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- 大垣市
- 美濃国分寺

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- 西濃
- 天平13年(741年)、「聖武天皇」が鎮護国家を願い、諸国に国分寺建立の詔を出し建立されました。開祖は「行基」。自ら薬師如来像を彫り、本尊とするとともに七堂伽藍を建て寺を開いたとされています。ご本尊の「薬師如来座像」は304.8cmあり、別名「馬だらい薬師」と…
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- 杭瀬川古戦場

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
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- 曽根城跡

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- 西濃
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じます。その後、東軍が赤坂に進出すると、松平康長・水野勝成らが入城し、大垣城…
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- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、伯父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり、目印にな…
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- (株)三輪酒造

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- 西濃
- 天保八年(1837年)創業。関ケ原の戦いで陣が構えられた大垣城を囲む十か町の一つ、船町にある造り酒屋で、水都大垣の豊富で良質な湧水を使って酒を醸し続けています。幕末は大垣藩御用達の蔵として繁栄し、大垣の偉人の一人、大垣藩重鎮・小原鉄心の“鉄心&…
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- 美濃路

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- 西濃
- 美濃路は、東海道宮宿(現愛知県名古屋市熱田区)と中山道垂井宿(現岐阜県不破郡垂井町)を結ぶ全長約58キロに及ぶ街道でした。中山道の木曽谷、東海道の鈴鹿峠や七里の渡しといった難所を避けることができました。そのため、参勤交代で国許を行き交う諸大名だけでな…
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- 長寿院盛淳の墓・琳光寺

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- 西濃
- 島津義弘公の家老・長寿院盛淳は、島津豊久公に次いで捨て奸(すてがまり)を行い、義弘公から賜った陣羽織を身につけ、「我こそは義弘也」と名乗り、主君の身代わりとなって討ち死にしました。琳光寺には、盛淳公を悼んで宝暦治水の薩摩藩士が刻んだ五輪塔と、子孫が…
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- 瑠璃光禅寺 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 瑠璃光禅寺(瑠璃光寺)本堂には、島津豊久公の位牌がおさめられているほか、ゆかりの梵鐘もあります。この寺の裏手の森の中には、島津塚と呼ばれる豊久公の五輪塔が祀られています。 ※島津豊久公自害の地「白拍子谷」までは、片道900m(徒歩約11分ほど)離れて…
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- 美濃路 大垣宿本陣跡

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- 西濃
- 大垣宿は、中山道と東海道をつなぐ「美濃路」の宿場町。江戸時代を通じて本陣・脇本陣・問屋場・旅籠屋・商家などが軒を連ね活気にあふれていました。大垣宿の本陣は、永禄年間(1558~1569)に創建されたとされています。明治11年(1878)には明治天皇が東海・北陸御…
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- 赤坂宿本陣跡・本陣公園

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- 西濃
- 江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は、およそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものでした。文久元年10月25日、皇女和宮がここに泊したことは有名です 。(皇女和宮ゆかりの地)
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- 金生山 姫螢

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- 西濃
- 金生山明星輪寺周辺に生息するヒメボタルは、体長5~10mmの陸生のホタル。光が尾を引くゲンジボタルなどと違い、細かく点滅発光するのが特徴です。点滅は、6月中旬〜下旬の深夜0時~2時ごろ。幻想的な光の競演をお楽しみください。
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- 武内酒造(資)

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- 西濃
- 延享元年(1744年)の創業。酒蔵のある大垣市は、良質な湧水と伊吹颪の寒風が吹く酒造りに適した土地です。武内酒造の酒造りは、心根である「良酒醸成(蔵元として常に良い酒を醸し成す)」を大切にした妥協のない仕込みで、お米は岐阜県産の酒造好適米ひだはまれを中…
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- 墨俣一夜城・犀川堤の桜

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- 西濃
- 墨俣一夜城の周りを流れる犀川の堤防沿いに、約800本の桜並木が3.7kmにわたり続いています。桜のトンネルを抜けると墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)があり、城と桜が見事に調和して風情があります。飛騨・美濃さくら33選にも選ばれ、ライトアップされた墨俣一夜…
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- 長松城跡

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- 西濃
- 大垣市荒崎小学校付近が、竹中半兵衛の同族 竹中一族ゆかりの城「長松城」の跡と考えられており「長松城址」の標石が立てられています。ここは同城堀のうちの一部であり、古城図を見ると旧長松村の集落全体が、城郭の形を成しています。その城郭を囲むように曲がり角…
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- 上石津郷土資料館

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- 西濃
- 国史跡の西高木家陣屋跡に建つ資料館。上石津で出土した石器、民俗資料、動植物の標本を展示するほか、「島津の退き口」の紹介もしています。
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- 墨俣 犀川堤

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- 西濃
- 1.2kmにわたるあじさい街道を体感してみませんか?岐阜県大垣市墨俣地区にある犀川堤。 地域の皆さんの手で植えられた約3800本のあじさいが6月になると一斉に花開きます。 数々の種類からなる色のグラデーションがとても幻想的です。 春は桜トン…
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- 宝光院(ひだりめ不動)

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- 西濃
- 伝教大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には徳川幕府から「御朱印地」として特別な保護を受けていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩である「節分会 はだか祭」が開催され、熱気あふれる祭りの舞台となります。祭礼に伴う櫓が建つ境内地は、伝統的な祭りの…
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- 白拍子谷 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 烏頭坂で重傷を負った島津豊久公を、家臣・川口運右衛門の意を受けた三輪内助入道一斉がこの地に案内したが、豊久公は自刃して果てた。白拍子谷は、伊勢街道(伊勢西街道)を入った名及集落の南を流れる堂木川の対岸にあり、小さな標柱が立つのみで、辺り一帯はひっそ…
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- 美濃路 墨俣宿本陣跡

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- 西濃
- この墨俣宿本陣跡には、本陣の由来を示す石碑と渡船場常夜燈があるだけです。慶長5年、伊達政宗が宿泊したこともあり「伊達様御本陣」とも言われていました。本陣は、代々澤井家が務めていました。
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- 樫原城跡 津島神社

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- 西濃
- 樫原城跡は、令和2年1月の調査で「戦国時代後半の山城」と確認されました。地域に伝わる古い記録には、「永禄のころ、秀吉の長島攻めのとき、樫原に陣を置いた。永禄の頃、三輪三人衆の一人、佐渡が樫原に住んだ。」と書かれています。「明智氏一族宮城家相伝図書」(…
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