四つ割の南無阿弥陀仏碑
東白川村廃仏毀釈の史跡
明治3年(1870)苗木藩が強行した廃仏毀釈(きしゃく)は、この四つ割の碑にも及んだ。藩役人から「碑をこわせ」という命令が出ると、急拠もとの製作者伝蔵が呼び寄せられ、取りこわしに当たることとなった。伝蔵は、後世に期するところがあったのか、この碑を打ち砕いてしまわず、節理に従って見事に縦4つに割ったのである。4つ割にされた碑は、付近の池や畑の脇石あるいは踏石として名号を伏せて積み込まれた。また台石は、現在の東白川村役場前東南隅(すみ)の角石とされた。
こうして、村内に吹き荒れた廃仏の嵐も収まり、事件は過去の語り草として人々の記憶から遠ざかっていった。
昭和年代に入って、日本が激動期の波に揺られ、人心も生活不安にかられていたころ、村内に悪疫が流行し、不幸が続出した。だれ言うとなく「石仏埋没のたたり」といううわさが流れた。これが動機となって、昭和10年(1935)神土平(たいら)天祐館医師安江浩平(こうへい)(飛騨竹原出身)の主唱により、当時の消防組の指導者を中心とした平(たいら)地区在住の壮年14人が世話人となり、四散した石材を集めて現在地に再建したものである。鋼板に刻んだ大碑石再建立誌及び森牧聞和尚の再建供養詩の碑が近くに建っている。今でも毎年8月15日には平地区住民の手によって盂蘭盆(うらぼん)の供養が続けられ、年じゅう供花が絶えない。
この塔は、廃仏毀釈がいかに厳しく徹底して行われたかを最も顕著にもの語る証拠物としてその歴史的価値が高い。
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基本情報
- 住所
- 〒509-1302 岐阜県加茂郡東白川村神土548
- 問い合わせ先
- 東白川村役場
0574-78-3111 - アクセス
- 東白川村役場横
- ウェブサイト
https://www.vill.higashishirakawa.gifu.jp/syoukai/gaiyo/archive/bunkazai/?p=7






















