岐阜の
スポット・体験を探す
- 現在の検索条件
- 戦国・城郭
- 御嵩城址

-
- 岐阜・中濃
- 御嵩城には、権現山城と本陣山城の2つの城があり、築城年代は不詳ですが、小栗信濃守という武将の居城だったといわれています。伝承によれば、金山城主森長可は権現山城に大軍をもってたびたび攻め込みましたが、権現様のお使いの白い大蛇が霧を出して阻み、攻略でき…
- more
- 阿木城跡

-
- 東濃
- 「城」と聞くと、天守や石垣が連想されることでしょう。しかし、こうした施設を備えるのは織豊期(もしくは安土桃山時代)から江戸時代に築かれた城です。阿木城はそれ以前に築かれた戦国時代末期の城跡です。戦国時代末期の美濃国東部は、織田信長と武田信玄による争…
- more
- 城山公園

-
- 飛騨
- 飛騨高山の古い町並を抜け急な坂道を上っていくと城山公園にたどりつきます。この一帯には、かつて織田信長や豊臣秀吉に仕えた武将・金森長近が築いた高山城がありました。堅牢な城は戦国時代には「日ノ本屈指の山城」と称されたほど。金森家が上山へ移封されたため加…
- more
- 妙應寺

-
- 西濃
- 今須宿の中ほど、国道21号線の高架を越えたところに「妙応寺」があります。この寺は室町時代の初め、正平15年(1360年)に、今須領主長江重景が、亡き母・妙応のために創建した県下で最も古い曹洞宗寺院です。門扉には菊花紋章が埋め込まれ、荘厳な本堂が建ち、五百羅…
- more
- 栗原九十九坊跡(長宗我部盛親陣跡)

-
- 西濃
- 栗原九十九坊跡は、栗原山の山頂部から東山麓に広がる大規模な寺院群です。栗原九十九坊跡との関係が想定される清水寺跡に近接しています。長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとな…
- more
- 増島城跡(岐阜県指定史跡)

-
- 飛騨
- 増島城は、金森長近が飛騨国支配における古川盆地の押さえとして築いた平城です。高山藩2代目藩主・金森可重が初代城主を務めました。 現在は、古川小学校と飛騨市特別支援学校の間に、櫓台の石垣と堀の一部が残っています。櫓台の上には、増島天満神社(気多若宮神…
- more
- 山内一豊陣跡

-
- 西濃
- 旧中山道沿いにある「山内一豊陣跡」は、大きな松と山内家の三つ葉柏の軍旗が目印です。慶長5年(1600年)に徳川家康に従い会津の上杉景勝討伐の軍に参加した一豊は、関ケ原の戦いに際し、居城の掛川城を明け渡しての出陣となりました。岐阜・大垣の兵と戦い、野上に…
- more
- 円徳寺

-
- 岐阜・中濃
- 円徳寺は、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。天文16年(1547年)、織田信秀公(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三公に大敗し約5000人の戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築…
- more
- 黒田長政・竹中重門陣跡 / 岡山 ( 丸山 ) 烽火場

-
- 西濃
- 標高164mの丘陵地・岡山に竹中重門は、黒田長政とともに陣を取り戦機を見て狼煙を上げました。ここは、戦況が把握しやすく関ケ原の合戦の「開戦の狼煙」を上げるには好適地。現在も山頂からは関ケ原のまちや辺り一帯を一望することができます。~黒田と竹中の不思議…
- more
- 大谷吉継陣跡

-
- 西濃
- 「大谷吉継陣跡」は、山中(やまなか)の「大谷吉継の墓」から少し下った場所にあり、ひっそりと碑が建っています。大谷隊は、関ケ原の合戦が始まる十日程前に「若宮八幡宮」上の急斜面に陣を作り始めました。この陣は、空堀を左右に巡らせ、山中城と呼ばれるほどの要害の地で…
- more
- 濃姫遺髪塚

-
- 岐阜・中濃
- 濃姫は、斎藤道三と可児明智城主(現在の可児市)明智三継の娘で才色兼備と言われた小見の方(おみのかた・道三の正室)との間に生まれた。濃姫が信長と結婚後、どのような生活を送ったかは、資料が少ないためほとんどわかっていないが、本能寺の変で信長と共に亡くな…
- more
- 崇禅寺

-
- 東濃
- 崇禅寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、1354年(文和3年)に、初代妻木城主とされる土岐頼重が、果山禅師を開山として創建しました。妻木城主代々の位牌や墓所があります。岐阜県や土岐市指定の文化財が多数保存されています。
- more
- 十五社神社

-
- 岐阜・中濃
- 平安時代に創建された神社で、土岐氏が氏神として崇敬していました。天文9年(1540)に土岐氏が奉納した越前産笏谷石製の狛犬一対が現存しています。当時の朝倉氏は笏谷石を越前国外にほとんど持ち出さなかったことが分かっており、土岐氏と朝倉氏の深い関係が想像さ…
- more
- 織田塚

-
- 岐阜・中濃
- 天文16年(1547年)、織田信長の父・信秀が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三に大敗し、信長の叔父・信康を始めとした5,000人ともいわれる戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が築かれました。現在、織田塚は円徳寺境内(浄泉坊)と岐阜市霞町…
- more
- 南泉寺

-
- 岐阜・中濃
- 永正14年(1517年)に当時の守護・土岐政房(頼武・頼芸の父)が、仁岫宗寿を招いて「土岐氏の菩提寺」として開山しました。頼武の長男である頼純が、天文16年(1547年)に亡くなった際は、この寺に葬られたといい寺内には頼純の墓があります。頼芸が大桑城主の時代は…
- more
- 桜洞城

-
- 飛騨
- 桜洞城は、戦国時代に益田一帯を制して、勢力を振るった三木氏の居城があったところ。三木氏が飛騨全域を統一して、高山盆地に城を築いてからは、ここを冬の宿地としたことから、「冬城」の名でも知られている。発掘調査の結果、城内の規模は南北約147m、東西約97m…
- more
- 東首塚

-
- 西濃
- JR関ケ原駅のすぐ西の跨線橋を渡ると、左手に広葉樹の森がありその中に「東首塚」があります。朱色の大きな門を抜けると、その奥にスダジイの大木が茂った塚があります。この塚は関ケ原合戦後、徳川家康が床几場で首実検をし、その後東西2ヶ所に埋葬したことから「東…
- more
- 高須城跡

-
- 西濃
- 慶長5年(1600年)8月19日、西軍 高木盛兼の高須城は、福束城を落とした徳永寿昌に欺かれて落城しました。高須城跡公園を含む周辺一帯が、城跡で散策コースも整備されています。
- more
- 顔戸城址

-
- 岐阜・中濃
- 大河ドラマ「麒麟がくる」で注目を集める可児市北東部から御嵩町西部にかけて存在したとされる明智荘は、古来「明智八郷」と言われており、現在の御嵩町の古屋敷・顔戸、可児市の柿田・渕之上・平貝戸・瀬田・石森・石井の8つの集落を指します。この明智荘には、美濃…
- more
- 赤坂宿本陣跡・本陣公園

-
- 西濃
- 江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は、およそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものでした。文久元年10月25日、皇女和宮がここに泊したことは有名です 。(皇女和宮ゆかりの地)
- more
