徳川家康最後陣跡 ・ 床几場
「厭離穢土欣求浄土」
「徳川家康」は、合戦当日の午前11時頃、戦況が把握できないため、笹尾山の「石田三成」の陣の正面であるこの陣地に本陣を移しました。
一説には、ここから松尾山の「小早川秀秋」を鉄砲で威嚇したと言われています。
合戦後は、ここで首実検が行われました。(床几場)
「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」
※意味) 戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦い、国土が穢れている。
その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土を願い求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成す。
基本情報
- 住所
- 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原959-2
- アクセス
- JR関ケ原駅より徒歩10分
- ウェブサイト
- 備考
- 駐車場なし(近隣に歴史民俗資料館Pなどあり)