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- 大垣市
- 源平墨俣川古戦場 義円公園

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- 西濃
- 平安時代末期の養和元年(1181年)2月4日、「平清盛」病死。東国源氏は、勢を得て京へ攻め上ります。3月10日、源氏を迎え討つため、平家は「平重衡」を総大将として、杭瀬川(岐阜県大垣市)を渡り右岸の墨俣側(上下宿)に陣しました。一方、源氏の将「行家」(新宮…
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- 赤坂港跡

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- 西濃
- 川を交通の手段としていた1900年初期ごろ、川港の赤坂港には、500艘を超える船が往来したと言われています。この地域は、古くから石灰や大理石産業が盛んで、産業の町としてにぎわいを見せていました。赤坂港会館は、明治8年赤坂の四辻にあった屯所(警察署)を復元し…
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- (株)三輪酒造

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- 西濃
- 天保八年(1837年)創業。関ケ原の戦いで陣が構えられた大垣城を囲む十か町の一つ、船町にある造り酒屋で、水都大垣の豊富で良質な湧水を使って酒を醸し続けています。幕末は大垣藩御用達の蔵として繁栄し、大垣の偉人の一人、大垣藩重鎮・小原鉄心の“鉄心&…
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- 墨俣一夜城・犀川堤の桜

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- 西濃
- 墨俣一夜城の周りを流れる犀川の堤防沿いに、約800本の桜並木が3.7kmにわたり続いています。桜のトンネルを抜けると墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)があり、城と桜が見事に調和して風情があります。飛騨・美濃さくら33選にも選ばれ、ライトアップされた墨俣一夜…
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- 杭瀬川古戦場

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
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- 武内酒造(資)

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- 西濃
- 延享元年(1744年)の創業。酒蔵のある大垣市は、良質な湧水と伊吹颪の寒風が吹く酒造りに適した土地です。武内酒造の酒造りは、心根である「良酒醸成(蔵元として常に良い酒を醸し成す)」を大切にした妥協のない仕込みで、お米は岐阜県産の酒造好適米ひだはまれを中…
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- 宝光院(ひだりめ不動)

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- 西濃
- 伝教大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には徳川幕府から「御朱印地」として特別な保護を受けていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩である「節分会 はだか祭」が開催され、熱気あふれる祭りの舞台となります。祭礼に伴う櫓が建つ境内地は、伝統的な祭りの…
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- 美濃国分寺

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- 西濃
- 天平13年(741年)、「聖武天皇」が鎮護国家を願い、諸国に国分寺建立の詔を出し建立されました。開祖は「行基」。自ら薬師如来像を彫り、本尊とするとともに七堂伽藍を建て寺を開いたとされています。ご本尊の「薬師如来座像」は304.8cmあり、別名「馬だらい薬師」と…
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- 島津越え(五僧峠)<島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 鈴鹿山系を縫うように広がる時山は、駒野越えで再び上石津に入った島津義弘本隊が、途中出会った織田秀信家臣の小林新六郎の案内で五僧峠を越えて近江高宮に向かった。険しい山道を上り、五僧峠を越えて甲賀から堺浦に出て船で薩摩に帰ったと記されています。五僧峠は…
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- 長松城跡

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- 西濃
- 大垣市荒崎小学校付近が、竹中半兵衛の同族 竹中一族ゆかりの城「長松城」の跡と考えられており「長松城址」の標石が立てられています。ここは同城堀のうちの一部であり、古城図を見ると旧長松村の集落全体が、城郭の形を成しています。その城郭を囲むように曲がり角…
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- 赤坂宿本陣跡・本陣公園

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- 西濃
- 江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は、およそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものでした。文久元年10月25日、皇女和宮がここに泊したことは有名です 。(皇女和宮ゆかりの地)
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- 渡辺酒造醸

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- 西濃
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- 多良峡の紅葉

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- 西濃
- 多良峡森林公園は、全長2.5kmほどの峡谷で、長彦神社周辺の紅葉は鮮やかに色づきます。吊り橋や遊歩道が設置され、清流に映えるケヤキやコナラなどの紅葉をより身近に楽しむことができます。「飛騨・美濃紅葉33選」にも選ばれた紅葉の名所です。例年の見ごろ:11月中…
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- 円興寺の紅葉

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- 西濃
- 境内には樹齢300年をこえる大クスノキがあり、秋には本堂に向かう石段から北側を眺めると、大クスノキの緑、モミジの赤、イチョウの黄のコントラストが美しく、紅葉景勝地として飛騨・美濃紅葉33選にも選ばれています。例年、11月上旬頃から色付き始め、11月中旬~12…
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- 美濃路 墨俣宿脇本陣

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- 西濃
- 美濃路墨俣宿にあった脇本陣跡に建つ民家です。脇本陣は明治24年(1891年)の濃尾震災の際に倒壊し、現在は隣接する本正寺に山門が残るのみです。その後、再建されたこの建物は、脇本陣時代の構造を色濃く残しており、当時の宿場町の面影を偲ぶことができます。週末には…
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- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、叔父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚(薩摩塚)と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり…
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- 長寿院盛淳の墓・琳光寺

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- 西濃
- 島津義弘公の家老・長寿院盛淳は、島津豊久公に次いで捨て奸(すてがまり)を行い、義弘公から賜った陣羽織を身につけ、「我こそは義弘也」と名乗り、主君の身代わりとなって討ち死にしました。琳光寺には、盛淳公を悼んで宝暦治水の薩摩藩士が刻んだ五輪塔と、子孫が…
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- 兜塚

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- 西濃
- 野一色助義(通称:野一色頼母(のいっしきたのも))は、近江国の出身で豊臣三中老の一人「中村一氏」公の家老として8千石で仕えた人物です。関ケ原の合戦の時、「中村一氏」は、東軍に属しますが、関ケ原の合戦直前の7月に亡くなったため弟「中村一栄」と共に出陣…
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- 上石津郷土資料館

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- 西濃
- 国史跡の西高木家陣屋跡に建つ資料館。上石津で出土した石器、民俗資料、動植物の標本を展示するほか、「島津の退き口」の紹介もしています。
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- 史跡 西高木家陣屋跡

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- 西濃
- 近世陣屋として良好に残る石垣・墓所・地下機構・建造物などの現地遺構に加え、絵図類を含む膨大な量の古文書群が残り、近世幕藩領主の姿を豊富な資料によって現在に伝える全国的にも貴重な遺跡です。
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