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- 戦国・城郭
- 杭瀬川古戦場

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
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- 御嵩城址

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- 岐阜・中濃
- 御嵩城には、権現山城と本陣山城の2つの城があり、築城年代は不詳ですが、小栗信濃守という武将の居城だったといわれています。伝承によれば、金山城主森長可は権現山城に大軍をもってたびたび攻め込みましたが、権現様のお使いの白い大蛇が霧を出して阻み、攻略でき…
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- 妙應寺

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- 西濃
- 今須宿の中ほど、国道21号線の高架を越えたところに「妙応寺」があります。この寺は室町時代の初め、正平15年(1360年)に、今須領主長江重景が、亡き母・妙応のために創建した県下で最も古い曹洞宗寺院です。門扉には菊花紋章が埋め込まれ、荘厳な本堂が建ち、五百羅…
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- 大谷吉継の墓・湯淺五助の墓

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- 西濃
- 「大谷吉継の墓」は、平塚為広の碑より山道を15分ほど登った場所にあります。その墓はひっそりと吉継の側近「湯淺五助の墓」と一緒に建っています。石田三成の盟友だった大谷吉継は、病身を押して関ケ原の合戦に参戦し、三成への『義』を貫きます。吉継は藤堂・京極隊…
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- 円徳寺

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- 岐阜・中濃
- 円徳寺は、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。天文16年(1547年)、織田信秀公(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三公に大敗し約5000人の戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築…
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- 土岐高山城跡

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- 東濃
- 鎌倉時代に高山伊賀守秀頼が築城したとされますが、詳細は不明です。戦国時代では、平井氏ー森氏の居城となり、関ケ原の合戦の際には西軍方の田丸直昌(岩村城主)の支城となっています。直昌は、東濃の戦い(関ケ原の合戦時に東濃地方で行われた一連の戦い)で妻木氏…
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- 毛利秀元陣跡

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- 西濃
- 毛利秀元は、穂井田元清(毛利元就の四男・毛利元清)の長男として生まれる。関ケ原合戦では、西軍に属し毛利輝元の名代として南宮山に布陣。一族の吉川広家らの内通により、合戦では動けず参加できませんでした。(西軍敗戦の要因の1つ)合戦後は、吉川広重の思惑が…
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- 烏頭坂 島津豊久碑 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦終盤、陣から敵中突破を図り、徳川家康の本陣をかすめて伊勢街道へ進んだ島津隊。東軍の追撃は、激しく先手を務めていた島津豊久公が殿(しんがり)にまわり、烏頭坂で井伊直政・松平忠吉らを迎え撃ちました。島津義弘公は、伊勢街道(伊勢西街道)へと逃…
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- 関ケ原古戦場 開戦地

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- 西濃
- 関ケ原合戦当日の朝、霧が薄くなったのをきっかけに松平・井伊隊が、先峰の福島隊の脇を通り抜け、宇喜多隊の前へ進出し発砲。この井伊隊の抜け駆けに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を行い、この開戦地で関ケ原合戦開戦の火ぶたが切られました。「徳川四…
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- 松尾山城跡・小早川秀秋陣跡

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- 西濃
- 松尾山城は小早川秀秋が布陣した山城としても有名です。関ケ原の戦いにおいて、優柔不断の裏切り者と酷評されることが多い小早川秀秋ですが、実際には勇猛果敢で、領民からも慕われる統治手腕を持った有能な武将だったといいます。当時19歳という若さで1万5千の兵を従…
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- 伊木山城

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- 岐阜・中濃
- 永禄八年(1565)、織田信長が尾張から美濃に攻め込む際、最初に侵攻した城です。信長は斎藤方の鵜沼城・猿啄城を攻めるため、まず伊木山城を攻略し、足掛かりとしました。伊木山城攻略に活躍した「伊木清兵衛」はその後、池田恒興・池田輝政に仕え、家老として関ヶ原…
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- 道三塚

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- 岐阜・中濃
- 斎藤道三公は、長男斎藤義龍公との「長良川の戦い」で討死にし、その遺体が道三塚に葬られました。斎藤家の菩提寺であった常在寺の日椿上人が、現在の地に移し、供養碑を建てたといわれています。麒麟がくる、明智光
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- 黒野城跡

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- 岐阜・中濃
- 文禄3年(1594年)、加藤貞泰が美濃国4万国に封じられた際に築城後、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いで加藤貞泰は、東軍(徳川方)に属し、慶長15年(1610年)には2万石加増され伯耆国(ほうきのくに)米子6万石の城主になりました。加藤貞泰の転封後は、黒野は加納藩…
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- 可児市観光交流館

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- 岐阜・中濃
- 山城めぐりの拠点施設及び観光案内所として、平成30年4月にリニューアルオープンしました。館内1階は、戦国時代の本陣をイメージした内装であり、陣幕や甲冑、槍や弓などが展示されています。展示の甲冑はすべて着ることができ、さらに、甲冑や忍装束を着て、美濃…
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- 山口城跡

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- 岐阜・中濃
- 標高345mの権現山の山頂に平場が築かれています。これが山口城跡です。江戸時代初期の『美濃国諸旧記』によると鎌倉時代初期に梶原景時が城主であったと記されています。ここは谷汲街道と越前街道が交差し、根尾川が濃尾平野に注ぎ込む交通、軍事、治水の要所とな…
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- 吉川広家陣跡

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- 西濃
- 毛利軍(毛利秀元)の西軍参加に一族最年長として反対し続け、家康と密かに通じた上で南宮山に布陣する。
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- 金幣社 八王子神社

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- 東濃
- 平安時代に創建され千年を超える歴史を持つ郷土の産土神です。現在の社殿は、延宝四年(1678年)、領主遠山伊次公による造営で、県の重要文化財に指定されています。唐門は白鷹城(明知城)の城門を移築したものとされています
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- 妻木城跡

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- 東濃
- 妻木城は、14世紀に土岐頼貞の孫土岐明智彦九郎頼重が築いたとされています。その後、一族である妻木氏が領主となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに西軍である岩村城主の田丸勢を破った功績で7,500石を所領しました。城は山頂を中心に約200メートル四方の範囲に、…
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- 竹中半兵衛公生誕之地

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- 西濃
- 大野町公郷は秀吉旗下の天才軍師、竹中半兵衛重治の出生地と伝えられてきました。半兵衛の出生地には諸説ありますが、垂井町明泉寺から発見された古文書「過現二世牒」には、半兵衛重治は、天文13年(1544)、竹中遠江守重元の長子として、大御堂城(現大野町公郷)に…
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- 島左近陣跡

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- 西濃
- “三成に過ぎたるもの”と言われた島左近は関ケ原の合戦前日、兵500を率いて挑んだ岐阜県大垣市「杭瀬川の戦い」で勝利し、西軍の士気を高め、当日は笹尾山の麓に布陣します。開戦後、攻め寄る黒田長政や細川忠興ら東軍を幾度も押し返す活躍を見せましたが…
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