。戦国時代には武田二十四将の秋山虎繁(信友)に攻められ、時の女城主おつやは城下の民を守るため、虎繁との婚姻を条件に開城した歴史があり、今も女城主をしのび、家々に女性の名前を記した“のれん”を掛け、「女城主の里 いわむら」として語り継いでいます。
享保3年岩村城絵図のほか、岩村城や岩村藩の関連史料を展示しています。
門と櫓は、「岩村城絵図」をもとにして平成2年に復元されました。横には移築された知新館の正門があります。
城の特徴である六段の壁。もとは段差のない高石垣でしたが、崩落を防ぐために各段に犬走りが設けられています。
本丸は江戸諸藩の府城の中でも最も高い標高717mに築かれていました。表門・裏門とも埋門で厳重な備え。天守はなく、二重の本丸櫓と納戸櫓、東西両側に多聞櫓、奥の一番高いところに本丸櫓がありました。
約260年前に染物業を営んでいた商家で、平成11年4月に「工芸の館 土佐屋」として観光できるようになりました。
江戸時代の商家で、屋号は「松屋」といいます。木造2階建てで書院・茶室・使用人部屋など、当時のままです。
明知鉄道「岩村駅」から登城口(歴史資料館)まで徒歩約20分
登城口から本丸まで徒歩約25分
中央自動車道「恵那IC」から車で約25分
(出丸広場まで行けます。大型車除く)
苗木城は別名高森城・赤壁城・霞ケ城とも呼ばれ、江戸時代は苗木遠山家12代の居城として明治維新まで使われた山城です。巨岩の上に建てられた天守や懸造による建築など、全国的にも珍しいものでした。天守からは日本百名山の恵那山や木曽川周辺、中津川市街地を一望でき、絶景スポットとして人気です。
中世・戦国時代から明治時代初期までの文化遺産を保存・公開。苗木領と苗木城の貴重な資料を展示しています。
外観からは二層に見えますが、実際は三階建てだったと言われています。別名「御鳩部屋」とも呼ばれていました。
天守は巨岩の上に懸造によって建てられ、三層となっていたようです。地階には玉薬が置かれていました。
JR中央本線「中津川駅」から北恵那交通バス「苗木バス停」下車後徒歩約30分
中央自動車道「中津川IC」から車で約15分
標高276mの古城山に築城され、天守、本丸、二の丸、三の丸、各曲輪が配されていました。織田信長が美濃国を領地にした際、家臣の森可成が城主となりますが、宇佐山城の戦いで討死。森家次男の長可が城主となりました。城下町との標高差は約170mあります。
北・西・南の三方向に石垣が築かれ、岩盤を加工した虎口も造られています。
上に本丸が見える曲輪。破城の際に捨てられた礎石、井戸などが見つかっています
※写真は発掘時の様子です。現状とは異なります。
山麓の米蔵跡と伝わる場所に壮大な石垣があります。美濃金山城を訪れる者に接応する御殿があったと考えられます。
市内山城巡りの拠点施設及び観光案内所として、平成30年4月にリニューアルオープンしました。
美濃金山城跡をはじめとする市内の山城を紹介するとともに、兼山のまちに伝わる資料を展示する施設として、平成30年6月30日にリニューアルオープンしました。
JR太多線「可児駅」から車で約15分
東海環状自動車道「可児御嵩IC」から車で約10分