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- 戦国・城郭
- 池田輝政 鎧かけ松・八剣神社

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- 岐阜・中濃
- 1600年(慶長5年)8月22日、米野の戦い(関ヶ原の合戦の前哨戦の一つ)を終えた池田輝政の軍勢が、岐阜城攻防戦(関ヶ原の合戦の前哨戦の一つ)へと向かう途中に休息をとった場所が八剣神社です。池田輝政が、松に鎧を掛けて休んだことから「鎧かけ松」と言われていま…
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- 岐阜関ケ原古戦場記念館

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- 西濃
- 慶長5年(1600)に関ケ原の戦いが繰り広げられた場所として有名な岐阜県関ケ原町。令和2年10月に関ケ原の戦いの全てが理解できる、最新技術を結集した体験型の施設「岐阜関ケ原古戦場記念館」がオープンしました。足元に移されるスクリーンの映像を見ることで、関ケ原…
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- 雲龍寺

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- 飛騨
- もとは720年に創建された妙観寺(みょうかんじ)という寺院でしたが衰退し、1395年頃、曹洞宗雲龍寺として再建されました。本能寺の変で戦死した飛騨国主 金森長近(かなもりながちか)の長男 長則(ながのり)の菩提寺であり、1590年頃に長近が建物を修営したと伝わ…
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- 素玄寺

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- 飛騨
- 1609年、初代高山城主であった金森長近(かなもりながちか)の菩提寺として、二代目金森可重(かなもりありしげ)が建立したもの。長近の法号にちなんで素玄寺となりました。金森家ゆかりの寺として知られ、長近が用いていた軍扇や采配等のほか、肖像画を所蔵していま…
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- 大雄寺

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- 飛騨
- もとは吉城郡上広瀬村(現高山市国府町)にありましたが、1586年に金森長近によって、現在の地に移され、浄土宗の寺となりました。鐘堂は1689年に建てられた飛騨地方最古のものです。
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- 山口城跡

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- 岐阜・中濃
- 標高345mの権現山の山頂に平場が築かれています。これが山口城跡です。江戸時代初期の『美濃国諸旧記』によると鎌倉時代初期に梶原景時が城主であったと記されています。ここは谷汲街道と越前街道が交差し、根尾川が濃尾平野に注ぎ込む交通、軍事、治水の要所とな…
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- 佐藤才治郎方政公及び武将の塔

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代、美濃・上有知(こうずち)一帯を治めた鉈尾山城三代目城主「佐藤才治郎方政(さとうさいじろうかたまさ)」公。新加納の戦いでは織田秀信と共に西軍として戦いましたが、関ケ原の合戦で西軍が敗れると領地を失い、最後は従臣とともに「日龍峯寺(高澤観音)…
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- 小島城跡

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- 飛騨
- 小島城は姉小路三家の一角・小島氏の居城です。高原郷と小島郷を結ぶ神原峠の峠道が脇を通る交通の要衝に位置します。ここには算木積みといわれる石垣がありますが、旧来の飛騨の山城には見られないものです。そのため小島城は金森氏が改修した可能性があるといわれて…
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- 古川城跡

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- 飛騨
- 古川城は、姉小路三家の一角・古川氏の居城と言われています。金森氏が飛騨に侵攻して三木氏を滅ぼしてから増島城を築城するまで、ここを拠点としたと伝わります。 主郭と帯曲輪(おびぐるわ)(主郭を取巻く郭)の切岸の斜度・高さの規模はすさまじく、また、東側…
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- 連理の榊

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- 西濃
- 国の天然記念物指定を受けたサカキで、推定樹齢300~400年の大木。根本は二幹に分かれていますが、枝が絡み合って一体になっていることから、連理の榊とわれています。関ヶ原合戦時には西軍の長宗我部盛親がこの辺りに陣を張りました。
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- 黒田長政お手植えの銀杏の木・五明稲荷神社

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- 西濃
- 天正6年(1578)、羽柴秀吉が播磨平定を進める中三木城攻めのおり、織田家家臣の荒木村重が摂津で謀反を企てました。村重と旧知であり、秀吉の部下であった黒田官兵衛が説得に当たりましたが、逆に石牢に幽閉されてしまいます。黒田官兵衛が裏切り村重に寝返ったと判断…
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- 毛利秀元陣跡

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- 西濃
- 毛利秀元は、穂井田元清(毛利元就の四男・毛利元清)の長男として生まれる。関ケ原合戦では、西軍に属し毛利輝元の名代として南宮山に布陣。一族の吉川広家らの内通により、合戦では動けず参加できませんでした。(西軍敗戦の要因の1つ)合戦後は、吉川広重の思惑が…
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- 栗原九十九坊跡(長宗我部盛親陣跡)

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- 西濃
- 栗原九十九坊跡は、栗原山の山頂部から東山麓に広がる大規模な寺院群です。栗原九十九坊跡との関係が想定される清水寺跡に近接しています。長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとな…
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- 菩提山城跡

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- 西濃
- 竹中半兵衛の居城が構えられた菩提山は、竹中氏陣屋の北西にあります。標高402mの山頂にあり、2.7kmのハイキングコースを登ります。山城跡は、南北約260m・東西最大60mと広大な広さでした。
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- 長宗我部盛親陣跡

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- 西濃
- 長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとなる。南宮山に陣を敷いたが毛利軍が動かず、戦わずして引き上げた。西軍主力の一角として、南宮山に布陣した。
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- 長束正家陣跡

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- 西濃
- 豊臣秀吉の仕え、高い算術能力で活躍し五奉行の一人。関ケ原の合戦では、伊勢方面から美濃へ転戦し、本戦では、南宮山に陣を構えたが、吉川広家にはばまれ、合戦に参戦することができず、領地である近江水口へ撤退した。
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- 安国寺恵瓊陣跡

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- 西濃
- 安国寺恵瓊は、毛利輝元公を西軍の大将にまつりあげることに成功する。関ケ原の合戦では、西軍として南宮山に布陣。吉川広家等の裏切りにより傍観軍になる。合戦後、石田光成公らとともに京都六条河原で斬首されました。
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- 南宮大社

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- 西濃
- 美濃の国の一の宮。「鉱山・金属業の総本宮」として深い崇敬を集めています。慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦で全社殿を焼失しますが、寛永19年(1642年)、将軍徳川家光によって再建されました。和様と唐様を折衷した独特の「南宮造」と呼ばれる建築様式で、建造物1…
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- 吉川広家陣跡

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- 西濃
- 毛利軍(毛利秀元)の西軍参加に一族最年長として反対し続け、家康と密かに通じた上で南宮山に布陣する。
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- 池田輝政陣跡・春王安王墓

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- 西濃
- 岐阜城攻略で二の丸一番乗りを果たした池田輝政は、関ケ原合戦では、南宮山の軍勢に備えて布陣しました。陣跡の石碑は、室町時代の史跡である春王・安王の墓と同じ敷地に建っています。その後、輝政公は、姫路藩初代藩主として姫路城を現在残る姿に大規模に修築します…
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