岐阜の
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- 古い町並み
- 美濃路 大垣宿本陣跡
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- 西濃
- 大垣宿は、中山道と東海道をつなぐ「美濃路」の宿場町。江戸時代を通じて本陣・脇本陣・問屋場・旅籠屋・商家などが軒を連ね活気にあふれていました。大垣宿の本陣は、永禄年間(1558~1569)に創建されたとされています。明治11年(1878)には明治天皇が東海・北陸御…
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- 東山遊歩道
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- 飛騨
- 古い町並から歩いて約10分、少し離れた高台にお寺が集まる「東山寺町」は隠れた散策スポット。戦国時代に飛騨を平定した金森氏は、城下町を整備する中で、城の東に連なる山裾を京都の東山になぞらえて数々の寺院を建立・移築しました。これらの寺院や神社、各寺院のに…
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- 遠山桜
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- 東濃
- 明智川沿いにある彼岸桜の老木です。花の色が鮮やかで、枝ぶりもよく川面へ伸びています。この桜は旧遠山邸内にあります。ここに旧旗本遠山家の最後の当主であった景福氏が明治15~31年まで在住されていたことより、いつしか「遠山桜」と言う様になりました。
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- 城跡公園(太鼓櫓・下田歌子勉学所・知新館)
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- 東濃
- 岩村城跡の山麓の武家屋敷地約2haを利用し、歴史資料館、太鼓櫓、下田歌子勉学所、遊歩道を整備。自然をそのまま生かし、町民や観光客の皆さんに親しんでいただける公園です。【太鼓櫓】 江戸時代初期、時の藩主松平家乗(まつだいらいえのり)が、平和な時代になり…
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- 中山道 美江寺宿
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- 岐阜・中濃
- 美江寺宿は、中山道六十九宿のうち五十五番目の小規模な宿場です。この地には奈良時代、養老年中に建立された美江寺(美江寺観音)がありました。しかし、戦国時代、斎藤道三によって岐阜へ移されましたが、地名だけは残りました。1880(明治3)年の宿駅制廃止から約1…
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- 中山道 ひし屋資料館
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- 東濃
- 中山道大井宿の有力な商家であったひし屋古山家住宅を改修・復元した施設です。 古山家は享保年間(1716~1735年)から幕末まで約150年間もの間、大井村の村役人や庄屋を務めていた旧家で、穀物・小間物・反物・塩の販売と酒造りで財を成しました。 この「ひし屋」は…
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- 美濃路
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- 西濃
- 美濃路は、東海道宮宿(現愛知県名古屋市熱田区)と中山道垂井宿(現岐阜県不破郡垂井町)を結ぶ全長約58キロに及ぶ街道でした。中山道の木曽谷、東海道の鈴鹿峠や七里の渡しといった難所を避けることができました。そのため、参勤交代で国許を行き交う諸大名だけでな…
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- 木村邸
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- 東濃
- 木村家は江戸時代中期から末期に栄えた岩村城下町の本通り沿いに建つ重厚な町家造りの旧問屋です。藩の財政困窮のたびに御用金を調達してその危機を救いました。それゆえ、藩主より特別な存在として認められ、藩主自身が幾度となくこの木村邸を訪れたといわれています…
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- 中山道明治天皇大井行在所
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- 東濃
- 中山道大井宿の旅籠であった伊藤家は、明治13年の明治天皇巡行の際にご宿泊所となり、現在でも当時の座敷、風呂場、便所がそのままの姿で保存されています。同時に、江戸時代から明治初期にかけての町家の姿をよく残しており、建築史的にも貴重なものです。行在所横…
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- 旧街道(中馬街道と南北街道)の交差点
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- 東濃
- 恵那市明智町常盤町にある交差点。南北街道と中馬街道の出遇い辻。東へたどれば、伊那路から塩尻へ。西は、 尾張へ。南に下がれば、奥三河から岡崎へ。北は 、中山道へ。かつては馬子の唄声やお伊勢参りの人たちで賑わった宿場の中心でした。
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- 飛騨古川人力車 維
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- 飛騨
- 飛騨古川で唯一の人力車!飛騨古川の風情ある町並み、瀬戸川と白壁土蔵街や、さまざまな見どころを教えてもらいながら、特別な時間を味わってみませんか?スイスイ優雅に飛騨古川を散策しましょう!
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- 美濃路 墨俣宿本陣跡
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- 西濃
- この墨俣宿本陣跡には、本陣の由来を示す石碑と渡船場常夜燈があるだけです。慶長5年、伊達政宗が宿泊したこともあり「伊達様御本陣」とも言われていました。本陣は、代々澤井家が務めていました。
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- 中馬街道 うかれ横丁
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- 東濃
- この路地は、中馬街道の一部で、生糸生産がさかんな頃は、旅人や馬子を相手に酒やうどんを売る店が並んでいました。昔懐かしい面影を残す通りです。道路を跨ぐ渡り廊下のある家もあります。うかれ横丁は、「 受験に受かれ!」の言い伝えがあり受験生にお勧めだそうで…
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- 美濃路 墨俣宿脇本陣
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- 西濃
- 美濃路墨俣宿にあった脇本陣跡に建つ民家です。脇本陣は明治24年(1891年)の濃尾震災の際に倒壊し、現在は隣接する本正寺に山門が残るのみです。その後、再建されたこの建物は、脇本陣時代の構造を色濃く残しており、当時の宿場町の面影を偲ぶことができます。週末には…
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- いわむら美術の舘(旧柴田家)
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- 東濃
- 柴田家住宅は明治時代の典型的な建造物で、設備工事によって平成15年にいわむら美術の館としてオープンしました。絵画を中心に展示され、建物とともに見学できます。二階には岩村ゆかりの画家、原田芳洲の作品が展示されています。岩村城下町に訪れた際には、是非足…
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- 勝川家
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- 東濃
- 「江戸城下町の館 勝川家」は、平成15年8月にオープンしました。勝川家は屋号を「松屋」といい、江戸末期から台頭した商家です。江戸後期の建物で、木造2階建て2軒の建物からなっています。室内は、書院・茶室・使用人部屋などがあり、往時の暮らし向きを伝えてい…
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- 大正路地
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- 東濃
- この路地は、2代目町長・濃明銀行創始者 故橋本幸八郎氏宅の年貢米を納めた米蔵と江戸時代から続いた呉服問屋の蔵にはさまれ、大正時代のたたずまいを色濃く残しています。蔵の白と黒のコントラストがあざやかです。黒い羽目板は、桟(さん)をはずすと防火壁の役目…
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- 中山道 大湫宿
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- 東濃
- 大湫宿は江戸から47番目の宿として、海抜510メートルの高地に設けられ、江戸へ90里半、京都へ43里半、東隣りの大井宿へ3里半、西隣の細久手宿へ1里半、美濃16宿の中で最高所に位置し、それだけ急坂が続いており、旅人も人馬役からも難所とされていました。宿内の町並…
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- 加納家
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- 東濃
- 加納家は一部土蔵づくりの一風変わった外見で、軒の採光窓が特徴てす。加納家は、初代包房(かねふさ)から5代睦久(ちかひさ)まで続いた鉄砲鍛冶の家で鍛冶は、初代から3代竹治まで行っていました。包房が、1831(天保2)年ごろから当時の6代岩村藩主松平乗保の命で…
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