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- 大垣市
- 曽根城跡

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- 西濃
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じます。その後、東軍が赤坂に進出すると、松平康長・水野勝成らが入城し、大垣城…
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- 大垣市郷土館

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- 西濃
- 大垣の歴史的風土を五感で感じてみませんか?大垣市郷土館は、江戸時代の大垣藩主戸田入城350周年を記念して建設されました。歴代藩主の顕彰を中心に、大垣の歴史的風土を築き上げてきた美術品等を多数展示しています。盆栽と石畳からなる日本庭園は、四季折々のすが…
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- 美濃路 墨俣宿脇本陣

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- 西濃
- 美濃路墨俣宿にあった脇本陣跡に建つ民家です。脇本陣は明治24年(1891年)の濃尾震災の際に倒壊し、現在は隣接する本正寺に山門が残るのみです。その後、再建されたこの建物は、脇本陣時代の構造を色濃く残しており、当時の宿場町の面影を偲ぶことができます。週末には…
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- 美濃国分寺

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- 西濃
- 天平13年(741年)、「聖武天皇」が鎮護国家を願い、諸国に国分寺建立の詔を出し建立されました。開祖は「行基」。自ら薬師如来像を彫り、本尊とするとともに七堂伽藍を建て寺を開いたとされています。ご本尊の「薬師如来座像」は304.8cmあり、別名「馬だらい薬師」と…
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- 美濃路 大垣宿本陣跡

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- 西濃
- 大垣宿は、中山道と東海道をつなぐ「美濃路」の宿場町。江戸時代を通じて本陣・脇本陣・問屋場・旅籠屋・商家などが軒を連ね活気にあふれていました。大垣宿の本陣は、永禄年間(1558~1569)に創建されたとされています。明治11年(1878)には明治天皇が東海・北陸御…
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- 鮎料理専門店 十六兆

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- 西濃
- 岐阜県産、長良川流域の種鮎を用い、大垣の地下水で育て上げた鮎は品質・衛生面ともに上質なものとなります。店主自ら育て上げた鮎を使用した鮎専門店「十六兆」を26年前より立ち上げ、「天然よりも美味い鮎」をコンセプトに一品一品妥協のない料理を提供しております…
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- 杭瀬川古戦場

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
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- 多良峡の紅葉

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- 西濃
- 多良峡森林公園は、全長2.5kmほどの峡谷で、長彦神社周辺の紅葉は鮮やかに色づきます。吊り橋や遊歩道が設置され、清流に映えるケヤキやコナラなどの紅葉をより身近に楽しむことができます。「飛騨・美濃紅葉33選」にも選ばれた紅葉の名所です。例年の見ごろ:11月中…
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- 長松城跡

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- 西濃
- 大垣市荒崎小学校付近が、竹中半兵衛の同族 竹中一族ゆかりの城「長松城」の跡と考えられており「長松城址」の標石が立てられています。ここは同城堀のうちの一部であり、古城図を見ると旧長松村の集落全体が、城郭の形を成しています。その城郭を囲むように曲がり角…
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- 赤坂宿本陣跡・本陣公園

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- 西濃
- 江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は、およそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものでした。文久元年10月25日、皇女和宮がここに泊したことは有名です 。(皇女和宮ゆかりの地)
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- 宝光院(ひだりめ不動)

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- 西濃
- 伝教大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には徳川幕府から「御朱印地」として特別な保護を受けていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩である「節分会 はだか祭」が開催され、熱気あふれる祭りの舞台となります。祭礼に伴う櫓が建つ境内地は、伝統的な祭りの…
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- 島津越え(五僧峠)<島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 鈴鹿山系を縫うように広がる時山は、駒野越えで再び上石津に入った島津義弘本隊が、途中出会った織田秀信家臣の小林新六郎の案内で五僧峠を越えて近江高宮に向かった。険しい山道を上り、五僧峠を越えて甲賀から堺浦に出て船で薩摩に帰ったと記されています。五僧峠は…
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- 瑠璃光禅寺 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 瑠璃光禅寺(瑠璃光寺)本堂には、島津豊久公の位牌がおさめられているほか、ゆかりの梵鐘もあります。この寺の裏手の森の中には、島津塚と呼ばれる豊久公の五輪塔が祀られています。関ケ原の合戦、伊勢街道から薩摩への道は、まだまだ続く!! ※島津豊久公自害…
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- 上石津郷土資料館

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- 西濃
- 国史跡の西高木家陣屋跡に建つ資料館。上石津で出土した石器、民俗資料、動植物の標本を展示するほか、「島津の退き口」の紹介もしています。
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- 長寿院盛淳の墓・琳光寺

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- 西濃
- 島津義弘公の家老・長寿院盛淳は、島津豊久公に次いで捨て奸(すてがまり)を行い、義弘公から賜った陣羽織を身につけ、「我こそは義弘也」と名乗り、主君の身代わりとなって討ち死にしました。琳光寺には、盛淳公を悼んで宝暦治水の薩摩藩士が刻んだ五輪塔と、子孫が…
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- 武内酒造(資)

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- 西濃
- 延享元年(1744年)の創業。酒蔵のある大垣市は、良質な湧水と伊吹颪の寒風が吹く酒造りに適した土地です。武内酒造の酒造りは、心根である「良酒醸成(蔵元として常に良い酒を醸し成す)」を大切にした妥協のない仕込みで、お米は岐阜県産の酒造好適米ひだはまれを中…
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- 大垣市民会館

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- 西濃
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- 樫原城跡 津島神社

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- 西濃
- 樫原城跡は、令和2年1月の調査で「戦国時代後半の山城」と確認されました。地域に伝わる古い記録には、「永禄のころ、秀吉の長島攻めのとき、樫原に陣を置いた。永禄の頃、三輪三人衆の一人、佐渡が樫原に住んだ。」と書かれています。「明智氏一族宮城家相伝図書」(…
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- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、叔父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚(薩摩塚)と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり…
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- 円興寺の紅葉

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- 西濃
- 境内には樹齢300年をこえる大クスノキがあり、秋には本堂に向かう石段から北側を眺めると、大クスノキの緑、モミジの赤、イチョウの黄のコントラストが美しく、紅葉景勝地として飛騨・美濃紅葉33選にも選ばれています。例年、11月上旬頃から色付き始め、11月中旬~12…
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