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- 戦国・城郭
- 御嵩町ゆかりの戦国武将『可児才蔵』

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- 岐阜・中濃
- 可児才蔵は、御嵩町出身と伝えられる武将です。その出生については御嵩町の古刹・願興寺の寺記『大寺記』に記されています。願興寺を出た才蔵は諸国を流浪し主君を転々としましたが、最終的には東軍・福島正則に仕え、天下分け目の関ケ原の戦いに先陣の福島隊として出…
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- 関ケ原古戦場 決戦地

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- 西濃
- 笹尾山を背に、現在は田園の広がる中程に「決戦地」があります。1600年9月15日午前、関ケ原の戦いは西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の裏切りによって状況は一変し、一挙に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北します。そしてこ…
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- 土岐高山城跡

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- 東濃
- 鎌倉時代に高山伊賀守秀頼が築城したとされますが、詳細は不明です。戦国時代では、平井氏ー森氏の居城となり、関ケ原の合戦の際には西軍方の田丸直昌(岩村城主)の支城となっています。直昌は、東濃の戦い(関ケ原の合戦時に東濃地方で行われた一連の戦い)で妻木氏…
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- 笹尾山・石田三成陣跡

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- 西濃
- 西軍の指揮を執った石田三成は、関ケ原合戦時前日に関ケ原の地を一望でき、北国街道も押さえられる笹尾山に布陣しました。笹尾山には敵の攻撃からの防御として使われた竹矢来や馬防柵が復元されされ、合戦当時、“三成に過ぎたるもの”といわれた、島左近を…
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- 関ケ原笹尾山交流館

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- 西濃
- 関ケ原笹尾山交流館(せきがはらささおやまこうりゅうかん)は、関ケ原古戦場でも一番の観光スポットである笹尾山・石田三成陣跡での交流を促進するための拠点施設です。「甲冑体験(有料)」をはじめ、観光パンフレットの配架や観光情報の発信を実施しています。夏の…
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- 伊木山城

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- 岐阜・中濃
- 永禄八年(1565)、織田信長が尾張から美濃に攻め込む際、最初に侵攻した城です。信長は斎藤方の鵜沼城・猿啄城を攻めるため、まず伊木山城を攻略し、足掛かりとしました。伊木山城攻略に活躍した「伊木清兵衛」はその後、池田恒興・池田輝政に仕え、家老として関ヶ原…
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- 岐阜城パノラマ夜景

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- 岐阜・中濃
- 岐阜の夜景といえば、金華山・岐阜城からの眺め。その美しさは広く知られるところで、全国的に名高い神戸や函館にだって負けていません。ゴールデンウィークや夏休み、秋の行楽シーズンなどに期間中限定で夜間営業をしているぎふ金華山ロープウェーで標高329メートル…
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- 岐阜信長神社(建勲神社)

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- 岐阜・中濃
- 樫森神社の境内に織田信長公を主祭神とする『建勲神社』があります。明治時代に京都の建勲神社から分霊されました。通称、岐阜信長神社。樫森神社では、毎月最終金曜日に金の御朱印がいただけます。尚、伊奈波神社(父)・金神社(母)・橿森神社(子)は親子関係にあ…
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- 常在寺

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- 岐阜・中濃
- 斎藤道三公とその父・長井新左衛門尉公が二代にわたり美濃国を制する拠点とした寺です。長井新左衛門尉公は、京都から美濃へやって来た商人出身と言われています。寺の正式名は、鷲林山常在寺(じゅりんざん じょうざいじ)。日蓮宗、京都妙覚寺の末寺です。室町時代…
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- 竹中半兵衛公の像と垂井町観光案内所

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- 西濃
- 竹中半兵衛の銅像は、JR垂井駅北口ロータリーの他、竹中家陣屋門の前とタルイピアセンター内玄関、垂井町の3箇所でご覧いただけます。垂井駅北口ロータリーにある「垂井町観光案内所」では、垂井抜きに関ケ原の合戦は語れないなど各種パンフレットを入手でき、又、…
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- 竹中半兵衛公生誕之地

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- 西濃
- 大野町公郷は秀吉旗下の天才軍師、竹中半兵衛重治の出生地と伝えられてきました。半兵衛の出生地には諸説ありますが、垂井町明泉寺から発見された古文書「過現二世牒」には、半兵衛重治は、天文13年(1544)、竹中遠江守重元の長子として、大御堂城(現大野町公郷)に…
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- 円徳寺

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- 岐阜・中濃
- 円徳寺は、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。天文16年(1547年)、織田信秀公(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三公に大敗し約5000人の戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築…
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- 兜作りワークショップ

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- 西濃
- ダンボールを素材とした兜づくりワークショップを行います。徳川家康・石田三成の兜を元に開発されたキットを使用し、子どもから大人まで皆様お楽しみいただけるワークショップです。多くの方のご参加お待ちしております。※4月12日(日)は岐阜関ケ原古戦場おもてなし…
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- 妻木城跡

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- 東濃
- 妻木城は、14世紀に土岐頼貞の孫土岐明智彦九郎頼重が築いたとされています。その後、一族である妻木氏が領主となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに西軍である岩村城主の田丸勢を破った功績で7,500石を所領しました。城は山頂を中心に約200メートル四方の範囲に、…
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- 徳川家康最後陣跡 ・ 床几場

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- 西濃
- 徳川家康は合戦当日の午前11時頃、戦況が把握できないため、桃配山から笹尾山の「石田三成」の陣の正面であるこの陣地に本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の「小早川秀秋」を鉄砲で威嚇したとも言われています(問鉄砲)。関ケ原合戦後には、床几場で首実…
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- 曽根城跡

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- 西濃
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じます。その後、東軍が赤坂に進出すると、松平康長・水野勝成らが入城し、大垣城…
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- 烏頭坂 島津豊久碑 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦終盤、陣から敵中突破を図り、徳川家康の本陣をかすめて伊勢街道へ進んだ島津隊。東軍の追撃は、激しく先手を務めていた島津豊久公が殿(しんがり)にまわり、烏頭坂で井伊直政・松平忠吉らを迎え撃ちました。豊久公は重傷を負いましたが、伊勢街道(伊勢…
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- 明知城跡

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- 東濃
- 明知城は、恵那市南部では岩村城に次ぐ規模の城郭である。明知遠山氏代々の居城であった。明知遠山氏は、織豊期に一時この地を離れるが、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の合戦後に復帰する。江戸時代には旗本となり、存続した。城跡は現在公園となり、散策道も付けられ…
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- 濃姫遺髪塚

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- 岐阜・中濃
- 濃姫は、斎藤道三と可児明智城主(現在の可児市)明智三継の娘で才色兼備と言われた小見の方(おみのかた・道三の正室)との間に生まれた。濃姫が信長と結婚後、どのような生活を送ったかは、資料が少ないためほとんどわかっていないが、本能寺の変で信長と共に亡くな…
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- 道三塚

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- 岐阜・中濃
- 斎藤道三公は、長男斎藤義龍公との「長良川の戦い」で討死にし、その遺体が道三塚に葬られました。斎藤家の菩提寺であった常在寺の日椿上人が、現在の地に移し、供養碑を建てたといわれています。麒麟がくる、明智光
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