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- 兜塚

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- 西濃
- 野一色助義(通称:野一色頼母(のいっしきたのも))は、近江国の出身で豊臣三中老の一人「中村一氏」公の家老として8千石で仕えた人物です。関ケ原の合戦の時、「中村一氏」は、東軍に属しますが、関ケ原の合戦直前の7月に亡くなったため弟「中村一栄」と共に出陣…
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- 史跡 西高木家陣屋跡

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- 西濃
- 近世陣屋として良好に残る石垣・墓所・地下機構・建造物などの現地遺構に加え、絵図類を含む膨大な量の古文書群が残り、近世幕藩領主の姿を豊富な資料によって現在に伝える全国的にも貴重な遺跡です。
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- 白拍子谷 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 烏頭坂で重傷を負った島津豊久公を、家臣・川口運右衛門の意を受けた三輪内助入道一斉がこの地に案内したが、豊久公は自刃して果てた。白拍子谷は、伊勢街道(伊勢西街道)を入った名及集落の南を流れる堂木川の対岸にあり、小さな標柱が立つのみで、辺り一帯はひっそ…
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- 権現のぞき

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- 西濃
- この辺り(大垣市河間)を「権現のぞき」と呼んでいたと伝えられています。関ケ原の合戦の時、大垣城に居た西軍 石田三成が、東軍の陣地「岡山(勝山)」を望む望楼を立てました。慶長5年(1600年)9月14日、関ケ原の合戦の前哨戦 杭瀬川の戦いにも使われま…
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- 樫原城跡 津島神社

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- 西濃
- 樫原城跡は、令和2年1月の調査で「戦国時代後半の山城」と確認されました。地域に伝わる古い記録には、「永禄のころ、秀吉の長島攻めのとき、樫原に陣を置いた。永禄の頃、三輪三人衆の一人、佐渡が樫原に住んだ。」と書かれています。「明智氏一族宮城家相伝図書」(…
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- 美濃路 墨俣宿本陣跡

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- 西濃
- この墨俣宿本陣跡には、本陣の由来を示す石碑と渡船場常夜燈があるだけです。慶長5年、伊達政宗が宿泊したこともあり「伊達様御本陣」とも言われていました。本陣は、代々澤井家が務めていました。
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