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- 西濃
- 小西神社

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- 西濃
- 1600(慶長5)年関ヶ原合戦に敗れた小西行長は春日中山へ逃げ、観音寺で匿われたが、捕らえられ、中山に騙されたと思いこんだ行長は強い恨みを持った。それから度々大火が起こるようになり、これを小西行長の祟りと恐れた中山では墓を作り、寺に祀って大改装を行…
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- 森部川古戦場薬師堂

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- 西濃
- 永禄4年、織田信長は西美濃を征服しようと、本郷村より長良川を渡って森部村に進出し、斉藤龍興の軍と戦いました。斉藤軍6000人に対し、織田軍1500人で戦い、墨俣の下宿から押し寄せてきた斉藤軍を信長は見方を三手に分け、敵を挟み撃ちにして破りました。この戦いで…
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- 冠山の紅葉

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- 西濃
- 岐阜県と福井県にまたがる奥美濃唯一の岩峰、「冠山」。 標高は1256.6m、独特の形をしていて、山頂からは360度の展望が得られます。冠山峠に車を止めて、登ること約2時間ほどで頂上です。 飛騨・美濃紅葉33選にも選ばれた紅葉は、一斉に紅葉したブナ林と青…
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- 樫原城跡 津島神社

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- 西濃
- 樫原城跡は、令和2年1月の調査で「戦国時代後半の山城」と確認されました。地域に伝わる古い記録には、「永禄のころ、秀吉の長島攻めのとき、樫原に陣を置いた。永禄の頃、三輪三人衆の一人、佐渡が樫原に住んだ。」と書かれています。「明智氏一族宮城家相伝図書」(…
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- 野古墳群

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- 西濃
- 大野町に点在する200基を超える古墳の中でも5世紀後半から6世紀初頭(今からおよそ1500年前)にかけて造営された野集落西方にある古墳群。この時代にこれだけの規模の古墳が密集して造営されることは稀なため、国の史跡に指定されています。古墳群成立当時は、もっと…
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- 法雲寺 (法雲禅寺)

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- 西濃
- 美濃国最後の守護、土岐頼芸は岐礼郷の東春庵で生涯を終えました。墓が法雲寺門前にあります。
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- 揖斐二度ザクラ

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- 西濃
- 「二度桜」の名は、1年に2度咲くという意味ではなく、外側が花盛りになる頃つぼみが現れ、外側の花びらがしぼむ頃芯のつぼみが開花することから付けられました。一本の樹に一重咲き、八重咲き、二段咲きの三通りの咲き方を枝によってする珍しい桜で、学術的にも貴重…
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- 竹中公園の桜

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- 西濃
- 西美濃もみじ街道沿いにあり、谷汲踊保存会の会長を務めた竹中義雄氏により整備された施設公園。山の斜面を利用して桜などの木々が植栽されており、桜の開花時期や紅葉の時期には特に美しい景色が鑑賞できる。※毎年見頃は、4月上旬~4月中旬頃です。
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- 聖蓮寺の八房梅

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- 西濃
- 関ケ原町今須地区の平井集落に所在する「八幡山 聖蓮寺(しょうれんじ)」には、町・県指定天然記念物の「八房梅(やつふさうめ)」と呼ばれる梅の木があります。これは鎌倉時代、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が関東から京都へ帰る際、この寺に立ち寄り、食事のもて…
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- MILAND FARM

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- 西濃
- 地下156mから汲み上げた綺麗で安全な天然水を使い、徹底した管理で大切に育てられたブルーベリー。ブルーベリー狩りでは、パテント種も含む数種のブルーベリーの食べ比べが楽しめます!併設のカフェでは、オープンエアなスペースで地元食材で作るメニューでのんびりカ…
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- 松平忠吉・井伊直政陣跡

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- 西濃
- 関ケ原の合戦で、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉(徳川家康の四男)に手柄を立てさせたい一心でした。東軍先鋒は、福島隊と決まっていましたが、午前8時頃に福島隊の先頭隊長の可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊…
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- 垂井一里塚・茶所

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- 西濃
- 垂井一里塚・・・徳川家康は、街道整備のため慶長九(1604)年に主要街道に一里塚の設置を命じた。国の史跡に指定された一里塚は、中山道では垂井一里塚と東京都板橋区志村の一里塚の2ケ所だけ、交通史上重要な遺跡となっている。日守の茶所・・・江戸末期、岩手の美…
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- 浅野幸長陣跡

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- 西濃
- 浅野幸長は、五奉行・浅野長政(北政所の義兄)の長男として生まれ、豊臣家とは親戚関係。秀吉の死後、五奉行の石田三成と対立、石田三成襲撃事件に参加。関ケ原の戦いでは、豊臣秀吉恩顧でありながら父長政と共に東軍に参加し、先鋒を務め岐阜城攻略。本戦では、現在…
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- 史跡 西高木家陣屋跡

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- 西濃
- 近世陣屋として良好に残る石垣・墓所・地下機構・建造物などの現地遺構に加え、絵図類を含む膨大な量の古文書群が残り、近世幕藩領主の姿を豊富な資料によって現在に伝える全国的にも貴重な遺跡です。
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- 平塚為広碑

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- 西濃
- 平塚為広碑は「大谷吉継陣跡」の山を下りて道の東側にあります。関ケ原に隣接した美濃垂井(1万2千石)を治めていたこともあってか、合戦ではいち早く西軍として参戦しました。その背景には大谷吉継と為広が盟友であったという話もあるようで、合戦当日は大谷隊前方に…
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- 脇坂安治陣跡

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- 西濃
- 関ケ原の南方、現在の名神高速道路と黒血川との間、松尾山のふもとに「脇坂安治陣跡」はあります。脇坂安治は朽木元綱・小川祐忠・赤座直保とともに西軍として布陣しましたが、小早川秀秋隊が寝返ると4隊とも大谷隊へ攻撃をしかけ、最終的には東軍を勝利に導きました…
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- 大津谷梅園

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- 西濃
- 大津谷公園の敷地内にある「大津谷梅園」はピンクや白の梅の花を見ながら散歩を楽しむことができます。池田山の麓にある大津谷に是非お越し下さい!
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- 渡辺酒造醸

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- 西濃
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- 細川忠興陣跡

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- 西濃
- 父・幽斎(藤孝)とともに当代一流の文化人として知られ、千利休の高弟である「利休七哲」にも名を連ねました。豊臣恩顧の武将でしたが、石田三成とは仲が悪く、この関ケ原の合戦では最初から東軍として参戦しました。というのも、徳川家康が会津征伐のため大坂を留守…
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- 本多忠勝陣跡

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- 西濃
- 徳川四天王である本多忠勝は、三方ヶ原・長篠の合戦等で数々の功を上げた猛将で勇猛なだけではなく知略も備えた名将でした。さらには、政治家としても力量を発揮し、特に人心掌握に努めて領民の敬愛を集めたといういわれもあります。その忠勝の陣跡は「十九女池」の西…
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