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- 明知城跡

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- 東濃
- 明知城は、恵那市南部では岩村城に次ぐ規模の城郭である。明知遠山氏代々の居城であった。明知遠山氏は、織豊期に一時この地を離れるが、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の合戦後に復帰する。江戸時代には旗本となり、存続した。城跡は現在公園となり、散策道も付けられ…
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- 土岐高山城跡

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- 東濃
- 鎌倉時代に高山伊賀守秀頼が築城したとされますが、詳細は不明です。戦国時代では、平井氏ー森氏の居城となり、関ケ原の合戦の際には西軍方の田丸直昌(岩村城主)の支城となっています。直昌は、東濃の戦い(関ケ原の合戦時に東濃地方で行われた一連の戦い)で妻木氏…
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- 大正時代館

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- 東濃
- 大正時代の象徴「大正天皇」に関する展示や当時の標準的な家庭を様々な生活道具によって再現した生活情景展示の他に、年数回の企画展示が行われます。 当時の暮らしぶりなどをテーマに1階には新聞やレトロなポスターなどが展示されています。当時のポスターはア…
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- 杭瀬川古戦場

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
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- 中山道 細久手宿

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- 東濃
- 細久手(ほそくて)宿は江戸から48番目の宿で、大湫(おおくて)宿と同じく歌川広重の「木曽街道六十九次」に描かれています。東隣の大湫宿と西隣の御嶽宿の間が4里半と長く、旅人が難渋したために仮宿を設けたのがはじまりです。宿場内には尾州家定本陣であり今でも料…
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- 地歌舞伎公演(中津川市)

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- 東濃
- 地元の役者たちによって演じられる「地歌舞伎」。大歌舞伎では見られなくなった演目や特有の振付が見物!受け継がれてきた伝統芸能の粋をお見逃しなく!
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- 治水神社・千本松原【海津市】

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- 西濃
- 江戸時代に幕府の命により、難関だと言われた治水工事を成し遂げた薩摩義士を祀る神社。毎年春(4月25日)と秋(10月25日)には義士の遺徳を偲び、慰霊祭が行われています。揖斐川と長良川の背割堤1km余にわたって連なる松並木は、工事の完成後、薩摩義士が千本の苗を植え…
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- 顔戸城址

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- 岐阜・中濃
- 大河ドラマ「麒麟がくる」で注目を集める可児市北東部から御嵩町西部にかけて存在したとされる明智荘は、古来「明智八郷」と言われており、現在の御嵩町の古屋敷・顔戸、可児市の柿田・渕之上・平貝戸・瀬田・石森・石井の8つの集落を指します。この明智荘には、美濃…
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- 立政寺

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- 岐阜・中濃
- 東海地方の中世浄土宗の一大中心地として栄えた寺。明智光秀公と細川藤孝公の仲介により、織田信長公が、戦国最後の将軍となる直前の足利義昭公をこの寺に迎えている。又、徳川家康公も関ケ原の合戦の時に立ち寄っている。
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- 太田の渡し跡(化石林公園)

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- 岐阜・中濃
- 「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と俗謡にも唄われた木曽川の渡船場跡で史跡碑が建ち、石畳の一部が残ります。平成6年に河底から大規模な珪化木群が発見され、一帯は化石林公園として整備されています。
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- 鮎鮨街道・笠松問屋跡

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- 岐阜・中濃
- 長良川の鵜飼でとった鮎を使用した鮎鮨(あゆずし)を将軍徳川家康に献上する為に通った道。岐阜城の麓にある御鮨所を出発し、加納宿を経た荷物は、笠松の問屋「高嶋家」で引き継がれ、一宮問屋へ送られた。
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- 御嶽宿本陣

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- 岐阜・中濃
- 宿場のやや西寄りに位置する「御嶽宿本陣」は、江戸時代の大名や公家などが宿泊・休憩する施設として利用されてきました。慶長7年(1602)に徳川家康は街道整備の一環として、中山道の整備に着手しますが、その際、いち早く宿場として設けたのが「御嶽宿」と言われて…
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- 白川郷 合掌造り民家園 紅葉ライトアップ

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- 飛騨
- 【合掌造り民家園 紅葉ライトアップ】の開催について合掌造り民家園では、下記の日程にて、第17回となる紅葉ライトアップ(夜間営業)を行います。赤や黄色に色づく紅葉の期間での開催となり、雪の中とはひと味違った幻想的な夜景を楽しんでいただけたら幸いです。&nb…
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- 気多若宮神社

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- 飛騨
- 古川町の市街地を見下ろす気多若宮神社は、その市街地一帯を氏子にもつ神社で特別金弊社として広く一般の崇敬を集めている。ユネスコ無形文化遺産に登録された古川祭(毎年4月19・20日)はこの神社の例祭として行なわれている祭である。参道の石段をのぼりきると…
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- 関ケ原古戦場 開戦地

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- 西濃
- 関ケ原合戦当日の朝、霧が薄くなったのをきっかけに松平・井伊隊が、先峰の福島隊の脇を通り抜け、宇喜多隊の前へ進出し発砲。この井伊隊の抜け駆けに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を行い、この開戦地で関ケ原合戦開戦の火ぶたが切られました。「徳川四…
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- 赤坂港跡

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- 西濃
- 川を交通の手段としていた1900年初期ごろ、川港の赤坂港には、500艘を超える船が往来したと言われています。この地域は、古くから石灰や大理石産業が盛んで、産業の町としてにぎわいを見せていました。赤坂港会館は、明治8年赤坂の四辻にあった屯所(警察署)を復元し…
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- 白川八幡神社 釈迦堂

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- 飛騨
- 白川八幡神社境内の釈迦堂は、江戸時代初期の寛永4(1627)年に当時の領主、山下氏勝が建立。 氏勝が家康から名古屋城築城の命を受けた際に、諸国の彫刻家に彫らせた弥陀、釈迦、日輪、月輪の4体の像は、山下家のの氏神として崇敬庇護されたといわれています。
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- 美濃歌舞伎博物館「相生座」

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- 東濃
- 相生座は、旧恵那郡明智町にあった常盤座と、旧益田郡下呂町にあった相生座の舞台や客席などを組み合わせ、昭和51(1976)年に日吉町に移築再現。両花道・回り舞台等を備え、客席は平土間で左右と後方の二階に桟敷が設けられた本格的な舞台機構を完備した芝居小屋です。…
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- 御嵩城址

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- 岐阜・中濃
- 御嵩城には、権現山城と本陣山城の2つの城があり、築城年代は不詳ですが、小栗信濃守という武将の居城だったといわれています。伝承によれば、金山城主森長可は権現山城に大軍をもってたびたび攻め込みましたが、権現様のお使いの白い大蛇が霧を出して阻み、攻略でき…
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- 円徳寺

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- 岐阜・中濃
- 円徳寺は、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。天文16年(1547年)、織田信秀公(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三公に大敗し約5000人の戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築…
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