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- 戦国・城郭
- 浅野幸長陣跡

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- 西濃
- 浅野幸長は、五奉行・浅野長政(北政所の義兄)の長男として生まれ、豊臣家とは親戚関係。秀吉の死後、五奉行の石田三成と対立、石田三成襲撃事件に参加。関ケ原の戦いでは、豊臣秀吉恩顧でありながら父長政と共に東軍に参加し、先鋒を務め岐阜城攻略。本戦では、現在…
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- 織田塚

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- 岐阜・中濃
- 天文16年(1547年)、織田信長の父・信秀が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三に大敗し、信長の叔父・信康を始めとした5,000人ともいわれる戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が築かれました。現在、織田塚は円徳寺境内(浄泉坊)と岐阜市霞町…
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- 小原城址

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- 岐阜・中濃
- 小原集落の中央部にある白山神社の奥山一帯に城の遺構が残っています。城の規模は小規模で、小倉の姓を名乗る一族が城主であったと伝えられています。普段は神社西側の小倉屋敷(跡)で生活をし、有事のときのみ城を利用していた言われています。現在でも曲輪、堅堀、…
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- 栗原九十九坊跡(長宗我部盛親陣跡)

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- 西濃
- 栗原九十九坊跡は、栗原山の山頂部から東山麓に広がる大規模な寺院群です。栗原九十九坊跡との関係が想定される清水寺跡に近接しています。長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとな…
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- 行徳岩 (武儀川)

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- 岐阜・中濃
- 「明智光秀公の母」が懐妊していた時、この岩に立って行水し、「私の生む子が男であったら、仮令三日でもよいから天下を取るような立派な男子を、もし女であったら天下一の美女を御さづけ下さい」と祈ったと伝えられています。
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- 長松城跡

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- 西濃
- 大垣市荒崎小学校付近が、竹中半兵衛の同族 竹中一族ゆかりの城「長松城」の跡と考えられており「長松城址」の標石が立てられています。ここは同城堀のうちの一部であり、古城図を見ると旧長松村の集落全体が、城郭の形を成しています。その城郭を囲むように曲がり角…
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- 関ケ原古戦場 開戦地

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- 西濃
- 関ケ原合戦当日の朝、霧が薄くなったのをきっかけに松平・井伊隊が、先峰の福島隊の脇を通り抜け、宇喜多隊の前へ進出し発砲。この井伊隊の抜け駆けに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を行い、この開戦地で関ケ原合戦開戦の火ぶたが切られました。「徳川四…
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- 大御堂城跡

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- 西濃
- 今から450年程前に生まれ、戦国時代に豊臣秀吉の軍師として智将振りを発揮したものの、惜しくも志半ばの36歳にして病没した。竹中家ゆかりの八幡神社の脇に生誕の地を示す碑が建立されています。隣接する月真寺には、半兵衛の父、竹中重利の墓や、旗本の加藤平内歴代…
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- 上石津郷土資料館

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- 西濃
- 国史跡の西高木家陣屋跡に建つ資料館。上石津で出土した石器、民俗資料、動植物の標本を展示するほか、「島津の退き口」の紹介もしています。
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- 奥平貞治の墓

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- 西濃
- JR関ヶ原駅から北西へ約4km弱の場所に「奥平貞治の墓」があります。関ケ原の戦いで貞治は家康の意を受けて、西軍の裏切りを約束していた小早川秀秋隊の監視をしていました。秀秋の裏切りの後には軍の先頭に立って松尾山を攻め降り、大谷勢と奮戦し、玉村あたりで討ち…
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- 本多忠勝陣跡

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- 西濃
- 徳川四天王である本多忠勝は、三方ヶ原・長篠の合戦等で数々の功を上げた猛将で勇猛なだけではなく知略も備えた名将でした。さらには、政治家としても力量を発揮し、特に人心掌握に努めて領民の敬愛を集めたといういわれもあります。その忠勝の陣跡は「十九女池」の西…
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- 福島正則陣跡

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- 西濃
- 福島正則は秀吉子飼いの大名でありながら 、石田三成と対立して東軍へ加担し、関ケ原合戦の開戦後、宇喜多隊に襲いかかり死闘を繰り広げました。現在、陣跡が残る春日神社境内には、関ケ原合戦屏風にも描かれた樹齢800年の「月見の宮・大杉」が、どっしりとそびえ…
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- 今城跡

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- 岐阜・中濃
- 天文年間(1532~55)に小池刑部家継が築き、永禄年間に入り、美濃金山城に森長可が入城した後、小池氏は帰納し今城は使われなくなったと伝わります。横堀や喰い違い虎口といった複雑な構造を有し、大森城と構造的に類似しています。
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- 田中吉政陣跡

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- 西濃
- 「田中吉政陣跡」の碑は「徳川家康最後陣跡」のすぐ隣にあります。以前は、関ケ原字甲斐墓という場所にあり、現在の陣場野に移されたのは昭和62年のことでした。『関原合戦図志』によると、合戦時の田中隊のはっきりとした布陣地はわかっていないようですが、田中隊は…
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- 可児市観光交流館

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- 岐阜・中濃
- 山城めぐりの拠点施設及び観光案内所として、平成30年4月にリニューアルオープンしました。館内1階は、戦国時代の本陣をイメージした内装であり、陣幕や甲冑、槍や弓などが展示されています。展示の甲冑はすべて着ることができ、さらに、甲冑や忍装束を着て、美濃…
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- 南泉寺

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- 岐阜・中濃
- 永正14年(1517年)に当時の守護・土岐政房(頼武・頼芸の父)が、仁岫宗寿を招いて「土岐氏の菩提寺」として開山しました。頼武の長男である頼純が、天文16年(1547年)に亡くなった際は、この寺に葬られたといい寺内には頼純の墓があります。頼芸が大桑城主の時代は…
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- 大良の戦い 金矮鶏神社・大浦城跡・大浦の蛇

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- 岐阜・中濃
- 大浦城跡(大浦の寺砦跡)は、一名聖徳寺砦とも言われています。弘治2年(1556年)4月、織田信長(道三の娘婿)は、斎藤道三と嫡子 義龍が争った「長良川の戦い」に道三の援軍として木曽川を越え「大良(現・岐阜県羽島市正木町大浦周辺)」へ進軍します。父 道三を破…
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- 佐藤才治郎方政公及び武将の塔

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代、美濃・上有知(こうずち)一帯を治めた鉈尾山城三代目城主「佐藤才治郎方政(さとうさいじろうかたまさ)」公。新加納の戦いでは織田秀信と共に西軍として戦いましたが、関ケ原の合戦で西軍が敗れると領地を失い、最後は従臣とともに「日龍峯寺(高澤観音)…
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- 松平忠吉・井伊直政陣跡

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- 西濃
- 関ケ原の合戦で、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉(徳川家康の四男)に手柄を立てさせたい一心でした。東軍先鋒は、福島隊と決まっていましたが、午前8時頃に福島隊の先頭隊長の可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊…
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- 米野の戦い跡

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- 岐阜・中濃
- 慶長5年(1600年)、池田輝政を中心とした東軍1万8千に対し、西軍3千のみの布陣。河田木曽川渡河の戦いの後、東軍は木曽川を渡り米野に上陸し西軍と激突しました。 戦いは、東軍大勝利に終わりました。これを米野の戦いといいます。 池田勢の一番槍の手柄を…
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