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- 中山道みたけ館

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- 岐阜・中濃
- 中山道に関する資料を豊富にそろえた郷土館と図書館の複合施設。なかでも郷土館では、日本最古の象が闊歩した1800万年前から、中山道と宿場の隆盛、隠れキリシタンの歴史など…御嵩町の歴史と文化を感じてみてください。
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- 御嵩城址

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- 岐阜・中濃
- 御嵩城には、権現山城と本陣山城の2つの城があり、築城年代は不詳ですが、小栗信濃守という武将の居城だったといわれています。伝承によれば、金山城主森長可は権現山城に大軍をもってたびたび攻め込みましたが、権現様のお使いの白い大蛇が霧を出して阻み、攻略でき…
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- 合渡川の戦い跡

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- 岐阜・中濃
- 米野の戦いの敗報を聞いた石田三成は、岐阜城の後詰として合渡川(長良川)右岸の河渡に「重臣 舞兵庫(まいひょうご)」を派遣。慶長5年(1600年)8月23日、黒田長政・田中吉政・藤堂高虎ら東軍は、合渡川を渡河して西軍を攻撃、不意をつかれた西軍は敗走し大垣城に…
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- 杭瀬川古戦場

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
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- 岩村歴史資料館

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- 東濃
- 岩村歴史資料館は、岩村城跡の麓の岩村藩藩主邸跡にあります。「享保3年岩村城絵図」「明和3年岩村城平面図」「佐藤一斎自讃画像軸」(いずれも県重要文化財)をはじめとする多くの岩村城、岩村藩関係史料を収蔵展示しています。併設する民俗資料館は、城跡の南東に隣…
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- 中山道 琵琶峠

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- 東濃
- 琵琶峠は美濃の中山道十六宿の中で最も高い峠(標高557m)です。全長約730mに渡って石畳が敷かれており、日本一の長さと言われています。石仏や一里塚も当時のまま残っていることは大変貴重で、昔ながらの中山道を体感できます。緑の木々と石畳の美しさから中山道の…
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- 城跡公園(太鼓櫓・下田歌子勉学所・知新館)

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- 東濃
- 岩村城跡の山麓の武家屋敷地約2haを利用し、歴史資料館、太鼓櫓、下田歌子勉学所、遊歩道を整備。自然をそのまま生かし、町民や観光客の皆さんに親しんでいただける公園です。【太鼓櫓】 江戸時代初期、時の藩主松平家乗(まつだいらいえのり)が、平和な時代になり…
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- 中山道 伏見宿

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- 岐阜・中濃
- 伏見宿は元禄7年(1694年)土田宿の廃止に伴い整備された新宿です。木曽川の水運を利用した新村湊に近く、多くの物資の行交いとともに賑わいを見せていました。中山道ゆったり伏見宿は、宿内にある旧伏見郵便局舎を活用した観光案内所です。休憩所としても利用され、…
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- 御嶽宿本陣

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- 岐阜・中濃
- 宿場のやや西寄りに位置する「御嶽宿本陣」は、江戸時代の大名や公家などが宿泊・休憩する施設として利用されてきました。慶長7年(1602)に徳川家康は街道整備の一環として、中山道の整備に着手しますが、その際、いち早く宿場として設けたのが「御嶽宿」と言われて…
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- 木曽三川輪中ミュージアム

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- 西濃
- 令和7年3月29日 リニューアルオープン!!1階には、“海津の縄文時代”コーナーと、“海津の古墳時代”コーナーがあります。2階では、輪中地域と低地のくらしについて実物や模型で学ぶことができます。3階部分は、尾張藩の支藩である高須松平…
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- 東山遊歩道

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- 飛騨
- 古い町並から歩いて約10分、少し離れた高台にお寺が集まる「東山寺町」は隠れた散策スポット。戦国時代に飛騨を平定した金森氏は、城下町を整備する中で、城の東に連なる山裾を京都の東山になぞらえて数々の寺院を建立・移築しました。これらの寺院や神社、各寺院のに…
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- 卜全塚(氏家卜全の墓)【海津市】

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- 西濃
- 氏家卜全は、戦国末期の大垣城主で織田信長に仕えており、当時西美濃三人衆といわれた実力者の一人でした。元亀元(1570)年、伊勢長島で勢力を誇っていた願証寺の門徒六万余は織田信長に反抗していた石山本願寺の寺に応じ尾張に攻め込んで織田信興(信長の弟)を…
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- 桜洞城

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- 飛騨
- 桜洞城は、戦国時代に益田一帯を制して、勢力を振るった三木氏の居城があったところ。三木氏が飛騨全域を統一して、高山盆地に城を築いてからは、ここを冬の宿地としたことから、「冬城」の名でも知られている。発掘調査の結果、城内の規模は南北約147m、東西約97m…
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- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、叔父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚(薩摩塚)と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり…
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- 笠松町歴史未来館

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- 岐阜・中濃
- 笠松町は古くから木曽川の水運に恵まれた交通、経済の要衝として発展し美濃郡代笠松陣屋・県庁などが置かれ本県政治発祥の地として栄えました。その当時の県庁跡や商家の帳場などを提示しています。平成27年6月6日のリニューアルオープン後は、航空宇宙や医療関連の情…
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- 中山道 細久手宿

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- 東濃
- 細久手(ほそくて)宿は江戸から48番目の宿で、大湫(おおくて)宿と同じく歌川広重の「木曽街道六十九次」に描かれています。東隣の大湫宿と西隣の御嶽宿の間が4里半と長く、旅人が難渋したために仮宿を設けたのがはじまりです。宿場内には尾州家定本陣であり今でも料…
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- 千光寺

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- 飛騨
- 千光寺は「お大師さま」として親しまれている弘法大師を宗祖とし、高野山金剛峰寺を総本山とする、高野山真言宗のお寺です。1,600年前、仁徳天皇の時代の飛騨の豪族 両面宿儺(りょうめんすくな)*が開創したと伝わります。仏教の寺院としては1,200年前に真如親王*に…
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- 大谷吉継顕彰碑

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- 西濃
- 富国強兵を掲げた明治期から戦時色を強めた昭和初期にかけて、関ケ原の合戦は、戦術・戦略研究の対象となり、古戦場では実際に演習も行われました。昭和15年(1940年)に不破古跡保存会によって顕彰碑は設置され、顕彰碑は大谷吉継の最後を武士道の模範として称える内…
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- 十五社神社

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- 岐阜・中濃
- 平安時代に創建された神社で、土岐氏が氏神として崇敬していました。天文9年(1540)に土岐氏が奉納した越前産笏谷石製の狛犬一対が現存しています。当時の朝倉氏は笏谷石を越前国外にほとんど持ち出さなかったことが分かっており、土岐氏と朝倉氏の深い関係が想像さ…
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- 南泉寺

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- 岐阜・中濃
- 永正14年(1517年)に当時の守護・土岐政房(頼武・頼芸の父)が、仁岫宗寿を招いて「土岐氏の菩提寺」として開山しました。頼武の長男である頼純が、天文16年(1547年)に亡くなった際は、この寺に葬られたといい寺内には頼純の墓があります。頼芸が大桑城主の時代は…
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