岐阜の
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- 連理の榊

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- 西濃
- 国の天然記念物指定を受けたサカキで、推定樹齢300~400年の大木。根本は二幹に分かれていますが、枝が絡み合って一体になっていることから、連理の榊とわれています。関ヶ原合戦時には西軍の長宗我部盛親がこの辺りに陣を張りました。
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- 素玄寺

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- 飛騨
- 1609年、初代高山城主であった金森長近(かなもりながちか)の菩提寺として、二代目金森可重(かなもりありしげ)が建立したもの。長近の法号にちなんで素玄寺となりました。金森家ゆかりの寺として知られ、長近が用いていた軍扇や采配等のほか、肖像画を所蔵していま…
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- 薩摩池 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 島津義弘隊が布陣した際に軍用として使用した小さな池で、古来より水が枯れたことはないと言われています。関ケ原合戦の勝敗がついた後、島津隊は敵中突破の撤退にて、伊勢街道を走り抜けました。
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- 竹ヶ鼻城跡

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- 岐阜・中濃
- 羽島市歴史民俗資料館(竹鼻別院前)の敷地内に竹ヶ鼻城跡の石標は立っています。応仁年間に武腰伊豆守が竹ヶ鼻城を築城したと云われています。その後、不破源六広綱が城主時代に、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による「水攻め」があったことで知られてます。竹ヶ鼻城跡の…
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- 旧八百津発電所資料館

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- 岐阜・中濃
- 旧八百津発電所は、明治44年(1911)に木曽川水系初の本格的な発電所として建設され、明治・大正・昭和の3代にかけて、産業の近代化への道のりを支えてきました。しかし、昭和49年、新しい丸山発電所の完成により閉鎖となり、63年に渡る発電の歴史を終えました。平成10…
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- 中観音堂・羽島円空資料館

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- 岐阜・中濃
- 円空上人は、江戸時代(1632年~1695年)の修行僧で、洪水で非業の死を遂げた母の供養のため出家して全国を行脚する放浪の旅に出て、その生涯に12万体の仏像を彫刻しました。円空上人生誕の地と言われる羽島市の中では、最も多くの円空仏が安置されており、本尊の「十…
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- 富加町郷土資料館

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- 岐阜・中濃
- 現存する日本最古の戸籍の故地として注目されている。奈良東大寺正倉院には12通の古代戸籍が残り、中でも大寶貳年御野國半布里戸籍は54戸1119人の氏名、続柄等が書かれ、ほぼ完璧な形で残っています。そのレプリカを展示、発掘出土品、古民具、農機具等が展示…
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- 黒田長政お手植えの銀杏の木・五明稲荷神社

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- 西濃
- 天正6年(1578)、羽柴秀吉が播磨平定を進める中三木城攻めのおり、織田家家臣の荒木村重が摂津で謀反を企てました。村重と旧知であり、秀吉の部下であった黒田官兵衛が説得に当たりましたが、逆に石牢に幽閉されてしまいます。黒田官兵衛が裏切り村重に寝返ったと判断…
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- 東山遊歩道

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- 飛騨
- 古い町並から歩いて約10分、少し離れた高台にお寺が集まる「東山寺町」は隠れた散策スポット。戦国時代に飛騨を平定した金森氏は、城下町を整備する中で、城の東に連なる山裾を京都の東山になぞらえて数々の寺院を建立・移築しました。これらの寺院や神社、各寺院のに…
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- 春日局出生地 (春日局公園)

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- 西濃
- 春日局公園徳川家光 公の乳母として、大奥の基盤を整えたと知られている「春日局(= お福)」母の兄は、「明智光秀」公 ・・・ とも言われています。父の「斎藤利三」公は、「明智光秀」公の重臣として本能寺の変、山崎の合戦で行動を共にした白樫城主(揖斐川…
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- 小西神社

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- 西濃
- 1600(慶長5)年関ヶ原合戦に敗れた小西行長は春日中山へ逃げ、観音寺で匿われたが、捕らえられ、中山に騙されたと思いこんだ行長は強い恨みを持った。それから度々大火が起こるようになり、これを小西行長の祟りと恐れた中山では墓を作り、寺に祀って大改装を行…
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- 飛騨高山まちの博物館

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- 飛騨
- 平成23年4月11日にリニューアルオープンした飛騨高山まちの博物館。城下町の形成と町家文化をテーマに高山の成り立ちや、継承されている文化などを展示しています。14の展示室には、高山祭や町家、城下町の成り立ちなど、また郷土ゆかりの文人や美術、飛騨にゆかり…
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- 旧森川訓行家住宅(丸森)

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- 東濃
- 旧森川訓行家住宅は、中山道大湫宿の北部に位置し、一族の中でも各々を区別するために「丸森」と呼ばれ、旅籠屋の他に尾州藩の許可を得て塩の専売も行い、繁盛を極めたとされています。建物は江戸時代末期の建築と推察され、江戸の町屋形式をそのまま有し、当時の旅籠…
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- 土岐頼貞の墓

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- 東濃
- 南北朝時代に美濃国守護となった土岐頼貞とその一族の墓です。この辺りは、江戸時代には中島村と呼ばれ興禅寺(光善寺)跡とも言われています。墓所は道路によって東西に分断され、東側は五輪塔10基、西側には五輪塔5基と宝篋印塔4基があります。頼貞の墓には「暦二年…
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- 島津越え(五僧峠)<島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 鈴鹿山系を縫うように広がる時山は、駒野越えで再び上石津に入った島津義弘本隊が、途中出会った織田秀信家臣の小林新六郎の案内で五僧峠を越えて近江高宮に向かった。険しい山道を上り、五僧峠を越えて甲賀から堺浦に出て船で薩摩に帰ったと記されています。五僧峠は…
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- 可児市観光交流館

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- 岐阜・中濃
- 山城めぐりの拠点施設及び観光案内所として、平成30年4月にリニューアルオープンしました。館内1階は、戦国時代の本陣をイメージした内装であり、陣幕や甲冑、槍や弓などが展示されています。展示の甲冑はすべて着ることができ、さらに、甲冑や忍装束を着て、美濃…
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- 旧太田宿本陣門

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- 岐阜・中濃
- 文久元(1861)年、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍徳川家茂に嫁ぐために下向した際に新築された門です。この門は、一間の薬医門で両袖に半間の塀がつき、旧本陣の偉容を偲ばせる格式のあるつくりです。
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- 織田塚

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- 岐阜・中濃
- 天文16年(1547年)、織田信長の父・信秀が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三に大敗し、信長の叔父・信康を始めとした5,000人ともいわれる戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が築かれました。現在、織田塚は円徳寺境内(浄泉坊)と岐阜市霞町…
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- 上石津郷土資料館

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- 西濃
- 国史跡の西高木家陣屋跡に建つ資料館。上石津で出土した石器、民俗資料、動植物の標本を展示するほか、「島津の退き口」の紹介もしています。
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- 立政寺

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- 岐阜・中濃
- 東海地方の中世浄土宗の一大中心地として栄えた寺。明智光秀公と細川藤孝公の仲介により、織田信長公が、戦国最後の将軍となる直前の足利義昭公をこの寺に迎えている。又、徳川家康公も関ケ原の合戦の時に立ち寄っている。
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