岐阜の
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- 羽島市
- 奥田農園(株)
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- 岐阜・中濃
- 岐阜県羽島市正木町の奥田農園(株)では、特大いちご「美人姫」の栽培をしています。一般的ないちごは重さ20~30gですが、「美人姫」は小さなもので40gほど、大きいものだと80~100gのものもあります。糖度も13度前後と大きさと甘さを兼ね備えたいちごです。一般…
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- 羽島市歴史民俗資料館・映画資料館
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- 岐阜・中濃
- 羽島市の歴史や民俗芸能に触れることができる歴史民俗資料館と、公立としては大変珍しい映画資料館が併設されています。円空、佐吉仏、竹鼻まつり、平方勢獅子などの羽島の文化にも触れることができます。 映画資料館では、昔懐かしい映写機で懐かしの映画が、事…
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- ぐるっと羽島はしま観光交流センター
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- 岐阜・中濃
- 「ぐるっと羽島」は、羽島市の観光案内や観光情報の発信をメインに行っている施設で、明治期の土蔵を改修した体験棟と新築の休憩棟の2棟で構成されています。体験棟では、お土産品・特産品の販売や、江戸時代から伝わる木綿織物である美濃縞織り体験(※不定期)ができ…
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- 大須観音(真福寺)
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- 岐阜・中濃
- 寛元の頃(1240年代)に観音堂を建立。北野神社より分霊を受け北野山真福寺という大寺に発展しましたが、戦国時代に入ると次第に衰退の一途を辿ります。織田信長により一時再興されるも、慶長10年(1605年)の木曽川の大洪水で堂塔は全て流失しました。元和元年(1615…
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- 大良の戦い 金矮鶏神社・大浦城跡・大浦の蛇
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- 岐阜・中濃
- 大浦城跡(大浦の寺砦跡)は、一名聖徳寺砦とも言われています。弘治2年(1556年)4月、織田信長(道三の娘婿)は、斎藤道三と嫡子 義龍が争った「長良川の戦い」に道三の援軍として木曽川を越え「大良(現・岐阜県羽島市正木町大浦周辺)」へ進軍します。父 道三を破…
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- 体験型サイクルステーション&カフェレストラン BLOCK47
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- 岐阜・中濃
- 初心者の方は「自転車の楽しさ」を体感でき、自転車乗りの方は「より深く極めるコンテンツに出会える」体験型サイクルステーションにカフェレストランを併設したBLOCK47。50台のレンタサイクルを取りそろえる「BLOCK47-Cycle」、木製の自転車練習コースを常設する「…
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- 中観音堂・羽島円空資料館
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- 岐阜・中濃
- 円空上人は、江戸時代(1632年~1695年)の修行僧で、洪水で非業の死を遂げた母の供養のため出家して全国を行脚する放浪の旅に出て、その生涯に12万体の仏像を彫刻しました。円空上人生誕の地と言われる羽島市の中では、最も多くの円空仏が安置されており、本尊の「十…
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- 竹鼻別院
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- 岐阜・中濃
- 慶長9年(1604)、教如上人は寺を「御坊」とし新加納村から竹ヶ鼻村に移して54ヶ寺を配下にしました。その後、竹鼻の下町にあった「御坊専福寺」は、再度の類焼に遇い、宝歴10年(1760)に現在地へ移転して、明治9年(1876)になり「竹鼻別院」と改称されました。 境…
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- 美濃路 尾越の渡し
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- 岐阜・中濃
- ☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例街道(きちれいかいどう)」とも呼ばれ交通量も多く重要な脇街道です。
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- 竹ヶ鼻城跡
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- 岐阜・中濃
- 羽島市歴史民俗資料館(竹鼻別院前)の敷地内に竹ヶ鼻城跡の石標は立っています。応仁年間に武腰伊豆守が竹ヶ鼻城を築城したと云われています。その後、不破源六広綱が城主時代に、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による「水攻め」があったことで知られてます。竹ヶ鼻城跡の…
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- 加賀野井城跡
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- 岐阜・中濃
- 慶長5年(1600年)8月22日、木曽川下流の尾越に向かった福島正則・細川忠興・黒田長政・田中吉政・藤堂高虎らの東軍約16000は、対岸に西軍が柵を設けて待ち構えているため、さらに下流の加賀野井から密かに渡河し、城主不在の加賀野井城を瞬く間に落としました。加賀…
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- 《VISIT岐阜県発》大垣の歴史とアートにふれるツアー
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- 岐阜・中濃
- 東濃
- 墨俣城初め歴史遺産と岐阜出身のアーティスト、Roamcouch(ロームカウチ)の壁画を自転車で巡るガイド付きツアーです 。大垣城・墨俣城を初め、 旧揖斐川橋梁や明治に竣工されたレンガ積みの「ねじりまんぼ」(トンネル)など、臨場感たっぷりに歴史を感じます。サイク…
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- 美濃路 大浦(三ツ屋)の道標
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- 岐阜・中濃
- 「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例(きちれい)街道」とも呼ばれ交通量も多く重要な脇街道です。
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- 美濃路 起渡船場石灯台
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- 岐阜・中濃
- 美濃路の木曽川の渡しを「起の渡し」といい、この石燈台は、濃尾大橋の開通時(昭和31年)に、現在の場所へ移されました。明和7年(1770年)の「おこし川渡船」と刻まれたこの石燈台は、文学者の龍公美の漢詩が刻まれています。口碑によると、ある夜、渡船で難儀をし…
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