岐阜城だけじゃない!『豊臣兄弟!』秀吉・秀長の岐阜“出世旅”|1日モデルコース
- 長月あき

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岐阜城(当時は稲葉山城)が信長の美濃攻略の“ゴール”だとするなら、今回の旅はその手前――攻略の過程で秀吉・秀長の出世につながった3つのスポットを、1日でめぐります。伊木山城跡→墨俣一夜城→半兵衛の里(垂井)をたどりながら、大河の物語をもう一段、立体的に味わってみませんか。

1. 伊木山城跡(各務原市) ― 尾張と美濃の境目に立つ城
まずは各務原市の伊木山城跡へ。信長が尾張から美濃へ侵攻するための足がかりとした城として知られています。大河ドラマでは、近くの鵜沼城攻略に向けて秀吉・秀長兄弟が一計を案じるエピソードが描かれており、物語の序盤を身近に感じられる場所です。
伊木山は木曽川沿いにある標高173mの低山で、山頂に城跡があります。現在は芝生広場やハイキングコースのある公園「伊木(いぎ)の森」として整備され、気軽に登ることができます。山頂へ向かうルートはいくつかあり、中央駐車場から「心臓破りの道」を登っていくのが最短コースのようです。……ただ、そのネーミングに腰が引けてしまった私は、今回は西側から登るルートを選択しました。西側にも駐車場が整備されています。歩く距離は長くなるものの、比較的なだらかな道で、ゆっくり歩いて20〜30分ほどで山頂に到着しました。
山頂は、南側の視界が抜けていて、名古屋の高層ビル群や小牧山城が見えました。周囲には曲輪の跡など、城の気配を感じられるポイントが残っています。
山頂からさらに15分ほど歩くと、「キューピーの鼻」と呼ばれる展望スポットに着きます。視界がぱっと開け、北を向けば木曽川の向こうに犬山城、対岸には鵜沼城跡。南側に目を移せば、小牧山城まで見渡せました。ここに立つと、尾張と美濃の境である木曽川を挟んでの城の位置関係や距離感が、体感として分かかります。信長が拠点を一つひとつ押さえながら美濃攻略を進めていった道筋が、景色の中で一本につながって見えるようでした。その道筋の中で、秀吉・秀長兄弟もまた、着実に存在感を増していったのかもしれません。
大河ドラマで秀吉・秀長が調略した鵜沼城跡は、犬山橋のたもとにそびえる大きな岩山です。現在は城跡内部に立ち入れないため、近くまで行っても外から眺める形になります。
景色を堪能したあとは来た道を戻り、山頂でランチタイムに。今回は登る前に、城跡のすぐ近くにある大型園芸店「伊木山ガーデン」の食品館に立ち寄っていました。こちらのお店は植物の品揃えもさることながら、お惣菜コーナーが充実していて、色んな種類のオリジナル惣菜おにぎりがあるのです。明宝ハムカツ、飛騨豚チャーシューなど、岐阜らしい具材のおにぎりも。今回は山頂用に、おにぎりに加えフルーツサンドも購入。ちょっとしたピクニック気分です。
次は“出世の転機”が待つ西濃へ。車で約40分、墨俣一夜城へ向かいます。
2.墨俣一夜城 (大垣市)― 豊臣兄弟出世のきっかけとなった前線の城
大垣市にある墨俣一夜城は、岐阜城攻略へ向かう前線の拠点として、秀吉が非常に短期間で砦(とりで)を築いた――という「一夜城」のエピソードで知られています。この拠点を足がかりに信長は美濃攻略を進め、秀吉にとっても出世の転機になった、と語られることの多い場所です(史実としての捉え方には諸説あります)。
現在は天守風の建物が歴史資料館として整備され、最上階は展望室に。窓の向こうには平野が大きくひらけ、岐阜城まで見通せる眺めが広がります。眼下を流れる川を眺めていると、上流で調達した材木を組み立てやすい形に整え、いかだにして川を下り、墨俣付近まで運び込んだ――そんな「短期間で築いた」と伝わる物語が、現実味を帯びてくるような気がしました。
史実がどうであれ、ここに“拠点を置く”ことが、当時どれほど意味のある選択だったのか、想像が膨らみます。
館内は、築城の流れや秀吉の出世の道のりがつかみやすい映像やパネル展示が中心になっています。先に訪れた伊木山周辺との立地関係も頭に入り、旅の途中で「物語の輪郭」を整えるのにぴったり。なお、墨俣一夜城は桜や紫陽花の名所としても知られ、花の時期に訪れるのもおすすめです。

- <立ち寄りスポット:大垣城>
墨俣一夜城から車で20分ほどの大垣城。時代は下りますが秀長が一時期城主を務めたことがあるとされています。関ヶ原の合戦では石田三成の拠点となったことでも知られ、豊臣家ともゆかりのある城です。
3.竹中半兵衛の拠点(垂井町) ― 豊臣兄弟の出世に大きく関わる知将ゆかりの地
後に秀吉・秀長兄弟の出世を大きく支えることになる知将・竹中半兵衛。大河ドラマでは菅田将暉さんが演じることでも話題になりましたね。信長の美濃攻略の時代から兄弟と接点があったとされる半兵衛は、やがて秀吉の軍師として頭脳を振るい、その地位向上を陰で支える存在となっていきます。岐阜で彼と出会ったことも、兄弟にとって大きな転機のひとつだったのかもしれません。
墨俣一夜城から車で約30分。大垣市のすぐ隣にある垂井町は、竹中半兵衛ゆかりの地として知られています。まずは散策の拠点に便利な「垂井町観光駐車場(無料)」へ。駐車場のすぐ近くに、半兵衛の子・重角の居館跡と伝わる竹中氏陣屋跡(岩手城跡)があります。
陣屋跡は現在、小学校の敷地の一部となっており、奥まで立ち入ることはできません。しかし外からでも、白壁の櫓門(やぐらもん)と石垣の一部が、当時の面影を感じさせてくれます。櫓門が校門として使われている光景がひときわ印象的でした。門の前には半兵衛の像もあります。
陣屋跡のすぐ南側には、菁莪(せいが)記念館があります。竹中氏や地元の歴史を紹介する入場無料の資料館で、竹中氏が江戸時代に建てた道場「菁莪堂」がもとになっています。史跡めぐりは歩きながら想像をふくらませるのも楽しいけれど、こういった地元の歴史を知る場所を挟むと、景色の見え方が一段変わる気がします。
続いて、竹中氏の菩提寺である禅幢寺(ぜんどうじ)へ。凛とした境内に、竹中半兵衛と父・重元の墓があります。お寺のすぐ隣の八幡神社の脇には半兵衛の居城だった菩提山城跡へ通じる道があります。今回は時間の都合で散策はしませんでしたが、ハイキングコースになっているとはいえ熊の出没情報があるような山城です。もし城跡に向かう場合は軽登山の準備と情報確認をしてくださいね。
※なお垂井町観光駐車場から禅幢寺までは北へ500メートルくらいの場所にありますが、令和8年5月末頃までは道路工事による全面通行止めのため迂回が必要です。
締めくくりは少し離れた五明稲荷神社へ。観光地というより、里の日常に溶け込む小さな神社ですが、信長から殺されそうになった黒田官兵衛の息子・松寿丸(後の黒田長政)を半兵衛がかくまった――という伝承が残る場所でもあります。境内のイチョウには松寿丸ゆかりの言い伝えがあります。一本は樹体が弱ったため根元を残して切られていますが、樹体の一部は先ほど訪れた菁莪記念館に保存・展示されていました。
(地図は垂井町観光駐車場)

- <立ち寄りスポット:黒田長政・竹中重門陣跡>
半兵衛に救われたと伝わる黒田長政は、のちの関ヶ原の合戦で、幼なじみでもあった半兵衛の息子・竹中重角と力を合わせ、岡山周辺に陣を置いて武功を挙げたとされます。垂井町のお隣、関ヶ原町にはそのゆかりの地として、「黒田長政・竹中重門陣跡(岡山〈丸山〉烽火場)」(竹中氏陣屋跡から車で約10分)が残っています。
最後は岐阜城へ――旅のゴールで景色がつながる
今回は、秀吉・秀長が信長のもとで頭角を現し、少しずつ“出世の階段”を上りはじめた頃――その気配が残る3つのスポットをめぐりました。国境の伊木山、前線の墨俣、そして半兵衛ゆかりの垂井。順にたどることで、地図の上では点だった場所が、一本の道筋としてつながっていく感覚がありました。仕上げに岐阜城へ足を延ばし、金華山の上に立てば、豊臣兄弟にちなんだ岐阜の戦国旅が、もう一段おもしろくなりそうです。
美濃攻略の“ゴール”となった岐阜城はもちろん、戦国の舞台となった岐阜には、この時代と重なる物語がまだまだ眠っています。戦国の空気に思いを重ねながら、大河ドラマ『豊臣兄弟!』と一緒に、岐阜の旅を楽しんでみてくださいね。






































伊木山から車で10分ほどの中山道の鵜沼宿には、豊臣家にもゆかりのある大垣城の鉄門(くろがねもん)が移築されています。本丸を守るため、門の前面を鉄板で覆い、火矢による攻撃にも耐えうるよう工夫された門だとか。造られたのは江戸時代初期と推測されていますが、戦国の世の名残を感じます。