かがり火が照らす「小瀬鵜飼」の伝統の妙

関市の小瀬鵜飼は、素朴でより昔ながらの雰囲気が残されています。
料理旅館「鵜の家 足立」を営み、18代目鵜匠を務める足立陽一郎さん。訪れる人びとに鵜飼の奥深さを感じてもらおうと、鵜の生活するバックヤードまで気さくに招き入れてくれます。そこには名前の通り、鵜とともに暮らす鵜匠の姿がありました。

<この記事は、(株)岐阜新聞社と岐阜県観光連盟との共同企画で制作しました。>

訪ねた人:足立陽一郎さん
引退した父・幹郎さん代わり、2002年に27歳で鵜匠を継いだ。代々、料理旅館「鵜の家 足立」を営む。屋号は「ジュウノジ」で、小瀬鵜飼の始祖とされる足立新兵衛から続く家系。酒造免許を取得し、鮎料理に合うどぶろくの製造にも取り組んでいる。
かがり火が照らす「小瀬鵜飼」の伝統の妙

岐阜にあるもう一つの鵜飼

関広見ICから車で5分ほど走ると、朱色が際立つ鉄橋「鮎之瀬橋」が見えてきます。岐阜市の長良川から15キロほど上流の関市小瀬地区。ここで、奈良時代から続くといわれる「鵜飼」が行われています。

日が沈むと、川を取り囲む山がわずかな光や音を閉じ込め、ただ漆黒と静寂の世界が広がります。そこに現れるのは、手漕ぎの鵜舟が3艘。観覧船もすべて手漕ぎで、古来変わらないであろう鵜飼の姿がここにあります。

岐阜市の鵜飼に比べると小規模ですが、それゆえに鵜舟と屋形船がともに下る「狩り下り」では、闇を切り裂くように燃えるかがり火の熱さを感じるほどの距離で鵜匠たちの技が披露され、触れそうなところで川へ飛び込む勇ましい鵜の姿を見られます。

宮内庁に保護され、世襲制で継いでいく「鵜匠」

「静かな田舎で、昔のまんまやってるのが小瀬の鵜飼」と話すのは、3人の鵜匠のうちの1人、足立陽一郎さん。気さくな人柄は、敷居の高そうな鵜匠のイメージを程よくほぐしてくれます。

岐阜県には、陽一郎さんを含む小瀬鵜飼の3人と、岐阜市の長良川鵜飼6人、計9人の鵜匠がいます。この9人のみが「宮内庁式部職鵜匠」の名を受け、現在も「御料鵜飼」で獲れた鮎を皇室にお送りしています。

宮内庁式部職鵜匠を継ぐことができるのは、その家に生まれた男子のみ。室町時代から続く鵜匠家に生まれた陽一郎さんは、27歳でその職を継ぎました。

「上が2人とも姉だったから、自分が継がないと、とは思っていた。中学から船頭をしていたしね。自分の子どもなんかまだ幼稚園のころから舟に乗せた。小学生のときには、もうしっかり漕いでたよ」。

格式高い鵜匠の歴史を物語る「鵜の家」

陽一郎さんの生家、「鵜の家 足立」。代々鵜匠を務めてきた足立家が、飲食業と宿泊業を営んでいます。建物は築300余年の木造家屋。明治時代に宮内庁の管轄となり下付された「御用提灯」や、武家屋敷などで身分の高い人物が出入りするために設けられた「式台」、東海圏で数軒しかないという鳥居のような造りなどが残ります。

始まりが明らかにならないほど、古い歴史を持つ小瀬鵜飼。鵜匠家は現在3家ですが、継続の難しさなどもあってその数は変動してきました。その中で18代続いてきた足立家。時の権力者から保護され、大切にされてきたことが、このお屋敷からうかがい知れます。

触れそうな距離で思う存分「鵜」を観察

「入って来てええよ」。

そう声を掛けられ、暖簾(のれん)をくぐって少し進むと、20羽近くの鵜が気ままに過ごしていました。見知らぬ人が入って来ても、特に驚く様子もありません。

「漁が終わったあとにここまで入って来てもらって、餌やりなんかを見てもらうから、慣れているんだろうね」。

中央にある水場へ飛び込んで水浴びをしたり、羽をばたつかせる姿も間近で見られます。

鵜は自分が過ごす位置が決まっているそうで、じっと動かず目をつぶっているものも。落ち着いているので、じっくりと観察できます。

奥に隠れている“おもしろさ”を見てほしい

「漁は自然相手。鮎が減ったのもあるし、天候や鵜の調子によって、どうしたって獲る姿をお見せできない日もある。だから鵜匠や鵜のバックヤードを見て、もっと奥のことを知って、楽しんでもらいたい」。

陽一郎さんはこうした思いから、観覧船に乗船したお客さんを中心に家に招き入れているそうです。鵜が普段過ごす鳥屋(とや)や水場のある庭、世話に使う道具なども見せながら、質問に答えてくれます。

「写真に写るような鵜飼をする姿の奥には、伝統や知識、技術、おもしろさが隠れている。実物を近くで見て、五感を使ってほしい。歴史や背景を聞いて、深みを感じてもらえたら」。

鵜飼を支える鮎の住み家、清流長良川

鮎は、清流のみに生息する魚。川底まで太陽の光を通す澄んだ水だから、川石についた苔がよく育つのです。この苔を食べて育った鮎はスイカに似た芳醇な香りがすることから、「香魚」とも呼ばれます。小瀬近辺で採れた鮎は頭と尾が締まって丸々とした形や味の良さから「小瀬丸」と呼ばれ評されてきました。

「だけど河口堰や高速道路、堤防なんかができた影響もあって、鮎の数は減り、大きさも小さくなった。鮎が食べる苔がつくはずの大きな石に、砂利が被さってしまって。石のあいだにいたトビケラとかの虫もすごい減った。鮎以外の川魚も昔はいっぱいいたんだけど」。

豊かだった川の姿が、変わりつつあります。遠目から眺めるだけではわからない変化を、陽一郎さんは日々、間近に感じているのです。

鵜匠たちの仕事は、冬も続く

取材に訪れたのは年の瀬。鵜飼のない時期も鵜の世話はもちろん、新しく迎え入れた新米の鵜のトレーニングや腰蓑(こしみの)、かがり火に使う薪割りなど、鵜飼中心の生活は変わりません。

お隣に住む鵜匠代表の足立太一さんの庭先へお邪魔すると、やって来たばかりの一回り小さな4羽の鵜が元気に動いていました。陽一郎さんは太一さんと一緒に新しく仲間入りする鵜たちの様子を見た後、鵜たちを連れて川へ。舟へ乗り込むと、棹(さお)を使って力強く漕ぎ出していきました。

「オフシーズンの間に川に出して、徐々に慣らしていく。まだ『カタライ(2羽の鵜を常にペアにする飼育法)』になりきっていないから、けんかもするけどね」。

やって来る鵜は茨城県日立市十王町にある指定の捕獲場で捕獲された野生のウミウ。鵜を捕獲できるのは、許可を得た数人のみです。

小瀬に根付いた伝統の火を消さないために

「近くに住んでいるからこそ、見落としているものがきっとある。地元にあるものに誇りを持ち、自信を持って外に発信できるようになるのって、大事なんじゃないか」。

最近、鵜や世話の様子の写真を撮りに来る地元の中学生がいるそうです。また小瀬に生まれ育った國光トモマサさんは、若く期待の鵜飼写真家。

「その土地に根付いて、ずっと受け継がれてきた伝統や文化。それを守り、続けていくのが小瀬の鵜匠の役目。奥深さに気づき、魅力を“再発見”してほしい」。

小瀬鵜飼を象徴するこの暗さも、いつか変化してしまうのかもしれません。数の減った鮎や砂利の増えた清流、鵜飼に使う竹製品なども、数十年後、今の状態を保てているとは考えにくいでしょう。1300年以上続いた姿を次の時代へとつないでいくには、まずはその目に焼きつけてほしい。闇を染めるかがり火の熱と鵜匠たちの真剣な眼差しが重なって、心に迫ってきます。

旅のメモ

鵜匠と巡るバックヤード見学と鵜匠姿で写真撮影プラン

観覧船に乗船して小瀬鵜飼を楽しむだけではなく、通常では見ることのできない鵜飼のバックヤードを鵜匠の案内で見学したり、鵜匠姿で写真撮影ができます。

鵜匠と巡るバックヤード見学と鵜匠姿で写真撮影プラン