岐阜の
スポット・体験を探す
- 現在の検索条件
- 戦国・城郭
- 関ケ原推しトリップ-知る旅-

-
- 西濃
- あなたの「推し武将」ゆかりの地を、専門ガイドの案内でじっくり巡る特別な日帰り旅行プラン「関ケ原推しトリップ-知る旅-」が登場!今回は「石田三成」「徳川家康」「大谷吉継」の3コースをご用意。記念館での学びと、リアルな古戦場の空気感。その両方がリンクした…
- more
- 於牧の方の墓所

-
- 東濃
- ここは、戦国武将・明智光秀公のご母堂 於牧の方(おまきのかた) の墓所です。天正三年、明智光秀は信長の命により丹波八上城を包囲しました。しかし城は容易に落ちず、やむなく和睦の交渉にあたり、母・於牧の方を人質として差し出しました。ところが、信長は光秀と…
- more
- 池田輝政陣跡・春王安王墓

-
- 西濃
- 岐阜城攻略で二の丸一番乗りを果たした池田輝政は、関ケ原合戦では、南宮山の軍勢に備えて布陣しました。陣跡の石碑は、室町時代の史跡である春王・安王の墓と同じ敷地に建っています。その後、輝政公は、姫路藩初代藩主として姫路城を現在残る姿に大規模に修築します…
- more
- 黒野城跡

-
- 岐阜・中濃
- 文禄3年(1594年)、加藤貞泰が美濃国4万国に封じられた際に築城後、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いで加藤貞泰は、東軍(徳川方)に属し、慶長15年(1610年)には2万石加増され伯耆国(ほうきのくに)米子6万石の城主になりました。加藤貞泰の転封後は、黒野は加納藩…
- more
- 濃姫遺髪塚

-
- 岐阜・中濃
- 濃姫は、斎藤道三と可児明智城主(現在の可児市)明智三継の娘で才色兼備と言われた小見の方(おみのかた・道三の正室)との間に生まれた。濃姫が信長と結婚後、どのような生活を送ったかは、資料が少ないためほとんどわかっていないが、本能寺の変で信長と共に亡くな…
- more
- 大谷吉継顕彰碑

-
- 西濃
- 富国強兵を掲げた明治期から戦時色を強めた昭和初期にかけて、関ケ原の合戦は、戦術・戦略研究の対象となり、古戦場では実際に演習も行われました。昭和15年(1940年)に不破古跡保存会によって顕彰碑は設置され、顕彰碑は大谷吉継の最後を武士道の模範として称える内…
- more
- 金幣社 八王子神社

-
- 東濃
- 平安時代に創建され千年を超える歴史を持つ郷土の産土神です。現在の社殿は、延宝四年(1678年)、領主遠山伊次公による造営で、県の重要文化財に指定されています。唐門は白鷹城(明知城)の城門を移築したものとされています
- more
- 飯沼勘平長資の墓

-
- 岐阜・中濃
- 飯沼勘平長資は、岐阜城主・織田秀信(三法師)に仕えた武将です。関ケ原の合戦の前哨戦、「米野の戦い」で多くの手柄を立てた当時21歳の武将(大垣 池尻城主の子)。東軍大将池田輝政の弟、池田長能と一騎打ちをして戦死しました。尚、南西約500mの場所には、米野の…
- more
- 島津越え(五僧峠)<島津の退き口ゆかりの地>

-
- 西濃
- 鈴鹿山系を縫うように広がる時山は、駒野越えで再び上石津に入った島津義弘本隊が、途中出会った織田秀信家臣の小林新六郎の案内で五僧峠を越えて近江高宮に向かった。険しい山道を上り、五僧峠を越えて甲賀から堺浦に出て船で薩摩に帰ったと記されています。五僧峠は…
- more
- 関ケ原推しトリップ -推す旅-

-
- 西濃
- 一生モノの思い出を作りたい歴史ファン必見!関ケ原の地で憧れの武将になりきれる贅沢なプレミアム体験プラン「関ケ原推しトリップ-推す旅-」が予約受付中です!!最大の魅力は、笹尾山交流館での「本格甲冑体験」リアルな武将姿へと変身し、笹尾山などの古戦場ロケー…
- more
- 垂井城跡

-
- 西濃
- 垂井城主の平塚為広公は、大谷吉継の配下として関ケ原の合戦に西軍として参戦する。関ケ原の合戦 大谷吉継に代わって活躍するが、力尽きる「垂井の泉」と「大ケヤキ」が隣接してあります。専精寺に石碑はありますが、推定地であり城跡は確認されておいりません。
- more
- 北天満山・小西行長陣跡

-
- 西濃
- 小西行長は約6000名の兵を率いて西軍につき、北国街道と東山道(中山道)の間に位置する北天満山に布陣し、合戦開始とともに烽火をあげて味方に合戦の合図をしました。西軍諸隊が総崩れした後は揖斐川町方面へ敗走しましたが、その後自首し、京都で石田三成らとともに…
- more
- 杭瀬川古戦場

-
- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
- more
- 法雲寺 (法雲禅寺)

-
- 西濃
- 美濃国最後の守護、土岐頼芸は岐礼郷の東春庵で生涯を終えました。墓が法雲寺門前にあります。
- more
- 卜全塚(氏家卜全の墓)【海津市】

-
- 西濃
- 氏家卜全は、戦国末期の大垣城主で織田信長に仕えており、当時西美濃三人衆といわれた実力者の一人でした。元亀元(1570)年、伊勢長島で勢力を誇っていた願証寺の門徒六万余は織田信長に反抗していた石山本願寺の寺に応じ尾張に攻め込んで織田信興(信長の弟)を…
- more
- 小里城跡

-
- 東濃
- 土岐一族の支流である小里氏の居城で、岐阜県指定史跡。戦国時代末期には、小里光明らが織田信長の直臣として活躍しました。山頂部には小里城と安土城にしか見られない多角形の天守台があり「小里城は安土城を建てる前に試しに造られたのではないか」という興味深い説…
- more
- 城山公園

-
- 飛騨
- 飛騨高山の古い町並を抜け急な坂道を上っていくと城山公園にたどりつきます。この一帯には、かつて織田信長や豊臣秀吉に仕えた武将・金森長近が築いた高山城がありました。堅牢な城は戦国時代には「日ノ本屈指の山城」と称されたほど。金森家が上山へ移封されたため加…
- more
- 樫原城跡 津島神社

-
- 西濃
- 樫原城跡は、令和2年1月の調査で「戦国時代後半の山城」と確認されました。地域に伝わる古い記録には、「永禄のころ、秀吉の長島攻めのとき、樫原に陣を置いた。永禄の頃、三輪三人衆の一人、佐渡が樫原に住んだ。」と書かれています。「明智氏一族宮城家相伝図書」(…
- more
- 池田輝政 鎧かけ松・八剣神社

-
- 岐阜・中濃
- 1600年(慶長5年)8月22日、米野の戦い(関ヶ原の合戦の前哨戦の一つ)を終えた池田輝政の軍勢が、岐阜城攻防戦(関ヶ原の合戦の前哨戦の一つ)へと向かう途中に休息をとった場所が八剣神社です。池田輝政が、松に鎧を掛けて休んだことから「鎧かけ松」と言われていま…
- more
- 長宗我部盛親陣跡

-
- 西濃
- 長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとなる。南宮山に陣を敷いたが毛利軍が動かず、戦わずして引き上げた。西軍主力の一角として、南宮山に布陣した。
- more
