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- 関ケ原
- 伊吹山ドライブウェイ 秋の紅葉

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- 西濃
- 自然がいっぱいの関ケ原ですが、紅葉のスポットとしておすすめなのは伊吹山です。秋の行楽シーズンは、史跡巡りとセットでぜひ伊吹山ドライブウェイにお越しください。 【紅葉シーズンについて】10月上旬頃より伊吹山登山道のクサモミジが色付き始め、徐々に紅葉…
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- 伊富岐神社

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- 西濃
- 伊富岐神社は、美濃国二宮で伊吹山を背後に鎮座しています。地方豪族伊福氏の祖神が祭られていた伊富岐神社は、仁寿2年(852年)地方神社から祭祀対象の官社になりました。拝殿脇の御神木「伊富岐神社の大杉」は、岐阜県の天然記念物に指定されており、根元の周囲約9.…
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- 関ヶ原グルメガーデン sekigahara花伊吹/鉄板ダイニング天満

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- 西濃
- 地域最大の総合観光ドライブイン 「関ケ原グルメガーデン sekigahara花伊吹」では、レストランや土産店などの施設がひとつになった地域最大の観光名所!地域のお食事処、広々とした駐車場を完備しているので、団体予約も大歓迎です!関ケ原グルメガーデンは、Sekiga…
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- 円徳寺

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- 岐阜・中濃
- 円徳寺は、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。天文16年(1547年)、織田信秀公(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三公に大敗し約5000人の戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築…
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- 烏頭坂 島津豊久碑 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦終盤、陣から敵中突破を図り、徳川家康の本陣をかすめて伊勢街道へ進んだ島津隊。東軍の追撃は、激しく先手を務めていた島津豊久公が殿(しんがり)にまわり、烏頭坂で井伊直政・松平忠吉らを迎え撃ちました。豊久公は重傷を負いましたが、伊勢街道(伊勢…
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- 関ケ原笹尾山交流館

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- 西濃
- 関ケ原笹尾山交流館(せきがはらささおやまこうりゅうかん)は、関ケ原古戦場でも一番の観光スポットである笹尾山・石田三成陣跡での交流を促進するための拠点施設です。「甲冑体験(有料)」をはじめ、観光パンフレットの配架や観光情報の発信を実施しています。夏の…
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- 竹中半兵衛公の像と垂井町観光案内所

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- 西濃
- 竹中半兵衛の銅像は、JR垂井駅北口ロータリーの他、竹中家陣屋門の前とタルイピアセンター内玄関、垂井町の3箇所でご覧いただけます。垂井駅北口ロータリーにある「垂井町観光案内所」では、垂井抜きに関ケ原の合戦は語れないなど各種パンフレットを入手でき、又、…
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- 土岐高山城跡

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- 東濃
- 鎌倉時代に高山伊賀守秀頼が築城したとされますが、詳細は不明です。戦国時代では、平井氏ー森氏の居城となり、関ケ原の合戦の際には西軍方の田丸直昌(岩村城主)の支城となっています。直昌は、東濃の戦い(関ケ原の合戦時に東濃地方で行われた一連の戦い)で妻木氏…
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- 関ケ原駅前観光交流館”いざ関ケ原!”

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- 西濃
- 関ケ原町の観光情報の発信拠点としてJR関ヶ原駅前に開館した「関ケ原駅前観光交流館(愛称:いざ!関ケ原)」。観光案内のほか、観光パンフレットの配架や関ケ原限定のおみやげの販売もあり、古戦場巡りの拠点としても、ぜひご利用ください。また、お荷物をお預けいた…
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- 松尾山城跡・小早川秀秋陣跡

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- 西濃
- 松尾山城は小早川秀秋が布陣した山城としても有名です。関ケ原の戦いにおいて、優柔不断の裏切り者と酷評されることが多い小早川秀秋ですが、実際には勇猛果敢で、領民からも慕われる統治手腕を持った有能な武将だったといいます。当時19歳という若さで1万5千の兵を従…
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- 山口城跡

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- 岐阜・中濃
- 標高345mの権現山の山頂に平場が築かれています。これが山口城跡です。江戸時代初期の『美濃国諸旧記』によると鎌倉時代初期に梶原景時が城主であったと記されています。ここは谷汲街道と越前街道が交差し、根尾川が濃尾平野に注ぎ込む交通、軍事、治水の要所とな…
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- 関ケ原鍾乳洞

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- 西濃
- 夏は涼しく冬暖かい鍾乳洞内の気温は15度、石筍とともに造りだす奇観、天然の造型が見もの。湧き出す清水には虹鱒が泳ぎ、古生代の化石も観察することができる、思わぬ発見の連続が満載のスポットです。 入り口から出口までは518mで所要時間は20分程です。鍾乳洞…
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- 桃配山・徳川家康最初陣跡

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- 西濃
- 東軍の総大将・徳川家康は、慶長5(1600)年9月14日に岡山(後に「勝山」と呼ばれる。岐阜県大垣市)へ着陣し、翌15日の午前に桃配山(岐阜県関ケ原町)に布陣しました。桃配山は、関ケ原合戦以前の壬申の乱にて、勝者である大海人皇子が野上行宮より出陣し陣を敷いた…
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- 加納天満宮

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- 岐阜・中濃
- 文安2年(1445年)、斎藤利永が沓井城(旧 加納城)の守護神として天満宮を勧請。関ケ原の合戦後、徳川家康が新しい加納城建設にあたり、鎮護の神として現在の地に遷座した。ご祭神は菅原道真公。
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- 十九女池

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- 西濃
- 関ケ原インターを降りて最初の信号を東へしばらく行くと、右手に「十九女池(つづらいけ)」という大きな池があります。この池には“龍女伝説”があり、公園内に「つづら姫の笛の詩」という看板もあります。また、竹生島の弁財天の御分身が祀られている御堂…
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- 毛利秀元陣跡

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- 西濃
- 毛利秀元は、穂井田元清(毛利元就の四男・毛利元清)の長男として生まれる。関ケ原合戦では、西軍に属し毛利輝元の名代として南宮山に布陣。一族の吉川広家らの内通により、合戦では動けず参加できませんでした。(西軍敗戦の要因の1つ)合戦後は、吉川広重の思惑が…
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- 池田輝政陣跡・春王安王墓

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- 西濃
- 岐阜城攻略で二の丸一番乗りを果たした池田輝政は、関ケ原合戦では、南宮山の軍勢に備えて布陣しました。陣跡の石碑は、室町時代の史跡である春王・安王の墓と同じ敷地に建っています。その後、輝政公は、姫路藩初代藩主として姫路城を現在残る姿に大規模に修築します…
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- 黒野城跡

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- 岐阜・中濃
- 文禄3年(1594年)、加藤貞泰が美濃国4万国に封じられた際に築城後、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いで加藤貞泰は、東軍(徳川方)に属し、慶長15年(1610年)には2万石加増され伯耆国(ほうきのくに)米子6万石の城主になりました。加藤貞泰の転封後は、黒野は加納藩…
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- グリーン・ウッド関ケ原 オートキャンプ場

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- 西濃
- 関ケ原インターから約15分、アクセスしやすい場所にありながら、一歩足を踏み入れれば大自然が広がる「グリーン・ウッド関ケ原」は、一年を通じて四季折々の景色を楽しみながらキャンプやアウトドアが楽しめるオートキャンプ場です。オートキャンプサイトをはじめ、バ…
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- 杭瀬川古戦場

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
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