歴史好き必見!飛騨高山〜神岡【山城・グルメ】江馬氏ゆかりの史跡を巡るドライブコース
- のなか もえ
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鎌倉~室町時代に北飛騨を治めた武将「江馬氏」の本拠地とされる高原郷(たかはらごう)は、現在の飛騨市神岡町と高山市上宝町にあたる地域にありました。
そして、その高原郷と高山を結ぶのが、「十三墓峠(じゅうさんぼとうげ)」です。
正式な名称は「大坂峠」。岐阜県飛騨地方北部にある、高山市国府町と上宝町をつなぐ峠道のことです。
「十三墓峠」は地元での呼び名で、ヘアピンカーブが続く急峻さがドライバー泣かせの峠道として話題に上がることもしばしば。
そんな「十三墓峠」ですが、実は飛騨の戦国時代を語るうえで、大変重要なスポットなのをご存じでしょうか?
今回は、高山市の史跡から神岡の江馬館跡、さらに和仁の蔵などの周辺グルメまで、江馬氏の歴史とともにめぐる旅をご紹介します。

江馬氏って?
(写真)江馬氏の本城といわれる「高原諏訪城跡」
江馬氏とは今から400~600年前の鎌倉~室町時代に高原郷 (たかはらごう・現在の飛騨市神岡町と高山市上宝町)を治めていたと伝えられる武将です。
14世紀末頃には、室町幕府が認める有力な地方領主として活躍していました。
2022年放送の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で話題となった鎌倉幕府執権・北条氏にゆかりがあると言われますが、その実像は明らかになっていない部分も多く、研究・調査がなされています。
関連する史跡は、国指定史跡にも指定されており、飛騨の歴史を読み解く上で欠かせない存在です。
【高山市国府町】「十三墓峠」
古い町並みなどの観光スポットでにぎわう飛騨高山。その中心地から車で約30分。岐阜県道76号国府見座線を結ぶ峠道が十三墓峠(正式名称:大坂峠)です。
「十三墓」という名前には、戦国時代に飛騨地域で勢力を分けていた「江馬氏」と「姉小路(三木)氏」ほかの連合軍が争った「八日町(ようかまち)合戦」が関係しています。
この合戦は、天正10(1582)年の本能寺の変による織田信長の死をきっかけとして勃発し、飛騨の戦国時代において重要な局面となりました。
天下分け目の戦いとして知られる「関ケ原合戦」をなぞって、「飛騨の関ケ原」とも呼ばれています。
(写真)現在の高山市国府町八日町。13人の家臣をまつった碑周辺の様子。
この戦いで、江馬方の当主と考えられている「江馬輝盛」が落命し、彼に従った13人の家臣も主君に殉じて命を落としたと伝わります。
「十三墓」とは、江馬氏の家臣たちの霊を弔うために地元の人たちがこの地にお墓をつくったことに由来しています。
江馬輝盛の墓
現在、高山市国府町八日町には、江馬輝盛の墓が残されており、付近は静かな里山の風景が広がります。
江馬家臣十三士之碑
また、輝盛の墓所から500メートルほど上がった場所には、13人の家臣をまつった碑がひっそりとたたずんでいます。
そんな十三墓峠ですが、「越中東街道」の一部で、富山県と高山を結ぶ重要な道のひとつでもあります。
隣県・富山から高山を経て長野へと続く「鰤(ブリ)街道」のルートの一部でもあり、歴史的に物資の流通を支えた道でした。
十三墓峠の標高は、約950m。実は、現在においては秋から冬にかけて「雲海」が見られる絶景スポットとしても知られます。
普段から晴れた日の頂上付近は見晴らしがよく、つづら折りの道を登るにつれて近くなる空が美しい峠です!
近年、改修工事が進んで少しずつ通りやすい道になっているそうなので、運転に十分気を付けて峠道のだいご味を味わってみてください。
【高山市上宝町】「CAFE&SHOP和仁の蔵(わにのくら)」
十三墓峠で「八日町合戦」に思いをはせた後は、高山市上宝町にある県道471号線沿いのレストラン「和仁の蔵(わにのくら)」へ。
2000年の創業以来、日本最大級のお米の国際大会金賞受賞、日本一おいしいお米とも名高い米農家「和仁農園」直営のお店です。
レストランは、金木戸川が神通川水系の高原川に流入する地点にかかる駒止橋のたもとに位置し、店内は高原川のさわやかな景観が一望できる開放的な窓が特徴的。
この土地の自然を感じながら、この土地で採れたお米を食べる幸せなひと時が過ごせます。
伊勢神宮にも奉納される、おいしいお米が楽しめるランチが人気。一口デザートや、お惣菜、サラダ付きのしっかりとした和定食が楽しめます。
日替わりでメインのおかずが変わり、訪れた日は「サバの味噌煮」をいただくことに。
やさしい甘さの脂がのったサバが柔らかく煮つけてあり、ごはんにぴったり!お米だけでなく、一緒に味わうお惣菜もしっかりおいしい。
今回は、コシヒカリ&ミルキークイーン2種類のお米が食べ比べできるおにぎりランチをいただきました。
コシヒカリは粒立ちふっくらで、すっきりとした味わい。ミルキークイーンは、粘り気が強くもっちりとして、甘みを強く感じました。
おにぎりの味付けは、自分の好きなタイミングで食塩を加えるスタイル。食塩なしとあり、それぞれでお米の味を楽しむことができます。
とはいえ、お米自体の味が楽しめるランチなので、やはりまずは食塩なしで味わいたいもの!
お米は店内の物販スペースでも販売しており、気に入った銘柄をその場で購入できます。
※お米の販売は時期や流通状況により在庫がない場合があります。 (2025年6月現在)
人気の新穂高ロープウェイや平湯温泉などからもアクセスしやすい立地なので、そちらからも立ち寄りやすいです。
飛騨が誇る、とびきりおいしいお米をぜひ味わってみてください。
お米を使ったロールケーキやシフォンケーキなどのスイーツも人気なので、ドライブ休憩に立ち寄ってもいいですね。
【飛騨市神岡町】高原郷土館
「和仁の蔵」で腹ごしらえをした後は、車で約10分の飛騨市神岡町にある「高原郷土館」へ。
実はこの土地自体、江馬氏が築いたとされる「東町城」の城跡。十六世紀末、武田信玄の越中攻めの際にその重臣である山県昌景が江馬氏に命じて築城させたと伝わる飛騨市唯一の平山城があった場所です。
天守などの建物自体は残されていませんが、敷地内には二重の堀がめぐらされており、現在でも当時の様子をうかがうことができます。
敷地内には鉱山資料館、旧松葉家、そして神岡城の3か所の文化施設の見学が可能です。
鉱山資料館
神岡町といえば、かつて東洋一の非鉄金属の産出量を誇った神岡鉱山があり、鉱山の街として栄えました。鉱山資料館では、近代以降の神岡鉱山について実物の鉱石や採掘の様子がうかがえる資料の展示を通して解説しています。
旧松葉家
県指定有形民俗文化財の民家内に民具など、昔の暮らしの様子がわかる展示を集めた資料館です。
明治時代に建てられたものと伝えられる合掌造りの3階建ての建物です。
昭和43(1968)年の郷土館整備に際して現在の場所に移築されました。
屋根は銅板葺ですが、その内部は茅葺だそうで、白川郷に行かなくても合掌造りが見られるスポットです。
建物自体に改造の痕跡がなく、当時の住居の様子がそのまま感じられるのも魅力的。展示物は多岐にわたり、農工具や養蚕用具、面白いものには仁丹の自動販売機なんてものも。
ともかく展示物の量が膨大で、建物内を探検しながら楽しめる見どころがたくさんあります。
神岡町のレトロが感じられる穴場なので、ぜひ訪れてみてください。
神岡城
現在見られる建物は、神岡鉱業所の創業100年を記念して三井金属鉱業によって昭和45(1970)年に建てられたもの。
3階建ての施設内では、江馬氏の城館跡に関する発掘調査報告や神岡町で見つかった縄文土器、江馬氏下館で出土した陶磁器などを展示。
江馬氏史跡に関連する資料を多数見学できるので、こちらの施設で予習してから史跡に行くのがおすすめです。
最上階の3階は、展望台になっていて神岡の町並や山々が一望できます。展望台から見える観音山には像高8.9mの立ち達磨があり、設置されている望遠鏡で見ることができます。
高原郷土館には、「江馬氏城跡公園」を含む共通入場券があります。そちらで入場すると入場料が100円お得になります。
鉱山資料館の受付窓口で購入できるので、係の方に「共通券でお願いします」と声をかけましょう!
【飛騨市神岡町】「道の駅 宙(スカイ)ドーム神岡」
郷土館で神岡町の歴史についての予習を済ませた後は、車で約2分の「道の駅 宙ドーム神岡」へ。
神岡町といえば、かつては鉱山の街といわれていましたが、現在ではその鉱山施設を活用した研究装置「カミオカンデ」(現在はハイパーカミオカンデが稼働予定)で有名です。
この施設は宇宙から届く小さな粒子「ニュートリノ」の観測を目的としていて、2002年には小柴昌俊さんがこの研究でノーベル物理学賞を受賞しました。
さらに2015年には梶田隆章さんも「スーパーカミオカンデ」での研究によりノーベル賞を受賞。2度のノーベル賞受賞は、神岡町が「科学のまち」として世界的に知られるきっかけとなっています。
こちらの道の駅では、併設する「ひだ宇宙科学館 カミオカラボ」で、ニュートリノ研究に関連する展示を見学することが可能。
道の駅でありながら、世界最先端の宇宙物理学も体験できる施設なのです。
こちらでいただけるご当地ソフトクリーム『えごまソフト』は、地元で「あぶらえ」とも呼ばれるえごまのソースがかかった、オリジナルスイーツ。
香ばしいえごまの風味とミルク感の強いソフトクリームの相性は抜群!
飛騨地域の中でも比較的気温が高いといわれる神岡町。
訪れた6月初旬の気候は、もう夏といっても差し支えない暑さ。
そんな時期に味わう冷たいソフトクリームは格別のおいしさでした。
このほか施設内には、お土産の販売やフードコート、パン屋さんなどがあり、ドライブの立ち寄り先というだけでは収まらない魅力がいっぱい。
この道の駅を目的地として神岡町へドライブに来たい!と思えるくらい充実しています。
学びとグルメ、充実設備が魅力の道の駅!ぜひ足を運んでみてください。
【飛騨市神岡町】国史跡・名勝「江馬氏館跡公園」
ここからの施設には駐車場がないため、「道の駅 宙ドーム神岡」に車を駐車して、徒歩です。自分の足を使います!
国史跡「江馬氏館跡(えましやかたあと)公園」へは、「道の駅 宙ドーム神岡」から歩いて約5分。
江馬氏が活躍していた14世紀頃につくられ、平地の拠点として使用されていたと考えられています。
国史跡と名勝の二重指定は県内初
こちらでは、復元整備された会所建物、主門、土塀などを含む国史跡「江馬氏城館跡 下館跡(しもやかたあと)」のほか、国名勝「江馬氏館跡庭園」を見学できます。
中世武家館の庭園と会所建築を一緒に復元したスポットは全国でもここだけ。さらに国史跡と名勝の二重指定は岐阜県内で初めてのことだそうです。
会所とは、館の主人が客人と対面し、もてなす場として使用した建物のこと。当時の建物の大半の礎石の根石が残っていたことから、建物のスケールが忠実に再現されています。
建物内の意匠には、神岡町内にある同時代の建物部分材や京都の銀閣寺を参考とするなど、考証を重ねた復元建物となっています。
主人の部屋や、おもてなし専用の部屋なども再現されており、見学可能です。
周辺には高い建物が無く、当時の人々が館から見た景色をそのまま体感できるのも魅力のひとつ。特に庭園は緑豊かな周辺の山々との景観が美しく、さわやかな風を感じることができます。(庭園内は散策できません。)
五ヶ石伝説が示す庭園跡
現在では復元された立派な建物や遺構が見学できる公園として整備されていますが、江戸時代後期以降はこの辺り一帯は水田でした。
その中には五つの大きな石があり、これを地元では「五ヶ石」と呼んでいました。「この石は江馬の殿様の庭の跡である」という言い伝えがあり、昭和48(1973)年の発掘調査によって、これらの石が実際に庭石の一部だったことが判明しました。
現在の庭園でもこの「五ヶ石」は見ることができるので、訪れた際にはぜひチェックしてみてください!
建物内では、係の方にお願いすると簡単な解説案内をしてくださいます。建具や建物の構造の豆知識なども詳しく教えてくださるので、ぜひ声をかけてみてください。
江馬氏の領域統治
(写真)高原諏訪城跡から望む、観音山。
江馬氏は下館のほかにも複数の山城を持っており、街道上など要衝に拠点を置くことで領地内の統治をおこなっていたそうです。
その中でも、下館跡、高原諏訪城跡、土城跡、寺林城跡、政元城跡、洞城跡、石神城跡は、「中世地方武士の館跡・山城跡が群として機能して地域を治めていたことがわかる貴重な遺跡である」として、昭和55(1980)年に国史跡の指定を受けました。
また、令和6(2024)年には、同じく神岡町内の観音山にある傘松城も国史跡へ追加指定されたことで注目を集めました。
見学に危険が伴う土城跡以外は、『飛騨市山城マップ 江馬編』としてまとめられています。体力と登山の備えがある方は安全に十分配慮して、江馬氏の拠点めぐりも面白そうですね。
また、近くにある「道の駅 宙ドーム神岡」内の「カミオカラボ」、「神岡城」、「江馬氏館」をめぐるガイドツアーも開催されています。
ツアー後「江馬氏館」にて神岡名物「蒸し寿司」がいただける体験付き!
庭園を眺めながらお殿様気分で地元グルメがいただける貴重な機会、ぜひ参加してみてください。
【飛騨市神岡町】国史跡「高原諏訪城跡」
ここまでご紹介したスポットだけでも歴史観光として十分楽しめますが、もっとディープに歴史を感じたい方にぜひおすすめしたいスポットがあります。
それは江馬氏下館にほど近い国指定史跡「高原諏訪城跡」です。
下館跡の背後にある、規模の大きな城跡を残す山城で、その立地や地元に残る地誌、お城の痕跡を地形に残すことなどから江馬氏の本城と認定されています。
道の駅で入手した「山城マップ」によると、お城の痕跡が見学できる登頂付近までは30分くらい。
登山慣れしていない筆者は、ゆっくり休みながら登ったので1時間ほどかかりました。
登山道はところどころ急な斜面もあり、人ひとりが通るのがやっとという狭い道も。
フラッと行って登るのは大変危険なので、登山装備を十分備えて挑みましょう。
今回は「高原諏訪城跡に登ってみて面白かった」と感じるポイントが3つあったのでご紹介します。
- 1.登山道に点在する石仏
登山口は江馬氏下館から徒歩6分ほどのところにある「圓城寺」の本堂の裏手にあります。
この圓城寺は江馬氏の代々の菩提寺とも言われているお寺。
江馬氏が下館周辺一帯の集落範囲を設定する要因のひとつとして置かれていたという説もあるお寺です。
建物裏手にある赤い鳥居を目印に、登山スタートです。驚いたのが登山道には、圓城寺に関係する石仏がたくさん安置されているということ。
高さは膝下程度の、素朴な姿でまるで道案内をしてくれているかのような仏さまたち。
道中は急な坂道や狭い道もあり、体力的に少しきつく感じることもありましたが、仏さまの姿を探しながら進むのが楽しく、気持ちの支えにもなりました。
- 2.山城の痕跡がはっきりわかる
山道をどんどん登っていき、お城の中心的な部分(主廓)まで上へ170mとの立て看板が見えてくると、突然開けた場所に出ます。
案内によるとここが「堀切」。敵が簡単に主廓に入って来られないようにつくられたお堀のことで、重要な防御施設です。
今回訪れたこの地点には「二重堀切」と呼ばれる、二重のお堀があり、築城者がいかに厳重にお城の守りを固めようとしたかが伝わってきます。
(写真)上から見た二重堀切
二重堀切を後にして進むと、山頂と思われる高台部分をぐるりと取り囲む広い道に出ます。
これが「帯曲輪(おびぐるわ)」。
現代を生きる私にとっては、山頂付近で体力的につらいタイミングに歩きやすい道と出会えてラッキー!という感想を抱きますが、実はこれも山城の防御施設。
敵に斜面を直接登られて、簡単に主廓へアクセスされないように、意図的にこうした道がつくられていました。
さらに、城跡というと「石垣が残っているのかな?」というイメージがあるかもしれませんが、今回のルートではそういった石垣は見られませんでした。
これは、戦国時代の山城造りの特徴のひとつで、当時は石垣を使わず、大規模な土木工事と細かな切り盛り土で築かれていたためです。
戦国時代の山城には、人が生活することがほとんどないので、天守閣のような建物は建てられませんでした。
「城=天守閣」の固定観念がくつがえる、目からウロコの事実です。
江馬氏も例外ではなく、普段は平地の拠点である「下館」に住んでいて、戦争が起こると山城に立てこもっていたと考えられるそうです。
- 3.江馬のお殿様も見た?ごほうび殿様ビュー
いよいよ今回の最終到達点である「主廓」へ。小高い丘のような場所に平坦な敷地が広がり、屋根付きのベンチと「江馬候城趾」と刻まれた石碑が建つのみ。
辺り一面、ひざ丈ほどの草が生えていて、想像していたよりも「山城好きが到達する場所」というような、ある種の特別感がありました。
そして何より、とても気持ちのよい景色を味わうことができます。
(写真)主廓からは、江馬氏館跡公園も見えます。
登った人だけが見られる、まさに殿様ビュー。
当時のお殿様がここに立ったことがあるとすれば、「ここから目に見えるもの、すべてが自分の領地!」と誇らしく思ったのかもしれない。
そんな風に想像したくなる絶景が広がっていました。
八日町合戦で、江馬氏が総崩れとなったのち、高原諏訪城は落城したと伝わります。
「その後、江馬一族には滅亡したのか?」
実はそうではなく、姉小路(三木)氏に代わり飛騨を治める金森氏に抵抗した「江馬左馬助」という人物がいて、ほかの残存勢力とともに一揆を起こしています。
(写真)金森左京屋敷跡①「現・桜山八幡宮 御旅所」:高山市桜町
一揆後、飛騨平定を終えた金森氏は高原郷も支配下に置きますが、その領主として任命されたのが江馬氏の血を引くとされる「金森重勝」です。
金森家2代目当主・可重(ありしげ)の子で、母が江馬輝盛の娘、あるいは江馬氏一族の娘だったともいわれています。
この重勝を祖とする「金森左京家」は、江馬氏の血を受け継ぐ家系として幕末まで存続しました。
(写真)金森左京屋敷跡②「現・川上別邸史跡公園(市指定文化財)」:高山市島川原町
現在の高山市内や飛騨市神岡町内には、金森左京家の屋敷跡と伝わる場所も残されており、その痕跡を今も感じることができます。
歴史×自然×学び。江馬氏の故地へ出かけよう
今回は、鎌倉時代頃から北飛騨の統治者として活躍した江馬氏の歴史を追いかけるドライブと山城登山の様子をご紹介しました。
江馬氏の歴史は、本拠地の高原郷(現在の神岡町)まで足を延ばすと山城と迎賓館のような居館を持ち、複数の拠点を活かした領域支配を行っていることがわかります。中世における「北飛騨の雄」との呼び名も納得です。
飛騨高山からそれぞれのスポットは約1時間ほどの距離にあるので、アクセスしやすく、ディープな歴史観光旅にもぴったり。
お子様の夏休みの自由研究や、歴史好きの大人が知的好奇心を満たすスポットとして訪れるのもおすすめです。
高山や奥飛騨から富山方面へのおでかけの途中に立ち寄るのもいいですね。
見学の際は文化財の保全とご自身の安全に十分配慮して、遊びに行ってみてください。
参考文献
・『中世武家庭園と戦国の領域支配 江馬氏城館跡』三好 清超 新泉社 2021年
・『飛騨市山城マップ 江馬編』飛騨市教育委員会 文化振興課
・江馬氏城館跡 歴史講座 中井均先生に学ぶ!高原諏訪城探訪 講演記録『高原諏訪城を考える-縄張りから見た江馬氏館との関係-』中井 均(d164856398ec7b269698e1070d7dfd1d.pdf /2025年6月20日閲覧)
・『神岡町史 通史編Ⅰ』飛騨市教育委員会 2009年
※本記事は公開されている資料をもとに、歴史に関心のある筆者が一般向けにわかりやすくまとめたものです。専門的な見解とは異なる可能性もありますが、その点もふまえてお楽しみください。