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- 大垣市
- 墨俣 犀川堤

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- 西濃
- 1.2kmにわたるあじさい街道を体感してみませんか?岐阜県大垣市墨俣地区にある犀川堤。 地域の皆さんの手で植えられた約3800本のあじさいが6月になると一斉に花開きます。 数々の種類からなる色のグラデーションがとても幻想的です。 春は桜トン…
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- 赤坂港跡

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- 西濃
- 川を交通の手段としていた1900年初期ごろ、川港の赤坂港には、500艘を超える船が往来したと言われています。この地域は、古くから石灰や大理石産業が盛んで、産業の町としてにぎわいを見せていました。赤坂港会館は、明治8年赤坂の四辻にあった屯所(警察署)を復元し…
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- 美濃路

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- 西濃
- 美濃路は、東海道宮宿(現愛知県名古屋市熱田区)と中山道垂井宿(現岐阜県不破郡垂井町)を結ぶ全長約58キロに及ぶ街道でした。中山道の木曽谷、東海道の鈴鹿峠や七里の渡しといった難所を避けることができました。そのため、参勤交代で国許を行き交う諸大名だけでな…
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- お茶屋屋敷跡 (赤坂ボタン園)

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- 西濃
- お茶屋屋敷跡は、徳川家康が上洛の往還にあたって造営した将軍家専用の休泊施設の貴重な遺構(現存する唯一の遺跡)です。ほぼ方形の縄張りをもつ城郭形式で、土塁・空濠で囲み、四隅に櫓を備え、東面中央部には大手門がありました。当時を偲ぶ土塁や空濠の一部が残っ…
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- 美濃路 大垣宿本陣跡

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- 西濃
- 大垣宿は、中山道と東海道をつなぐ「美濃路」の宿場町。江戸時代を通じて本陣・脇本陣・問屋場・旅籠屋・商家などが軒を連ね活気にあふれていました。大垣宿の本陣は、永禄年間(1558~1569)に創建されたとされています。明治11年(1878)には明治天皇が東海・北陸御…
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- 瑠璃光禅寺 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 瑠璃光禅寺(瑠璃光寺)本堂には、島津豊久公の位牌がおさめられているほか、ゆかりの梵鐘もあります。この寺の裏手の森の中には、島津塚と呼ばれる豊久公の五輪塔が祀られています。 ※島津豊久公自害の地「白拍子谷」までは、片道900m(徒歩約11分ほど)離れて…
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- 金生山 姫螢

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- 西濃
- 金生山明星輪寺周辺に生息するヒメボタルは、体長5~10mmの陸生のホタル。光が尾を引くゲンジボタルなどと違い、細かく点滅発光するのが特徴です。点滅は、6月中旬〜下旬の深夜0時~2時ごろ。幻想的な光の競演をお楽しみください。
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- 墨俣一夜城・犀川堤の桜

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- 西濃
- 墨俣一夜城の周りを流れる犀川の堤防沿いに、約800本の桜並木が3.7kmにわたり続いています。桜のトンネルを抜けると墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)があり、城と桜が見事に調和して風情があります。飛騨・美濃さくら33選にも選ばれ、ライトアップされた墨俣一夜…
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- 多良峡の紅葉

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- 西濃
- 多良峡森林公園は、全長2.5kmほどの峡谷で、長彦神社周辺の紅葉は鮮やかに色づきます。吊り橋や遊歩道が設置され、清流に映えるケヤキやコナラなどの紅葉をより身近に楽しむことができます。「飛騨・美濃紅葉33選」にも選ばれた紅葉の名所です。例年の見ごろ:11月中…
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- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、伯父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり、目印にな…
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- (株)三輪酒造

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- 西濃
- 天保八年(1837年)創業。関ケ原の戦いで陣が構えられた大垣城を囲む十か町の一つ、船町にある造り酒屋で、水都大垣の豊富で良質な湧水を使って酒を醸し続けています。幕末は大垣藩御用達の蔵として繁栄し、大垣の偉人の一人、大垣藩重鎮・小原鉄心の“鉄心&…
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- 赤坂宿本陣跡・本陣公園

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- 西濃
- 江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は、およそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものでした。文久元年10月25日、皇女和宮がここに泊したことは有名です 。(皇女和宮ゆかりの地)
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- 大垣市民会館

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- 西濃
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- 源平墨俣川古戦場 義円公園

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- 西濃
- 平安時代末期の養和元年(1181年)2月4日、「平清盛」病死。東国源氏は、勢を得て京へ攻め上ります。3月10日、源氏を迎え討つため、平家は「平重衡」を総大将として、杭瀬川(岐阜県大垣市)を渡り右岸の墨俣側(上下宿)に陣しました。一方、源氏の将「行家」(新宮…
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- 曽根城跡

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- 西濃
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じます。その後、東軍が赤坂に進出すると、松平康長・水野勝成らが入城し、大垣城…
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- 上石津郷土資料館

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- 西濃
- 国史跡の西高木家陣屋跡に建つ資料館。上石津で出土した石器、民俗資料、動植物の標本を展示するほか、「島津の退き口」の紹介もしています。
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- 兜塚

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- 西濃
- 野一色助義(通称:野一色頼母(のいっしきたのも))は、近江国の出身で豊臣三中老の一人「中村一氏」公の家老として8千石で仕えた人物です。関ケ原の合戦の時、「中村一氏」は、東軍に属しますが、関ケ原の合戦直前の7月に亡くなったため弟「中村一栄」と共に出陣…
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- 長寿院盛淳の墓・琳光寺

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- 西濃
- 島津義弘公の家老・長寿院盛淳は、島津豊久公に次いで捨て奸(すてがまり)を行い、義弘公から賜った陣羽織を身につけ、「我こそは義弘也」と名乗り、主君の身代わりとなって討ち死にしました。琳光寺には、盛淳公を悼んで宝暦治水の薩摩藩士が刻んだ五輪塔と、子孫が…
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- 宝光院(ひだりめ不動)

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- 西濃
- 伝教大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には徳川幕府から「御朱印地」として特別な保護を受けていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩である「節分会 はだか祭」が開催され、熱気あふれる祭りの舞台となります。祭礼に伴う櫓が建つ境内地は、伝統的な祭りの…
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- 史跡 西高木家陣屋跡

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- 西濃
- 近世陣屋として良好に残る石垣・墓所・地下機構・建造物などの現地遺構に加え、絵図類を含む膨大な量の古文書群が残り、近世幕藩領主の姿を豊富な資料によって現在に伝える全国的にも貴重な遺跡です。
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