岐阜の
スポット・体験を探す
- 現在の検索条件
- 西濃
- 松尾山城跡・小早川秀秋陣跡
-
- 西濃
- 松尾山城は小早川秀秋が布陣した山城としても有名です。関ケ原の戦いにおいて、優柔不断の裏切り者と酷評されることが多い小早川秀秋ですが、実際には勇猛果敢で、領民からも慕われる統治手腕を持った有能な武将だったといいます。当時19歳という若さで1万5千の兵を従…
- more
- 権現のぞき
-
- 西濃
- この辺り(大垣市河間)を「権現のぞき」と呼んでいたと伝えられています。関ケ原の合戦の時、大垣城に居た西軍 石田三成が、東軍の陣地「岡山(勝山)」を望む望楼を立てました。慶長5年(1600年)9月14日、関ケ原の合戦の前哨戦 杭瀬川の戦いにも使われま…
- more
- 瑞巌寺・小島頓宮の碑
-
- 西濃
- 美濃国と尾張・伊勢の合わせてた『 三ヶ国の守護大名 土岐頼康 』と 父「頼清」の墓があります。また、南北朝時代、北朝の第4代・後光厳天皇(ごこうげんてんのう)を招いた「小島頓宮」の碑も境内にあります。揖斐川町:明智光秀ゆかりの地
- more
- 光顕寺
-
- 西濃
- 教如上人が関ヶ原合戦、直前の慶長5年8月に徳川家康の陣中見舞いを行った。関東からの帰り道、墨俣の渡船場付近(長良川)で西軍の石田三成軍に襲われたが、安八・墨俣などの15か村の信徒によってかくまわれた場所とされている。その際に、もはやこれまでかと思い、…
- more
- 上石津郷土資料館
-
- 西濃
- 国史跡の西高木家陣屋跡に建つ資料館。上石津で出土した石器、民俗資料、動植物の標本を展示するほか、「島津の退き口」の紹介もしています。
- more
- 薩摩池 <島津の退き口ゆかりの地>
-
- 西濃
- 島津義弘隊が布陣した際に軍用として使用した小さな池で、古来より水が枯れたことはないと言われています。関ケ原合戦の勝敗がついた後、島津隊は敵中突破の撤退にて、伊勢街道を走り抜けました。
- more
- 島左近陣跡
-
- 西濃
- “三成に過ぎたるもの”と言われた島左近は関ケ原の合戦前日、兵500を率いて挑んだ岐阜県大垣市「杭瀬川の戦い」で勝利し、西軍の士気を高め、当日は笹尾山の麓に布陣します。開戦後、攻め寄る黒田長政や細川忠興ら東軍を幾度も押し返す活躍を見せましたが…
- more
- glampark海津温泉(グランピング施設)【海津市】
-
- 西濃
- 美しく豊かな自然を背景に、 憩いと安らぎをあたえる空間 「glampark 海津温泉」 が令和6年3月に誕生いたしました。海津市は、のどかな田園風景と三本の大河が寄り添う自然豊かなまちです。ゆったりと流れる時間に、身を委ねてのんびりと贅沢な時間をお過ごしいただけ…
- more
- 黒田長政お手植えの銀杏の木・五明稲荷神社
-
- 西濃
- 天正6年(1578)、羽柴秀吉が播磨平定を進める中三木城攻めのおり、織田家家臣の荒木村重が摂津で謀反を企てました。村重と旧知であり、秀吉の部下であった黒田官兵衛が説得に当たりましたが、逆に石牢に幽閉されてしまいます。黒田官兵衛が裏切り村重に寝返ったと判断…
- more
- 中山道と美濃路 垂井追分道標
-
- 西濃
- 宝永6(1709)年に建てられた追分の道標は、「中山道」と「美濃路」の大切な分岐点。中山道250余りの道標中、七番目に古いものです。☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路とし…
- more
- 長束正家陣跡
-
- 西濃
- 豊臣秀吉の仕え、高い算術能力で活躍し五奉行の一人。関ケ原の合戦では、伊勢方面から美濃へ転戦し、本戦では、南宮山に陣を構えたが、吉川広家にはばまれ、合戦に参戦することができず、領地である近江水口へ撤退した。
- more
- 関ケ原合戦の日
-
- 西濃
- 慶長5年9月15日、天下の覇権を狙う徳川家康率いる東軍と、阻止するために挙兵した石田三成率いる西軍が、関ケ原を舞台に天下分け目の決戦を繰り広げました。令和4年には日本記念日協会によって9月15日が「関ケ原合戦の日」に登録され、そのことを記念して毎年イベント…
- more
- 長良川サービスセンター【海津市】
-
- 西濃
- 長良川の自然に親しみ、水辺を利用した様々なスポーツやレクリエーションを楽しむことができます。カヌー体験コーナーは、基本的な操作方法をお教えするので、どなたでも気軽に乗っていただけます。春・秋にはこの長良川で交流レガッタの大会が行われます。芝生広場で…
- more
- 三輪神社
-
- 西濃
- 三輪神社(みわじんじゃ)は揖斐郡の総鎮守として古来から崇められてきました。5月連休には揖斐祭りが華々しく斎行され、境内には五台の豪華絢爛な山車が揃い子供歌舞伎が上演されます。神武天皇の御世、諏訪神社のご祭神 武御名方富命が当地に三輪明神を祀られたと伝…
- more
- 栗原九十九坊跡(長宗我部盛親陣跡)
-
- 西濃
- 栗原九十九坊跡は、栗原山の山頂部から東山麓に広がる大規模な寺院群です。栗原九十九坊跡との関係が想定される清水寺跡に近接しています。長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとな…
- more
- 法雲寺 (法雲禅寺)
-
- 西濃
- 美濃国最後の守護、土岐頼芸は岐礼郷の東春庵で生涯を終えました。墓が法雲寺門前にあります。
- more
- 稲葉一鉄の墓・月桂院
-
- 西濃
- 稲葉一鉄(「頑固一徹」という言葉の語源である説が有力)は、土岐家、斉藤家、織田家、豊臣家に仕えた。美濃国曽根城主。安藤守就、氏家直元と併せて「西美濃三人衆」と称され、特に稲葉一鉄(良通)は、三人衆筆頭とされた。大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場。揖斐…
- more
- 日吉神社
-
- 西濃
- 日吉神社は、町の中心にあって「神戸山王まつり」の舞台ともなる、文化遺産と歴史の宝庫です。弘仁8年(817年)に伝教大師が創建した神社で、近江坂本の日吉大権現を主神として7柱の神が祀られています。神社境内には、神仏習合の名残の三重塔が建立され、国の重要文…
- more
- 西首塚
-
- 西濃
- 「西首塚」は、JR関ケ原駅前から国道21号線を西へ700mほど行ったところにあります。「東首塚」と同様、当時この地の領主であった竹中重門が徳川家康の命により、関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。現在は高さ2m、周囲30m程の塚ですが、JR東海道本線の敷…
- more
- 白拍子谷 <島津の退き口ゆかりの地>
-
- 西濃
- 烏頭坂で重傷を負った島津豊久公を、家臣・川口運右衛門の意を受けた三輪内助入道一斉がこの地に案内したが、豊久公は自刃して果てた。白拍子谷は、伊勢街道(伊勢西街道)を入った名及集落の南を流れる堂木川の対岸にあり、小さな標柱が立つのみで、辺り一帯はひっそ…
- more