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- 桃配山・徳川家康最初陣跡

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- 西濃
- 東軍の総大将・徳川家康は、慶長5(1600)年9月14日に岡山(後に「勝山」と呼ばれる。岐阜県大垣市)へ着陣し、翌15日の午前に桃配山(岐阜県関ケ原町)に布陣しました。桃配山は、関ケ原合戦以前の壬申の乱にて、勝者である大海人皇子が野上行宮より出陣し陣を敷いた…
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- 南天満山・宇喜多秀家陣跡

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- 西濃
- 杉の木立がうっそうとした南天満山の麓に天満神社があります。関ケ原合戦時には、この付近に兵約1万7千という西軍の主力部隊を布陣し、副総帥として参戦した宇喜多秀家。開戦の烽火と共に東軍・福島隊に攻め込まれた史実から、この辺りは大変に激しい戦いが繰り広げら…
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- 武田耕雲斎歌碑

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- 岐阜・中濃
- 「青天を衝け」に登場した幕末の水戸藩士、武田耕雲斎(1803~65年)の灯籠型歌碑が、太田宿中仙道会館北、旧太田宿本陣(本陣庭園)内に移設され公開されています。「天狗党」の総大将を務めていた武田耕雲斎が、旧中山道を通るおり、お世話になった当時太田代官所を…
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- 南宮大社 花手水 花手水呈茶席

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- 西濃
- 岐阜県不破郡垂井町にある南宮大社は美濃國一宮として古く神話の時代、伊耶那美命(いざなみのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)をお生みになられた際にお生まれになられた鉄鉱・鉱山を司る金山彦大神を主祭神として、現在でも南宮大社は金属の総本宮として全…
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- 関ケ原でサイクリング 電動アシスト付自転車レンタル

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- 西濃
- 関ケ原駅前観光交流館にて行っている「電動アシスト付自転車」の貸し出しを予約出来ます。電動アシスト付の自転車は台数に限りがありますので、土日祝祭日は特に予約されることをお勧めします。皆様に安心して乗っていただけるようヘルメットをご用意しております。※…
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- 美濃路 墨俣宿脇本陣

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- 西濃
- 美濃路墨俣宿にあった脇本陣跡に建つ民家です。脇本陣は明治24年(1891年)の濃尾震災の際に倒壊し、現在は隣接する本正寺に山門が残るのみです。その後、再建されたこの建物は、脇本陣時代の構造を色濃く残しており、当時の宿場町の面影を偲ぶことができます。週末には…
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- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、叔父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚(薩摩塚)と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり…
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- 旧川上家別邸 萬松園

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- 岐阜・中濃
- 日本最初の女優として知られる川上貞奴が、昭和8(1933)年に、自らの菩提寺「貞照寺」の門前、木曽川を一望する景勝地に建てた別荘。鉄瓦で葺かれた屋根や凝った内部装飾などがほぼ創建当初の姿で保存されており、貞奴の暮らしぶりを窺い知ることができます。
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- 吉島家住宅(日本遺産構成文化財)

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- 飛騨
- 四代目水間相模に師事した西田伊三郎によって、明治40(1907)年に建てられた町家建築です。土間の吹抜けの梁は、木の美しさが際立つように高い技術によって加工され、大黒柱を中心に、束と梁の整然とした構成が目を引きます。高窓からの光線を巧みに取り入れて、屋内…
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- 禅幢寺

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- 西濃
- 永禄元年(1558)竹中氏が6000貫の領主となり、竹中半兵衛は、父重元と共に菩提山に城を築きました。天正7年(1579)播州三木(現在の兵庫県三木市)の陣において行年36歳の若さで病没した半兵衛の菩提を弔うために、その子重門がこのお寺に墓を移しました。お寺の背…
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- 聖蓮寺の八房梅

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- 西濃
- 関ケ原町今須地区の平井集落に所在する「八幡山 聖蓮寺(しょうれんじ)」には、町・県指定天然記念物の「八房梅(やつふさうめ)」と呼ばれる梅の木があります。これは鎌倉時代、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が関東から京都へ帰る際、この寺に立ち寄り、食事のもて…
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- 鶴ヶ城跡

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- 東濃
- 明智光秀を輩出した土岐一族によって築城されたと伝わり、岐阜県指定史跡にも登録されています。天正10年(1582年)、織田勢の甲斐への侵攻(武田征伐)の際に信長とともに明智光秀も鶴ヶ城に立ち寄ったといわれています。鶴ヶ城は、武田氏に対する織田方の中心的な砦でし…
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- 久々利城跡

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- 岐阜・中濃
- 久々利城は、美濃に勢力を誇った土岐氏の支流である久々利氏の居城と伝えられています。正確な築城年代は不明ですが、築城された時期の上限は14世紀半ばの南北朝時代まで遡ることができます。天正11年(1583)、美濃金山城主である森長可の手により落城しました。築城…
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- 関ケ原古戦場 開戦地

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- 西濃
- 関ケ原合戦当日の朝、霧が薄くなったのをきっかけに松平・井伊隊が、先峰の福島隊の脇を通り抜け、宇喜多隊の前へ進出し発砲。この井伊隊の抜け駆けに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を行い、この開戦地で関ケ原合戦開戦の火ぶたが切られました。「徳川四…
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- 承久の乱古戦場跡 大井戸渡

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- 岐阜・中濃
- 承久3年(1221年)6月5日、鎌倉幕府軍 武田信光・小笠原長清らが大井戸(可児市土田)を渡り戦いが始まりました。夕刻、渡河攻撃を仕掛け、朝廷側 大内惟信ら2000余騎は奮闘しましたが大井戸から敗走し幕府側が勝利を収めました。翌6月6日には、まめど(現、各務原市…
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- 杭瀬川古戦場

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
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- 十一面観世音菩薩立像(別府観音堂)

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- 岐阜・中濃
- 別府観音堂に安置されている通称「別府観音」とよばれる観音像は、谷汲山の観音像と同作等身の像で、 古来より兄弟の霊像であると伝えられています。像高182.4cm・台座の高さ9.0cmの桧材一木造彫眼で衣文の彫り、裳の折り返し、裾など穏やかで丸みをおび、 温和で均整…
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- 可児郷土歴史館

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- 岐阜・中濃
- 古代から近代の可児の歴史を網羅する歴史資料館として、化石、考古、彫刻、窯業、陶芸の各分野の資料が展示されています。古代の哺乳動物の化石や、志野、織部の古陶器など、貴重な資料を通じて、可児市の特徴誇りある歴史文化を知ることができます。また、県の重要文…
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- いわむら美術の舘(旧柴田家)

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- 東濃
- 柴田家住宅は明治時代の典型的な建造物で、設備工事によって平成15年にいわむら美術の館としてオープンしました。絵画を中心に展示され、建物とともに見学できます。二階には岩村ゆかりの画家、原田芳洲の作品が展示されています。岩村城下町に訪れた際には、是非足…
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- 織部展示館

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- 岐阜・中濃
- 美濃国山口・現在の本巣市山口に生まれた古田織部は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武人。茶の世界に興味を持つようになったのは、信長の美意識や茶の湯を政治に利用する姿を目にし、茶の湯の持つ力の大きさを痛感したからといわれている。千利休の愛弟子とな…
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