岐阜の
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- 戦国・城郭
- 今尾城跡
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- 西濃
- 東軍 市橋長勝の居城。長勝は、福束城の戦いで奇計をめぐらし、東軍を勝利に導きました。今尾小学校のあたりが本丸跡で、校内に石碑と案内板があります。南美濃の戦いでは、松ノ木城主・徳永寿昌と共に福束城(城主 丸茂兼利)を落城させます。今尾藩初代当主の竹腰…
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- 瑠璃光禅寺 <島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 瑠璃光禅寺(瑠璃光寺)本堂には、島津豊久公の位牌がおさめられているほか、ゆかりの梵鐘もあります。この寺の裏手の森の中には、島津塚と呼ばれる豊久公の五輪塔が祀られています。関ケ原の合戦、伊勢街道から薩摩への道は、まだまだ続く!! ※島津豊久公自害…
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- 南泉寺
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- 岐阜・中濃
- 永正14年(1517年)に当時の守護・土岐政房(頼武・頼芸の父)が、仁岫宗寿を招いて「土岐氏の菩提寺」として開山しました。頼武の長男である頼純が、天文16年(1547年)に亡くなった際は、この寺に葬られたといい寺内には頼純の墓があります。頼芸が大桑城主の時代は…
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- 金幣社 八王子神社
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- 東濃
- 天照大神の八人の王子を祀り、平安時代の天暦三年(949)に創建された千年を超える歴史をもつ産土神。○柿本人麻呂社と明智光秀公手植えの楓万葉の歌人、柿本人麻呂を祭神とする社殿。伝承によれば、文武を志す明智光秀公が学問所には天神を八王子神社には人麻呂を祀り…
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- 崇禅寺
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- 岐阜・中濃
- 崇禅寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、1354年(文和3年)に、初代妻木城主とされる土岐頼重が、果山禅師を開山として創建しました。妻木城主代々の位牌や墓所があります。岐阜県や土岐市指定の文化財が多数保存されています。
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- 竹中半兵衛公の像と垂井町観光案内所
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- 西濃
- 竹中半兵衛の銅像は、JR垂井駅北口ロータリーの他、竹中家陣屋門の前とタルイピアセンター内玄関、垂井町の3箇所でご覧いただけます。垂井駅北口ロータリーにある「垂井町観光案内所」では、垂井抜きに関ケ原の合戦は語れないなど各種パンフレットを入手でき、又、…
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- 小原城址
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- 岐阜・中濃
- 小原集落の中央部にある白山神社の奥山一帯に城の遺構が残っています。城の規模は小規模で、小倉の姓を名乗る一族が城主であったと伝えられています。普段は神社西側の小倉屋敷(跡)で生活をし、有事のときのみ城を利用していた言われています。現在でも曲輪、堅堀、…
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- 乱闘橋の戦い跡 乱闘橋供養塔
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- 岐阜・中濃
- 慶長5年(1600年)8月、西軍・織田秀信(織田信長の嫡孫・三法師)と東軍・池田輝政が戦い、橋は乱闘橋と呼ばれるようになりました。現在、このあたりにあった乱闘橋はありませんが乱闘橋供養塔があります。乱闘橋があった境川は、1185年の大洪水で流れが変わる前は木…
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- 長宗我部盛親陣跡
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- 西濃
- 長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとなる。南宮山に陣を敷いたが毛利軍が動かず、戦わずして引き上げた。西軍主力の一角として、南宮山に布陣した。
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- 関ケ原町歴史民俗学習館
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- 西濃
- 2020年10月にリニューアルし、関ケ原町歴史民俗学習館として新しい施設になりました。2階の体験展示室の常設展では、関ケ原の産業や人々の生活について、昔の懐かしい民具を通して学ぶことができます。同じく2階の地域展示室の常設展では、関ケ原の縄文時代からの歴史…
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- 薩摩池 <島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 島津隊が、布陣した際に軍用として使用した小さな池です。古来より水が枯れたことはないと言われています。これより、伊勢街道を走り続ける!!
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- 赤坂宿本陣跡・本陣公園
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- 西濃
- 江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は、およそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものでした。文久元年10月25日、皇女和宮がここに泊したことは有名です 。(皇女和宮ゆかりの地)
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- 竹ヶ鼻城跡
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- 岐阜・中濃
- 羽島市歴史民俗資料館(竹鼻別院前)の敷地内に竹ヶ鼻城跡の石標は立っています。応仁年間に武腰伊豆守が竹ヶ鼻城を築城したと云われています。その後、不破源六広綱が城主時代に、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による「水攻め」があったことで知られてます。竹ヶ鼻城跡の…
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- 安国寺恵瓊陣跡
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- 西濃
- 安国寺恵瓊は、毛利輝元公を西軍の大将にまつりあげることに成功する。関ケ原の合戦では、西軍として南宮山に布陣。吉川広家等の裏切りにより傍観軍になる。合戦後、石田光成公らとともに京都六条河原で斬首されました。
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- 松平忠吉・井伊直政陣跡
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- 西濃
- 関ケ原の合戦で、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉に手柄を立てさせたい一心でした。東軍先鋒は、福島隊と決まっていましたが、午前8時頃に福島隊の先頭隊長の可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊へ発砲し開戦となり…
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- 黒田長政・竹中重門陣跡 / 岡山 ( 丸山 ) 烽火場
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- 西濃
- 標高164mの丘陵地・岡山に竹中重門は、黒田長政とともに陣を取り戦機を見て狼煙を上げました。ここは、戦況が把握しやすく関ケ原の合戦の「開戦の狼煙」を上げるには好適地。現在も山頂からは関ケ原のまちや辺り一帯を一望することができます。
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- 加賀野井城跡
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- 岐阜・中濃
- 慶長5年(1600年)8月22日、木曽川下流の尾越に向かった福島正則・細川忠興・黒田長政・田中吉政・藤堂高虎らの東軍約16000は、対岸に西軍が柵を設けて待ち構えているため、さらに下流の加賀野井から密かに渡河し、城主不在の加賀野井城を瞬く間に落としました。加賀…
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- 小里城跡
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- 東濃
- 土岐一族の支流である小里氏の居城で、岐阜県指定史跡。戦国時代末期には、小里光明らが織田信長の直臣として活躍しました。山頂部には小里城と安土城にしか見られない多角形の天守台があり「小里城は安土城を建てる前に試しに造られたのではないか」という興味深い説…
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- 野原城趾
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- 岐阜・中濃
- 天正元年(1573年)東濃制覇をめざす苗木遠山氏に攻められ陥落した城の跡。ここからの眺めは一見の価値があります。鉄道ファンにはたまらない撮影スポット。四季折々の景色をバックに、川沿いを走る車両は絶好の被写体になるはずです。
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- 大良の戦い 金矮鶏神社・大浦城跡・大浦の蛇
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- 岐阜・中濃
- 大浦城跡(大浦の寺砦跡)は、一名聖徳寺砦とも言われています。弘治2年(1556年)4月、織田信長(道三の娘婿)は、斎藤道三と嫡子 義龍が争った「長良川の戦い」に道三の援軍として木曽川を越え「大良(現・岐阜県羽島市正木町大浦周辺)」へ進軍します。父 道三を破…
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