岐阜の
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- 戦国・城郭
- 信長公居館跡

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- 岐阜・中濃
- 岐阜城の歴代城主の館は、金華山の西麓にある千畳敷下・槻谷(けやきだに)にあります。斎藤道三に始まる斎藤氏三代の頃に造られ、織田信長が大規模に造成・改修をしました。信長時代の館は発掘調査から、巨石を立て並べた入口や金箔瓦を使用した建物、巨大な岩盤を背…
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- 鷺山城跡

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- 岐阜・中濃
- 金華山西北にある標高68mの鷺山。その山頂に鷺山城跡の碑がある。斎藤道三公が土岐頼芸を追放した後、岐阜城を長男の義龍公に譲り、自らの隠居所とした。明智光秀ゆかりの地麒麟がく
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- 岐阜城パノラマ夜景

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- 岐阜・中濃
- 岐阜の夜景といえば、金華山・岐阜城からの眺め。その美しさは広く知られるところで、全国的に名高い神戸や函館にだって負けていません。ゴールデンウィークや夏休み、秋の行楽シーズンなどに期間中限定で夜間営業をしているぎふ金華山ロープウェーで標高329メートル…
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- 明知城跡

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- 東濃
- 明知城は、恵那市南部において岩村城に次ぐ規模を誇る山城で、明知遠山氏代々の居城として知られています。明知遠山氏は戦国時代に一時この地を離れましたが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後に復帰し、江戸時代には旗本として存続しました。現在、城跡は公園とし…
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- 島津義弘陣跡<島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 神明神社裏側に「島津義弘陣跡」はあり、西軍布陣地のほぼ中央部に位置しています。島津隊はわずか800名程度ともいわれる少数部隊で、鉄砲を巧妙に使って戦い、陣中では壕も掘らず、柵も作らず、鉄砲隊は交互に入れ替わり狙撃し、騎馬隊を打ち落としていたといわれて…
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- 安国寺恵瓊陣跡

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- 西濃
- 安国寺恵瓊は、毛利輝元公を西軍の大将にまつりあげることに成功する。関ケ原の合戦では、西軍として南宮山に布陣。吉川広家等の裏切りにより傍観軍になる。合戦後、石田光成公らとともに京都六条河原で斬首されました。
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- 苗木遠山史料館

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- 東濃
- 苗木城と苗木遠山家の貴重な資料を展示しています。苗木城の唯一の建物遺構である風吹門の柱と門扉が保管されているほか、遠山家に伝わる実際に使われていた武具などが展示されています。苗木城復元模型は、建物の様子や縄張りがよくわかり、史料館を見学してから苗木…
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- 道三塚

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- 岐阜・中濃
- 斎藤道三公は、長男斎藤義龍公との「長良川の戦い」で討死にし、その遺体が道三塚に葬られました。斎藤家の菩提寺であった常在寺の日椿上人が、現在の地に移し、供養碑を建てたといわれています。麒麟がくる、明智光
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- 関ケ原笹尾山交流館

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- 西濃
- 関ケ原笹尾山交流館(せきがはらささおやまこうりゅうかん)は、関ケ原古戦場でも一番の観光スポットである笹尾山・石田三成陣跡での交流を促進するための拠点施設です。「甲冑体験(有料)」をはじめ、観光パンフレットの配架や観光情報の発信を実施しています。夏の…
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- 岐阜信長神社(建勲神社)

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- 岐阜・中濃
- 樫森神社の境内に織田信長公を主祭神とする『建勲神社』があります。明治時代に京都の建勲神社から分霊されました。通称、岐阜信長神社。樫森神社では、毎月最終金曜日に金の御朱印がいただけます。尚、伊奈波神社(父)・金神社(母)・橿森神社(子)は親子関係にあ…
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- 毛利秀元陣跡

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- 西濃
- 毛利秀元は、穂井田元清(毛利元就の四男・毛利元清)の長男として生まれる。関ケ原合戦では、西軍に属し毛利輝元の名代として南宮山に布陣。一族の吉川広家らの内通により、合戦では動けず参加できませんでした。(西軍敗戦の要因の1つ)合戦後は、吉川広重の思惑が…
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- 桃配山・徳川家康最初陣跡

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- 西濃
- 東軍の総大将・徳川家康は、慶長5(1600)年9月14日に岡山(後に「勝山」と呼ばれる。岐阜県大垣市)へ着陣し、翌15日の午前に桃配山(岐阜県関ケ原町)に布陣しました。桃配山は、関ケ原合戦以前の壬申の乱にて、勝者である大海人皇子が野上行宮より出陣し陣を敷いた…
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- 竹中半兵衛公生誕之地

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- 西濃
- 大野町公郷は秀吉旗下の天才軍師、竹中半兵衛重治の出生地と伝えられてきました。半兵衛の出生地には諸説ありますが、垂井町明泉寺から発見された古文書「過現二世牒」には、半兵衛重治は、天文13年(1544)、竹中遠江守重元の長子として、大御堂城(現大野町公郷)に…
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- 大桑城跡 (古城山)

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- 岐阜・中濃
- 金華山より北上すること約25分。山県市大桑地区は、天文4(1535)年、美濃国守護土岐氏が守護所をそれまでの枝広(岐阜市長良)からこの地に移した地です。標高407.5mの頂上には大桑城が築かれ、城下町も整えられ土岐氏の政治拠点として栄えました。遺構の様子から越前朝…
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- 阿木城跡

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- 東濃
- 「城」と聞くと、天守や石垣が連想されることでしょう。しかし、こうした施設を備えるのは織豊期(もしくは安土桃山時代)から江戸時代に築かれた城です。阿木城はそれ以前に築かれた戦国時代末期の城跡です。戦国時代末期の美濃国東部は、織田信長と武田信玄による争…
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- 笹尾山・石田三成陣跡

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- 西濃
- 西軍の指揮を執った石田三成は、関ケ原合戦時前日に関ケ原の地を一望でき、北国街道も押さえられる笹尾山に布陣しました。笹尾山には敵の攻撃からの防御として使われた竹矢来や馬防柵が復元されされ、合戦当時、“三成に過ぎたるもの”といわれた、島左近を…
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- 竹中半兵衛公の像と垂井町観光案内所

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- 西濃
- 竹中半兵衛の銅像は、JR垂井駅北口ロータリーの他、竹中家陣屋門の前とタルイピアセンター内玄関、垂井町の3箇所でご覧いただけます。垂井駅北口ロータリーにある「垂井町観光案内所」では、垂井抜きに関ケ原の合戦は語れないなど各種パンフレットを入手でき、又、…
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- 島左近陣跡

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- 西濃
- “三成に過ぎたるもの”と言われた島左近は関ケ原の合戦前日、兵500を率いて挑んだ岐阜県大垣市「杭瀬川の戦い」で勝利し、西軍の士気を高め、当日は笹尾山の麓に布陣します。開戦後、攻め寄る黒田長政や細川忠興ら東軍を幾度も押し返す活躍を見せましたが…
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- 春日局出生地 (春日局公園)

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- 西濃
- 春日局公園徳川家光 公の乳母として、大奥の基盤を整えたと知られている「春日局(= お福)」母の兄は、「明智光秀」公 ・・・ とも言われています。父の「斎藤利三」公は、「明智光秀」公の重臣として本能寺の変、山崎の合戦で行動を共にした白樫城主(揖斐川…
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- 御嵩町ゆかりの戦国武将『可児才蔵』

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- 岐阜・中濃
- 可児才蔵は、御嵩町出身と伝えられる武将です。その出生については御嵩町の古刹・願興寺の寺記『大寺記』に記されています。願興寺を出た才蔵は諸国を流浪し主君を転々としましたが、最終的には東軍・福島正則に仕え、天下分け目の関ケ原の戦いに先陣の福島隊として出…
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