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- 関ケ原
- 関ケ原古戦場

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- 西濃
- 現在は田園の広がる中程にある「決戦地」。かつて関ケ原合戦の中でも特に激しく戦いが行われたこの場所には、石碑や、徳川家・石田家の家紋入りの旗が建てられています。また、決戦地北西に位置する小さな山が、西軍の指揮を執った石田三成が陣を布いた笹尾山です。麓…
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- 岐阜関ケ原古戦場記念館

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- 西濃
- 慶長5年(1600)に関ケ原の戦いが繰り広げられた場所として有名な岐阜県関ケ原町。令和2年10月に関ケ原の戦いの全てが理解できる、最新技術を結集した体験型の施設「岐阜関ケ原古戦場記念館」がオープンしました。足元に移されるスクリーンの映像を見ることで、関ケ原…
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- 郡上八幡城

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代末期 永禄2年(1559年)、遠藤盛数によって砦が築かれたのが郡上八幡城のはじまり。現在の城郭一帯の石垣すべてが県の史跡に指定され、天守閣は市の有形文化財に指定されています。幕末までに郡上藩政の中心として5氏17代が入りましたが、二代目城主であ…
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- 小倉公園(小倉山城跡)

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- 岐阜・中濃
- 小倉公園は、小倉山一帯を都市公園として整備したところで、公園内には遊具や小動物園(アイガモ・猿・クジャク等)、芝生広場があり、市民の憩いの場となっています。 長良川やうだつの上がる町並みを一望出来る展望台もあります。 かつてはここに小倉山城という城…
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- 大垣城

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- 西濃
- 全国的にも珍しい4層の天守を持ち、「城下町・大垣」のシンボルとして市民に親しまれている大垣城。慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地にもなり、本戦部隊が関ケ原に移動した後も壮絶な攻防戦が繰り広げられました。戦国の世が去った江戸時代…
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- 大寺山願興寺

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- 岐阜・中濃
- 昭和20年代に建築された駅舎が味わい深い名鉄御嵩駅。この駅を中心に東へと広がる「御嶽宿」は、もともと平安時代に開創された願興寺の門前町として発展してきました。願興寺は、「蟹薬師」とも呼ばれ、創建は弘仁6年(815)という歴史ある古刹。本尊の薬師如来坐像を…
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- 明智光秀の墓(桔梗塚)

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- 岐阜・中濃
- 山県市には明智光秀の出生や晩年に関する伝承が残っています。生誕の地と伝わる中洞地区山県市中洞地区は、明智光秀が生まれた地とされています。この地区の伝承によると、光秀は土岐四郎基頼と、中洞の豪族である中洞源左衛門の娘との間に生まれ、その後、明智城主明…
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- 南宮山ハイキングコース

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- 西濃
- 南宮山ハイキングコースは、南宮大社裏の東蛇溜池から関ケ原合戦において毛利秀元の陣所になった標高404mの展望台まで登り、西蛇溜池におりる延長3.8mのコースです。コースには、町の花ツバキ・桜など四季折々の自然があふれ、野鳥も多く生息しています。また、一ツ…
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- 南宮大社

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- 西濃
- 美濃の国の一の宮。「鉱山・金属業の総本宮」として深い崇敬を集めています。慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦で全社殿を焼失しますが、寛永19年(1642年)、将軍徳川家光によって再建されました。和様と唐様を折衷した独特の「南宮造」と呼ばれる建築様式で、建造物1…
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- 関ケ原ウォーランド

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- 西濃
- 浅野祥雲氏が作製したコンクリート製の200体以上の人形を用いて、関ケ原の戦いを約1万坪の広大な敷地内にて再現しています。園内では、戦いで活躍した東軍の徳川家康や西軍の石田三成などの武将たちに加え、鉄砲隊や足軽も数多く存在し、ユーモアあふれる個性豊かな人…
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- 美濃和紙の里会館

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- 岐阜・中濃
- 美濃の里山で1300年前から漉かれ続けてきた美濃和紙の歴史や技術、和紙の素晴らしさや未来への可能性をさまざまな視点から紹介しています。美濃和紙の歴史や技術、現代における和紙の展開と未来の可能性を紹介する常設展示室のほか、毎年毎年違った紙をテーマとしたユ…
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- 関ケ原古戦場 決戦地

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- 西濃
- 笹尾山を背に、現在は田園の広がる中程に「決戦地」があります。1600年9月15日午前、関ケ原の戦いは西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の裏切りによって状況は一変し、一挙に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北します。そしてこ…
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- 関ケ原 和傘物語 2025

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- 西濃
- 昨年大好評だった関ケ原和傘物語が「昼の部」、「夜の部」ともに通年開催決定!和傘物語の魅力は昼の部だけじゃない!11/8,15,22,29土曜日の17時30分から19時00分まで開園。昼間とはまた違ったより幻想的な和傘の数々。見どころは入園してすぐ正面に見ることが出きる…
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- 竹中氏陣屋跡 (岩手城跡)

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- 西濃
- 戦国時代の智略が飛び交うなかで、豊臣秀吉の名軍師『竹中半兵衛』とその一族の活躍には目を見張るものがありました。半兵衛の息子重門(しげかど)が、築造した陣屋跡には白壁の櫓門、がっしりとした石垣が残っており、旗本では珍しい城郭建造物です。関ケ原の合戦で…
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- 御嵩町ゆかりの戦国武将『可児才蔵』

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- 岐阜・中濃
- 可児才蔵は、御嵩町出身と伝えられる武将です。その出生については御嵩町の古刹・願興寺の寺記『大寺記』に記されています。願興寺を出た才蔵は諸国を流浪し主君を転々としましたが、最終的には東軍・福島正則に仕え、天下分け目の関ケ原の戦いに先陣の福島隊として出…
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- 水の都おおがきたらい舟

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- 西濃
- 水の都と呼ばれ、水が美しく豊かな大垣。街の中心を流れる水門川を楕円形のたらい舟に乗って下ります。このたらい舟川下りは、関ケ原合戦の際に、石田三成に仕えた山田去歴の娘「おあん」が、たらいに乗って、落城する大垣城から抜け出したという戦国秘話に基づきます…
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- 妻木城跡

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- 東濃
- 妻木城は、14世紀に土岐頼貞の孫土岐明智彦九郎頼重が築いたとされています。その後、一族である妻木氏が領主となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに西軍である岩村城主の田丸勢を破った功績で7,500石を所領しました。城は山頂を中心に約200メートル四方の範囲に、…
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- 徳川家康最後陣跡 ・ 床几場

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- 西濃
- 徳川家康は合戦当日の午前11時頃、戦況が把握できないため、桃配山から笹尾山の「石田三成」の陣の正面であるこの陣地に本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の「小早川秀秋」を鉄砲で威嚇したとも言われています(問鉄砲)。関ケ原合戦後には、床几場で首実…
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- 笹尾山・石田三成陣跡

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- 西濃
- 西軍の指揮を執った石田三成は、関ケ原合戦時前日に関ケ原の地を一望でき、北国街道も押さえられる笹尾山に布陣しました。笹尾山には敵の攻撃からの防御として使われた竹矢来や馬防柵が復元されされ、合戦当時、“三成に過ぎたるもの”といわれた、島左近を…
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- kito.関ヶ原 岐阜グランピング

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- 西濃
- ”自然と人のつながり” と“人と人とのつながり”をテーマにしたKITO関ケ原。自然に囲まれた3500㎡を超える広大な敷地にある客室は、5棟の客室を用意。可愛らしいフォルムのドームテントや贅沢スペースのヴィラ、わんちゃんも宿泊できるキャビ…
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