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- 曽根城跡
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- 西濃
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じます。その後、東軍が赤坂に進出すると、松平康長・水野勝成らが入城し、大垣城…
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- 中山道 琵琶峠
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- 東濃
- 琵琶峠は美濃の中山道十六宿の中で最も高い峠(標高557m)です。全長約730mに渡って石畳が敷かれており、日本一の長さと言われています。石仏や一里塚も当時のまま残っていることは大変貴重で、昔ながらの中山道を体感できます。緑の木々と石畳の美しさから中山道の…
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- 美濃歌舞伎博物館「相生座」
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- 東濃
- 相生座は、旧恵那郡明智町にあった常盤座と、旧益田郡下呂町にあった相生座の舞台や客席などを組み合わせ、昭和51(1976)年に日吉町に移築再現。両花道・回り舞台等を備え、客席は平土間で左右と後方の二階に桟敷が設けられた本格的な舞台機構を完備した芝居小屋です。…
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- 中山道 大湫宿
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- 東濃
- 大湫宿は江戸から47番目の宿として、海抜510メートルの高地に設けられ、江戸へ90里半、京都へ43里半、東隣りの大井宿へ3里半、西隣の細久手宿へ1里半、美濃16宿の中で最高所に位置し、それだけ急坂が続いており、旅人も人馬役からも難所とされていました。宿内の町並…
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- 御嶽宿本陣
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- 岐阜・中濃
- 宿場のやや西寄りに位置する「御嶽宿本陣」は、江戸時代の大名や公家などが宿泊・休憩する施設として利用されてきました。慶長7年(1602)に徳川家康は街道整備の一環として、中山道の整備に着手しますが、その際、いち早く宿場として設けたのが「御嶽宿」と言われて…
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- 山口城跡
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- 岐阜・中濃
- 標高345mの権現山の山頂に平場が築かれています。これが山口城跡です。江戸時代初期の『美濃国諸旧記』によると鎌倉時代初期に梶原景時が城主であったと記されています。ここは谷汲街道と越前街道が交差し、根尾川が濃尾平野に注ぎ込む交通、軍事、治水の要所とな…
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- 石田三成陣跡 笹尾山
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- 西濃
- 関ケ原の地を一望でき、北国街道も押さえられる山頂に布陣。麓に陣を置いた島左近らの隊が善戦しますが、次第に押し込まれ、小早川秀秋の東軍への寝返りを機に、西軍は次々に敗走。三成も伊吹山方面へ逃れました。
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- 小早川秀秋陣跡 松尾山城跡
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- 西濃
- 関ケ原の合戦に1万5千もの大軍を松尾山に待機させていた小早川秀秋は、当時弱冠19歳。徳川家康から催促の鉄砲(問鉄砲)を撃ち込まれ、ついに西軍を裏切り、大谷隊を撃破。寝返りにより、東軍を勝利に導きました。現在も山頂からは、古戦場を眼下に眺めることがで…
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- 大垣市郷土館
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- 西濃
- 大垣の歴史的風土を五感で感じてみませんか?大垣市郷土館は、江戸時代の大垣藩主戸田入城350周年を記念して建設されました。歴代藩主の顕彰を中心に、大垣の歴史的風土を築き上げてきた美術品等を多数展示しています。盆栽と石畳からなる日本庭園は、四季折々のすが…
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- 猿啄城
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- 岐阜・中濃
- 永禄8年(1565年)、織田信長の美濃攻めにより攻略され、川尻鎮吉(かわじりしげよし)が城主となりました。 その折に、地名を猿啄(さるばみ)から勝山に改めたといわれています。山頂までは徒歩30~40分ほど。 自然の中の散策が楽しめます。
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- 鮎鮨街道・笠松問屋跡
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- 岐阜・中濃
- 長良川の鵜飼でとった鮎を使用した鮎鮨(あゆずし)を将軍徳川家康に献上する為に通った道。岐阜城の麓にある御鮨所を出発し、加納宿を経た荷物は、笠松の問屋「高嶋家」で引き継がれ、一宮問屋へ送られた。
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- 道三塚
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- 岐阜・中濃
- 斎藤道三公は、長男斎藤義龍公との「長良川の戦い」で討死にし、その遺体が道三塚に葬られました。斎藤家の菩提寺であった常在寺の日椿上人が、現在の地に移し、供養碑を建てたといわれています。麒麟がくる、明智光
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- 常在寺
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- 岐阜・中濃
- 斎藤道三公とその父・長井新左衛門尉公が二代にわたり美濃国を制する拠点とした寺です。長井新左衛門尉公は、京都から美濃へやって来た商人出身と言われています。寺の正式名は、鷲林山常在寺(じゅりんざん じょうざいじ)。日蓮宗、京都妙覚寺の末寺です。室町時代…
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- 黒野城跡
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- 岐阜・中濃
- 文禄3年(1594年)、加藤貞泰が美濃国4万国に封じられた際に築城後、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いで加藤貞泰は、東軍(徳川方)に属し、慶長15年(1610年)には2万石加増され伯耆国(ほうきのくに)米子6万石の城主になりました。加藤貞泰の転封後は、黒野は加納藩…
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- 地震断層観察館
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- 岐阜・中濃
- 地震断層観察館は、地震について様々な視点から学習できる総合施設です。地下観察館では、上下6mに及ぶ根尾谷断層が姿を現し、一瞬にして大変動を起こした自然の威力に圧倒されます。地震資料館では、激しい地鳴りが響き渡る歓迎震路、模型やモニターで地震のメカニズ…
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- 太田宿中山道会館
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- 岐阜・中濃
- 今もなお宿場町の面影が強く残る太田宿。中山道六十九次の51番目の宿場にあたる太田宿は、中山道の三大難所の1つ「太田の渡し」で知られています。太田宿中山道会館では、宿場町の歴史・文化を学ぶことができます。地元の食材を使ったメニューが自慢のレストラン「…
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- 岐阜県博物館
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- 岐阜・中濃
- 岐阜県博物館は、飛山濃水(飛騨の山、美濃の水)の中で育まれてきた本県の姿を、自然・人文両分野の諸資料によって紹介する総合博物館です!!自然・人文両分野の展示、県民によるマイ・ミュージアムギャラリー展示をはじめ、催し物、わくわく体験、展示解説などの豊…
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- 地歌舞伎公演(中津川市)
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- 東濃
- 地元の役者たちによって演じられる「地歌舞伎」。大歌舞伎では見られなくなった演目や特有の振付が見物!受け継がれてきた伝統芸能の粋をお見逃しなく!
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- 飛騨国分寺
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- 飛騨
- 1250年の昔、聖武天皇の勅願によって建立。草建は天平18年。開基は行基菩薩。当時建てられた七重大塔の巨大な礎石が残っています。本堂は室町時代の建築。樹齢1250年以上といわれる大イチョウ、飛騨地方唯一の三重塔、本尊には薬師如来坐像等が安置されてます。
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- 御嵩城址
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- 岐阜・中濃
- 御嵩城には、権現山城と本陣山城の2つの城があり、築城年代は不詳ですが、小栗信濃守という武将の居城だったといわれています。伝承によれば、金山城主森長可は権現山城に大軍をもってたびたび攻め込みましたが、権現様のお使いの白い大蛇が霧を出して阻み、攻略でき…
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