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- 気多若宮神社

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- 飛騨
- 古川町の市街地を見下ろす気多若宮神社は、その市街地一帯を氏子にもつ神社で特別金弊社として広く一般の崇敬を集めている。ユネスコ無形文化遺産に登録された古川祭(毎年4月19・20日)はこの神社の例祭として行なわれている祭である。参道の石段をのぼりきると…
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- 御嵩城址

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- 岐阜・中濃
- 御嵩城には、権現山城と本陣山城の2つの城があり、築城年代は不詳ですが、小栗信濃守という武将の居城だったといわれています。伝承によれば、金山城主森長可は権現山城に大軍をもってたびたび攻め込みましたが、権現様のお使いの白い大蛇が霧を出して阻み、攻略でき…
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- 中山道 細久手宿

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- 東濃
- 細久手(ほそくて)宿は江戸から48番目の宿で、大湫(おおくて)宿と同じく歌川広重の「木曽街道六十九次」に描かれています。東隣の大湫宿と西隣の御嶽宿の間が4里半と長く、旅人が難渋したために仮宿を設けたのがはじまりです。宿場内には尾州家定本陣であり今でも料…
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- 御嶽宿本陣

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- 岐阜・中濃
- 宿場のやや西寄りに位置する「御嶽宿本陣」は、江戸時代の大名や公家などが宿泊・休憩する施設として利用されてきました。慶長7年(1602)に徳川家康は街道整備の一環として、中山道の整備に着手しますが、その際、いち早く宿場として設けたのが「御嶽宿」と言われて…
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- 妙應寺

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- 西濃
- 今須宿の中ほど、国道21号線の高架を越えたところに「妙応寺」があります。この寺は室町時代の初め、正平15年(1360年)に、今須領主長江重景が、亡き母・妙応のために創建した県下で最も古い曹洞宗寺院です。門扉には菊花紋章が埋め込まれ、荘厳な本堂が建ち、五百羅…
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- 太田宿中山道会館

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- 岐阜・中濃
- 今もなお宿場町の面影が強く残る太田宿。中山道六十九次の51番目の宿場にあたる太田宿は、中山道の三大難所の1つ「太田の渡し」で知られています。太田宿中山道会館では、宿場町の歴史・文化を学ぶことができます。お食事や休憩ができる「カフェYADORIGI」や特産品…
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- 今尾の左義長【海津市】

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- 西濃
- 令和8年2月8日(日)開催予定です。毎年2月第2日曜日、秋葉神社の境内で行われる正月行事の一つで「火を崇め火伏を祈願する」神事として、400年あまりの歴史を持つ岐阜県重要無形民俗文化財です。“どんど焼き”とも呼ばれています。高さ約6メートル…
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- 大谷吉継の墓・湯淺五助の墓

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- 西濃
- 「大谷吉継の墓」は、平塚為広の碑より山道を15分ほど登った場所にあります。その墓はひっそりと吉継の側近「湯淺五助の墓」と一緒に建っています。石田三成の盟友だった大谷吉継は、病身を押して関ケ原の合戦に参戦し、三成への『義』を貫きます。吉継は藤堂・京極隊…
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- 飛騨の匠文化館

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- 飛騨
- 2026年6月27日(土)渡辺酒造店酵母まつりのため臨時休館 木の国飛騨で育った木材を使い、飛騨の匠の技を受け継ぐ地元の大工たちによって建てられ、釘を1本も使っていないのが特徴。中庭に面する軒下には、この建物に関わった大工の紋章「雲」が施された…
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- 円徳寺

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- 岐阜・中濃
- 円徳寺は、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。天文16年(1547年)、織田信秀公(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三公に大敗し約5000人の戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築…
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- 奥の細道むすびの地(住吉燈台・船町港)

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- 西濃
- 芭蕉も舟で下った水門川は、大垣と桑名を結ぶ輸送経路として、明治時代に入っても物資や人の流れが多くたいへん賑やかな港であったといわれ、昭和初期には年間約1万もの船が行き来していたといわれています。松尾芭蕉は、古歌や故事で知られた名所・旧跡の地を訪ねて…
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- 太田の渡し跡(化石林公園)

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- 岐阜・中濃
- 「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と俗謡にも唄われた木曽川の渡船場跡で史跡碑が建ち、石畳の一部が残ります。平成6年に河底から大規模な珪化木群が発見され、一帯は化石林公園として整備されています。
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- 土岐高山城跡

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- 東濃
- 鎌倉時代に高山伊賀守秀頼が築城したとされますが、詳細は不明です。戦国時代では、平井氏ー森氏の居城となり、関ケ原の合戦の際には西軍方の田丸直昌(岩村城主)の支城となっています。直昌は、東濃の戦い(関ケ原の合戦時に東濃地方で行われた一連の戦い)で妻木氏…
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- 中観音堂・羽島円空資料館

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- 岐阜・中濃
- 円空上人は、江戸時代(1632年~1695年)の修行僧で、洪水で非業の死を遂げた母の供養のため出家して全国を行脚する放浪の旅に出て、その生涯に12万体の仏像を彫刻しました。円空上人生誕の地と言われる羽島市の中では、最も多くの円空仏が安置されており、本尊の「十…
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- 毛利秀元陣跡

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- 西濃
- 毛利秀元は、穂井田元清(毛利元就の四男・毛利元清)の長男として生まれる。関ケ原合戦では、西軍に属し毛利輝元の名代として南宮山に布陣。一族の吉川広家らの内通により、合戦では動けず参加できませんでした。(西軍敗戦の要因の1つ)合戦後は、吉川広重の思惑が…
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- 白川八幡神社 釈迦堂

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- 飛騨
- 白川八幡神社境内の釈迦堂は、江戸時代初期の寛永4(1627)年に当時の領主、山下氏勝が建立。 氏勝が家康から名古屋城築城の命を受けた際に、諸国の彫刻家に彫らせた弥陀、釈迦、日輪、月輪の4体の像は、山下家のの氏神として崇敬庇護されたといわれています。
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- 光顕寺

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- 西濃
- 教如上人が関ヶ原合戦、直前の慶長5年8月に徳川家康の陣中見舞いを行った。関東からの帰り道、墨俣の渡船場付近(長良川)で西軍の石田三成軍に襲われたが、安八・墨俣などの15か村の信徒によってかくまわれた場所とされている。その際に、もはやこれまでかと思い、…
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- 烏頭坂 島津豊久碑 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦終盤、陣から敵中突破を図り、徳川家康の本陣をかすめて伊勢街道へ進んだ島津隊。東軍の追撃は、激しく先手を務めていた島津豊久公が殿(しんがり)にまわり、烏頭坂で井伊直政・松平忠吉らを迎え撃ちました。島津義弘公は、伊勢街道(伊勢西街道)へと逃…
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- 中山道 美江寺宿

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- 岐阜・中濃
- 美江寺宿は、中山道六十九宿のうち五十五番目の小規模な宿場です。この地には奈良時代、養老年中に建立された美江寺(美江寺観音)がありました。しかし、戦国時代、斎藤道三によって岐阜へ移されましたが、地名だけは残りました。1880(明治3)年の宿駅制廃止から約1…
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- 中山道 琵琶峠

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- 東濃
- 琵琶峠は美濃の中山道十六宿の中で最も高い峠(標高557m)です。全長約730mに渡って石畳が敷かれており、日本一の長さと言われています。石仏や一里塚も当時のまま残っていることは大変貴重で、昔ながらの中山道を体感できます。緑の木々と石畳の美しさから中山道の…
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