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- 行徳岩 (武儀川)

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- 岐阜・中濃
- 「明智光秀公の母」が懐妊していた時、この岩に立って行水し、「私の生む子が男であったら、仮令三日でもよいから天下を取るような立派な男子を、もし女であったら天下一の美女を御さづけ下さい」と祈ったと伝えられています。
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- 十五社神社

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- 岐阜・中濃
- 平安時代に創建された神社で、土岐氏が氏神として崇敬していました。天文9年(1540)に土岐氏が奉納した越前産笏谷石製の狛犬一対が現存しています。当時の朝倉氏は笏谷石を越前国外にほとんど持ち出さなかったことが分かっており、土岐氏と朝倉氏の深い関係が想像さ…
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- 大谷吉継陣跡

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- 西濃
- 「大谷吉継陣跡」は、山中(やまなか)の「大谷吉継の墓」から少し下った場所にあり、ひっそりと碑が建っています。大谷隊は、関ケ原の合戦が始まる十日程前に「若宮八幡宮」上の急斜面に陣を作り始めました。この陣は、空堀を左右に巡らせ、山中城と呼ばれるほどの要害の地で…
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- 伊久良河宮跡(いくらがわのみや)

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- 岐阜・中濃
- 全国神社の本宗である伊勢神宮は、皇位の御しるしの八咫(やた)の鏡をご神体とし、皇祖天照大神をお祀りしている皇大神宮(内宮)が信仰の中心となっています。垂仁天皇の時代、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)は、天照大神をお祀りするのに最もふさわしい地を求め…
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- 旧八百津発電所資料館

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- 岐阜・中濃
- 旧八百津発電所は、明治44年(1911)に木曽川水系初の本格的な発電所として建設され、明治・大正・昭和の3代にかけて、産業の近代化への道のりを支えてきました。しかし、昭和49年、新しい丸山発電所の完成により閉鎖となり、63年に渡る発電の歴史を終えました。平成10…
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- 和泉式部廟所

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- 岐阜・中濃
- 東濃
- 情熱の歌人とたたえられた平安時代の女流歌人和泉式部は、旅する途中この地で病に倒れ、現在の鬼岩温泉で湯治したものの亡くなってしまったと伝えられています。石碑には「ひとりさえ渡れば沈むうき橋にあとなる人はしばしとどまれ」と記されています。
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- 南宮大社 花手水 花手水呈茶席

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- 西濃
- 岐阜県不破郡垂井町にある南宮大社は美濃國一宮として古く神話の時代、伊耶那美命(いざなみのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)をお生みになられた際にお生まれになられた鉄鉱・鉱山を司る金山彦大神を主祭神として、現在でも南宮大社は金属の総本宮として全…
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- 安国寺恵瓊陣跡

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- 西濃
- 安国寺恵瓊は、毛利輝元公を西軍の大将にまつりあげることに成功する。関ケ原の合戦では、西軍として南宮山に布陣。吉川広家等の裏切りにより傍観軍になる。合戦後、石田光成公らとともに京都六条河原で斬首されました。
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- 池田輝政陣跡・春王安王墓

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- 西濃
- 岐阜城攻略で二の丸一番乗りを果たした池田輝政は、関ケ原合戦では、南宮山の軍勢に備えて布陣しました。陣跡の石碑は、室町時代の史跡である春王・安王の墓と同じ敷地に建っています。その後、輝政公は、姫路藩初代藩主として姫路城を現在残る姿に大規模に修築します…
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- 池田恒興・元助父子の墓

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- 西濃
- 織田信長の乳兄弟であった池田恒興は、信長の死後大垣城主となった武将。清須会議四宿老のひとりとしても著名です。子の輝政は父の後を継ぎ、大垣城主を経て、後に姫路城主となりますが、父子は長久手の合戦で戦死し、池田町に葬られました。池田のお茶は、そんな池田…
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- 妙應寺

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- 西濃
- 今須宿の中ほど、国道21号線の高架を越えたところに「妙応寺」があります。この寺は室町時代の初め、正平15年(1360年)に、今須領主長江重景が、亡き母・妙応のために創建した県下で最も古い曹洞宗寺院です。門扉には菊花紋章が埋め込まれ、荘厳な本堂が建ち、五百羅…
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- 旧小松屋吉田家住宅

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- 岐阜・中濃
- 江戸時代に旅籠を営んでいた建物を、そのまま活用した太田宿のお休み処です。近世町屋建築の落ち着いた雰囲気の中で畳の上でおくつろぎください。美濃加茂市出身の文学者・坪内逍遥ほかの資料展示もあります。
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- 羽島市歴史民俗資料館・映画資料館

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- 岐阜・中濃
- 羽島市の歴史や民俗芸能に触れることができる歴史民俗資料館と、公立としては大変珍しい映画資料館が併設されています。円空、佐吉仏、竹鼻まつり、平方勢獅子などの羽島の文化にも触れることができます。 映画資料館では、昔懐かしい映写機で懐かしの映画が、事…
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- 高原郷土館(神岡城)

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- 飛騨
- 町並みを見渡せる高台にある高原郷土館は、神岡城・旧松葉家住宅・鉱山資料館の3施設からなります。かつて、金森氏の出城として使われた神岡城。現在の天守閣は、昭和45年に神岡町のシンボルとして建てられましたが、当時の遺構を残す壕や石塁などは、戦乱の往事を思…
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- 素玄寺

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- 飛騨
- 1609年、初代高山城主であった金森長近(かなもりながちか)の菩提寺として、二代目金森可重(かなもりありしげ)が建立したもの。長近の法号にちなんで素玄寺となりました。金森家ゆかりの寺として知られ、長近が用いていた軍扇や采配等のほか、肖像画を所蔵していま…
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- 黒田長政お手植えの銀杏の木・五明稲荷神社

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- 西濃
- 天正6年(1578)、羽柴秀吉が播磨平定を進める中三木城攻めのおり、織田家家臣の荒木村重が摂津で謀反を企てました。村重と旧知であり、秀吉の部下であった黒田官兵衛が説得に当たりましたが、逆に石牢に幽閉されてしまいます。黒田官兵衛が裏切り村重に寝返ったと判断…
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- 長束正家陣跡

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- 西濃
- 豊臣秀吉の仕え、高い算術能力で活躍し五奉行の一人。関ケ原の合戦では、伊勢方面から美濃へ転戦し、本戦では、南宮山に陣を構えたが、吉川広家にはばまれ、合戦に参戦することができず、領地である近江水口へ撤退した。
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- 伊吹祭

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- 西濃
- 毎年4月第2日曜におこなわれる伊富岐神社のお祭りです。天明7年(1787)がはじまりと言われ、五穀豊穣と安全を祈願して、伊富岐神楽が奉納されます。伊富岐神楽で演じられる舞は全部で11の演目があります。
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- 東山遊歩道

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- 飛騨
- 古い町並から歩いて約10分、少し離れた高台にお寺が集まる「東山寺町」は隠れた散策スポット。戦国時代に飛騨を平定した金森氏は、城下町を整備する中で、城の東に連なる山裾を京都の東山になぞらえて数々の寺院を建立・移築しました。これらの寺院や神社、各寺院のに…
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- 桜洞城

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- 飛騨
- 桜洞城は、戦国時代に益田一帯を制して、勢力を振るった三木氏の居城があったところ。三木氏が飛騨全域を統一して、高山盆地に城を築いてからは、ここを冬の宿地としたことから、「冬城」の名でも知られている。発掘調査の結果、城内の規模は南北約147m、東西約97m…
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