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- 烏頭坂 島津豊久碑 <島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 関ケ原の合戦終盤、陣から敵中突破を図り、徳川家康の本陣をかすめて伊勢街道へ進んだ島津隊。東軍の追撃は、激しく先手を務めていた島津豊久公が殿(しんがり)にまわり、烏頭坂で井伊直政・松平忠吉らを迎え撃ちました。豊久公は重傷を負いましたが、伊勢街道(伊勢…
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- 織田塚
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- 岐阜・中濃
- 天文16年(1547年)、織田信長の父・信秀が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三に大敗し、信長の叔父・信康を始めとした5,000人ともいわれる戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が築かれました。現在、織田塚は円徳寺境内(浄泉坊)と岐阜市霞町…
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- 旧太田脇本陣林家住宅
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- 岐阜・中濃
- 明和6(1769)年に建てられた建物で、格子戸と連子窓、屋根の両端に設けられた「うだつ」など、江戸時代そのままの姿を今に伝えています。明治15(1882)年、板垣退助が岐阜で遭難する前日に宿泊しました。
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- 大正時代館
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- 東濃
- 大正時代の象徴「大正天皇」に関する展示や当時の標準的な家庭を様々な生活道具によって再現した生活情景展示の他に、年数回の企画展示が行われます。 当時の暮らしぶりなどをテーマに1階には新聞やレトロなポスターなどが展示されています。当時のポスターはア…
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- 中山道広重美術館
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- 東濃
- 中山道広重美術館は、平成13年9月、歌川広重の浮世絵版画を中心とする美術作品の展示・収集・保管を主な目的に開館しました。収蔵する美術品は、歌川広重がその円熟期に中山道を描いた「木曽海道六拾九次之内」など約500点。それらは田中コレクションとして世に知られ…
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- 徳川家康最後陣跡 ・ 床几場
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- 西濃
- 「徳川家康」は、合戦当日の午前11時頃、戦況が把握できないため、笹尾山の「石田三成」の陣の正面であるこの陣地に本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の「小早川秀秋」を鉄砲で威嚇した(問鉄砲)と言われています。合戦後は、ここ(床几場)で首実検が行…
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- 関ケ原でサイクリング 電動アシスト付自転車レンタル
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- 西濃
- 関ケ原駅前観光交流館にて貸し出しを行っている「電動アシスト付自転車」の予約ができます。電動アシスト付の自転車は台数に限りがありますので、予約されることをお勧めします。普通自転車の貸し出しも行っております。 *WEBからのご予約は前日(1日前)まで可…
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- 大寺山願興寺
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- 岐阜・中濃
- 昭和20年代に建築された駅舎が味わい深い名鉄御嵩駅。この駅を中心に東へと広がる「御嶽宿」は、もともと平安時代に開創された願興寺の門前町として発展してきました。願興寺は、「蟹薬師」とも呼ばれ、創建は弘仁6年(815)という歴史ある古刹。本尊の薬師如来坐像を…
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- 源平墨俣川古戦場 義円公園
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- 西濃
- 平安時代末期の養和元年(1181年)2月4日、「平清盛」病死。東国源氏は、勢を得て京へ攻め上ります。3月10日、源氏を迎え討つため、平家は「平重衡」を総大将として、杭瀬川(岐阜県大垣市)を渡り右岸の墨俣側(上下宿)に陣しました。一方、源氏の将「行家」(新宮…
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- 塚原遺跡公園
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- 岐阜・中濃
- 塚原遺跡公園は1987年に発掘調査した遺跡を1992年に復元し保存整備した公園です。縄文時代に造られたこれらの古代住居は、周りの現代住居と相まってとても異彩を放っています。
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- 太田の渡し跡(化石林公園)
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- 岐阜・中濃
- 「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と俗謡にも唄われた木曽川の渡船場跡で史跡碑が建ち、石畳の一部が残ります。平成6年に河底から大規模な珪化木群が発見され、一帯は化石林公園として整備されています。
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- 妙應寺
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- 西濃
- 妙應寺(妙応寺)縁起によれば、今須領主の長江重景公が、亡き母(妙応)が生前領民たちを苦しめた報いをうけて苦しんでいることを知り、母の供養のために創建したとされています。平成22年(2010年)に開創六百五十年大遠忌を勤め、「形と心」の両面を兼ね備えた禅の…
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- 岩村歴史資料館
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- 東濃
- 岩村歴史資料館は、岩村城跡の麓の岩村藩藩主邸跡にあります。「享保3年岩村城絵図」「明和3年岩村城平面図」「佐藤一斎自讃画像軸」(いずれも県重要文化財)をはじめとする多くの岩村城、岩村藩関係史料を収蔵展示しています。併設する民俗資料館は、城跡の南東に隣…
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- 中山道明治天皇大井行在所
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- 東濃
- 中山道大井宿の旅籠であった伊藤家は、明治13年の明治天皇巡行の際にご宿泊所となり、現在でも当時の座敷、風呂場、便所がそのままの姿で保存されています。同時に、江戸時代から明治初期にかけての町家の姿をよく残しており、建築史的にも貴重なものです。行在所横…
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- 飛騨の匠文化館
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- 飛騨
- 木の国飛騨で育った木材を使い、飛騨の匠の技を受け継ぐ地元の大工たちによって建てられ、釘を1本も使っていないのが特徴。中庭に面する軒下には、この建物に関わった大工の紋章「雲」が施された小腕が連なります。館内では各種の継ぎ手や木組みの見本展示、パズルの…
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- 濃姫遺髪塚
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- 岐阜・中濃
- 濃姫は、斎藤道三と可児明智城主(現在の可児市)明智三継の娘で才色兼備と言われた小見の方(おみのかた・道三の正室)との間に生まれた。濃姫が信長と結婚後、どのような生活を送ったかは、資料が少ないためほとんどわかっていないが、本能寺の変で信長と共に亡くな…
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- 国史跡 美濃国府跡
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- 西濃
- 大化改新(645年)によって、全国に国府がつくられ美濃国では府中地区一帯にあったといわれています。7世紀の終わりから8世紀初めにかけて、大和朝廷は律令政治の完成をめざしていました。全国を国と郡に分け。それぞれに国府(こくふ)、郡衙(ぐんが)などの役所…
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- 史跡 江馬氏館跡公園
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- 飛騨
- 【国史跡追加指定記念キャンペーン実施中!!】 2023年10月、神岡町の傘松城跡が史跡江馬氏城館跡に追加指定されることが決定した記念として、 江馬氏館跡公園、高原郷土館(神岡城)に入館いただいた方に、 笠松城特別デザインの特製クリアファイルをプレゼント…
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- 旧川上家別邸 萬松園
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- 岐阜・中濃
- 日本最初の女優として知られる川上貞奴が、昭和8(1933)年に、自らの菩提寺「貞照寺」の門前、木曽川を一望する景勝地に建てた別荘。鉄瓦で葺かれた屋根や凝った内部装飾などがほぼ創建当初の姿で保存されており、貞奴の暮らしぶりを窺い知ることができます。
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- 徳川家康最初陣跡 桃配山
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- 西濃
- 東軍の総大将・徳川家康は、慶長5(1600)年9月14日に岡山(後に「勝山」と呼ばれる。岐阜県大垣市)へ着陣。翌15日の午前、桃配山(岐阜県関ケ原町)に布陣。その後、戦況を把握し、好転せざるべく、ここから前進し、前線近くで東軍を鼓舞しました。
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