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- 戦国・城郭
- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、伯父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり、目印にな…
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- 安国寺恵瓊陣跡

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- 西濃
- 安国寺恵瓊は、毛利輝元公を西軍の大将にまつりあげることに成功する。関ケ原の合戦では、西軍として南宮山に布陣。吉川広家等の裏切りにより傍観軍になる。合戦後、石田光成公らとともに京都六条河原で斬首されました。
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- 池田輝政陣跡・春王安王墓

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- 西濃
- 岐阜城攻略で二の丸一番乗りを果たした池田輝政は、関ケ原合戦では、南宮山の軍勢に備えて布陣しました。陣跡の石碑は、室町時代の史跡である春王・安王の墓と同じ敷地に建っています。その後、輝政公は、姫路藩初代藩主として姫路城を現在残る姿に大規模に修築します…
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- 大良の戦い 金矮鶏神社・大浦城跡・大浦の蛇

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- 岐阜・中濃
- 大浦城跡(大浦の寺砦跡)は、一名聖徳寺砦とも言われています。弘治2年(1556年)4月、織田信長(道三の娘婿)は、斎藤道三と嫡子 義龍が争った「長良川の戦い」に道三の援軍として木曽川を越え「大良(現・岐阜県羽島市正木町大浦周辺)」へ進軍します。父 道三を破…
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- 長宗我部盛親陣跡

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- 西濃
- 長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとなる。南宮山に陣を敷いたが毛利軍が動かず、戦わずして引き上げた。西軍主力の一角として、南宮山に布陣した。
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- 鶴ヶ城跡

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- 東濃
- 明智光秀を輩出した土岐一族によって築城されたと伝わり、岐阜県指定史跡にも登録されています。天正10年(1582年)、織田勢の甲斐への侵攻(武田征伐)の際に信長とともに明智光秀も鶴ヶ城に立ち寄ったといわれています。鶴ヶ城は、武田氏に対する織田方の中心的な砦でし…
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- 松平忠吉・井伊直政陣跡

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- 西濃
- 関ケ原の合戦で、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉(徳川家康の四男)に手柄を立てさせたい一心でした。東軍先鋒は、福島隊と決まっていましたが、午前8時頃に福島隊の先頭隊長の可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊…
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- 久々利城跡

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- 岐阜・中濃
- 久々利城は、美濃に勢力を誇った土岐氏の支流である久々利氏の居城と伝えられています。正確な築城年代は不明ですが、築城された時期の上限は14世紀半ばの南北朝時代まで遡ることができます。天正11年(1583)、美濃金山城主である森長可の手により落城しました。築城…
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- 高原郷土館(神岡城)

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- 飛騨
- 町並みを見渡せる高台にある高原郷土館は、神岡城・旧松葉家住宅・鉱山資料館の3施設からなります。かつて、金森氏の出城として使われた神岡城。現在の天守閣は、昭和45年に神岡町のシンボルとして建てられましたが、当時の遺構を残す壕や石塁などは、戦乱の往事を思…
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- 大谷吉継陣跡

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- 西濃
- 「大谷吉継陣跡」は、山中(やまなか)の「大谷吉継の墓」から少し下った場所にあり、ひっそりと碑が建っています。大谷隊は、関ケ原の合戦が始まる十日程前に「若宮八幡宮」上の急斜面に陣を作り始めました。この陣は、空堀を左右に巡らせ、山中城と呼ばれるほどの要害の地で…
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- 猿啄城

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- 岐阜・中濃
- 永禄8年(1565年)、織田信長の美濃攻めにより攻略され、川尻鎮吉(かわじりしげよし)が城主となりました。 その折に、地名を猿啄(さるばみ)から勝山に改めたといわれています。山頂までは徒歩30~40分ほど。 自然の中の散策が楽しめます。
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- 関ケ原・兜作りワークショップ

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- 西濃
- ダンボールを素材とした兜づくりワークショップを行います。徳川家康・石田三成の兜を元に開発されたキットを使用し、子どもから大人まで皆様お楽しみいただけるワークショップです。多くの方のご参加お待ちしております。開催日程9月6日(日)、10月25日(土)開催時…
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- 桜洞城

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- 飛騨
- 桜洞城は、戦国時代に益田一帯を制して、勢力を振るった三木氏の居城があったところ。三木氏が飛騨全域を統一して、高山盆地に城を築いてからは、ここを冬の宿地としたことから、「冬城」の名でも知られている。発掘調査の結果、城内の規模は南北約147m、東西約97m…
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- 赤坂宿本陣跡・本陣公園

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- 西濃
- 江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は、およそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものでした。文久元年10月25日、皇女和宮がここに泊したことは有名です 。(皇女和宮ゆかりの地)
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- 南泉寺

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- 岐阜・中濃
- 永正14年(1517年)に当時の守護・土岐政房(頼武・頼芸の父)が、仁岫宗寿を招いて「土岐氏の菩提寺」として開山しました。頼武の長男である頼純が、天文16年(1547年)に亡くなった際は、この寺に葬られたといい寺内には頼純の墓があります。頼芸が大桑城主の時代は…
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- 史跡 江馬氏館跡公園

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- 飛騨
- 「史跡江馬氏館跡公園」は、室町時代から戦国時代にかけて北飛騨を治めていたといわれる武将・江馬(えま)氏の館跡に、中世の武家館(下館跡の庭園、庭園を鑑賞する会所、主門、土塀など)が復元された歴史体験ゾーンです。 公園のある江馬氏の館跡周辺は、近世以降…
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- 顔戸城址

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- 岐阜・中濃
- 大河ドラマ「麒麟がくる」で注目を集める可児市北東部から御嵩町西部にかけて存在したとされる明智荘は、古来「明智八郷」と言われており、現在の御嵩町の古屋敷・顔戸、可児市の柿田・渕之上・平貝戸・瀬田・石森・石井の8つの集落を指します。この明智荘には、美濃…
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- 春日局出生地 (春日局公園)

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- 西濃
- 春日局公園徳川家光 公の乳母として、大奥の基盤を整えたと知られている「春日局(= お福)」母の兄は、「明智光秀」公 ・・・ とも言われています。父の「斎藤利三」公は、「明智光秀」公の重臣として本能寺の変、山崎の合戦で行動を共にした白樫城主(揖斐川…
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- 明智光秀公ブロンズ像

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- 岐阜・中濃
- 大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公 明智光秀が、出生地の故郷明智荘に438年の時を経てよみがえりました。高さは台座を含めて約4m30cm、鎧に陣羽織を羽織り、鉄砲を携えた迫力のある立像です。人々が穏やかに暮らせる、争いのない時代を願って可児から雄飛した…
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- 一日市場八幡神社

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- 東濃
- 土岐一族の始祖、源光衡が本拠となる館を構えた場所とされています。八幡神社の境内には、土岐一族であったとされる明智光秀の像が建てられています。
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