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- 明智光秀公ブロンズ像

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- 岐阜・中濃
- 大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公 明智光秀が、出生地の故郷明智荘に438年の時を経てよみがえりました。高さは台座を含めて約4m30cm、鎧に陣羽織を羽織り、鉄砲を携えた迫力のある立像です。人々が穏やかに暮らせる、争いのない時代を願って可児から雄飛した…
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- 表佐太鼓踊り

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- 西濃
- 江戸時代初期に、美濃中山の水神さんに雨乞いをし、願いがかなったお礼に太鼓や鉦鼓を鳴らして、感謝の意を示したことが始まりとされます。現在は、若者の娯楽や鍛錬をかねた神事芸能として行われ、60kgもの大太鼓を腹に付け、音頭にあわせて踊りながら打つ様は勇壮で…
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- 大正時代館

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- 東濃
- 大正時代の象徴「大正天皇」に関する展示や当時の標準的な家庭を様々な生活道具によって再現した生活情景展示の他に、年数回の企画展示が行われます。 当時の暮らしぶりなどをテーマに1階には新聞やレトロなポスターなどが展示されています。当時のポスターはア…
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- 木曽三川輪中ミュージアム

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- 西濃
- 令和7年3月29日 リニューアルオープン!!1階には、“海津の縄文時代”コーナーと、“海津の古墳時代”コーナーがあります。2階では、輪中地域と低地のくらしについて実物や模型で学ぶことができます。3階部分は、尾張藩の支藩である高須松平…
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- 関ケ原駅前観光交流館”いざ関ケ原!”

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- 西濃
- 関ケ原町の観光情報の発信拠点としてJR関ヶ原駅前に開館した「関ケ原駅前観光交流館(愛称:いざ!関ケ原)」。観光案内のほか、観光パンフレットの配架や関ケ原限定のおみやげの販売もあり、古戦場巡りの拠点としても、ぜひご利用ください。また、お荷物をお預けいた…
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- 赤坂港跡

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- 西濃
- 川を交通の手段としていた1900年初期ごろ、川港の赤坂港には、500艘を超える船が往来したと言われています。この地域は、古くから石灰や大理石産業が盛んで、産業の町としてにぎわいを見せていました。赤坂港会館は、明治8年赤坂の四辻にあった屯所(警察署)を復元し…
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- 大石まつり

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- 西濃
- 毎年10月の第2日曜日に開催されます。秋葉神社や北部グラウンドでは約150発の花火が打ち上げられます。3.5mの竹竿の先に60cmほどの竹筒を取りつけ「立火棚」の上から打ち上げる伝承芸能「立火」も見ものです。
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- 気多若宮神社

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- 飛騨
- 古川町の市街地を見下ろす気多若宮神社は、その市街地一帯を氏子にもつ神社で特別金弊社として広く一般の崇敬を集めている。ユネスコ無形文化遺産に登録された古川祭(毎年4月19・20日)はこの神社の例祭として行なわれている祭である。参道の石段をのぼりきると…
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- 大正ロマン館

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- 東濃
- 10室の展示室には、大正時代のヨーロッパの家具やオルゴール、洋画の父といわれるこの地出身の山本芳翠の油絵絵画 「裸婦」(国重要文化財指定 )も展示され時代にちなんだ企画展が催されています。常設展示 初代村長 高峰三枝子展初代議長 元横綱栃錦相撲展大正時…
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- 御嶽宿本陣

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- 岐阜・中濃
- 宿場のやや西寄りに位置する「御嶽宿本陣」は、江戸時代の大名や公家などが宿泊・休憩する施設として利用されてきました。慶長7年(1602)に徳川家康は街道整備の一環として、中山道の整備に着手しますが、その際、いち早く宿場として設けたのが「御嶽宿」と言われて…
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- 禅幢寺

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- 西濃
- 永禄元年(1558)竹中氏が6000貫の領主となり、竹中半兵衛は、父重元と共に菩提山に城を築きました。天正7年(1579)播州三木(現在の兵庫県三木市)の陣において行年36歳の若さで病没した半兵衛の菩提を弔うために、その子重門がこのお寺に墓を移しました。お寺の背…
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- 円徳寺

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- 岐阜・中濃
- 円徳寺は、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。天文16年(1547年)、織田信秀公(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三公に大敗し約5000人の戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築…
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- 太田の渡し跡(化石林公園)

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- 岐阜・中濃
- 「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と俗謡にも唄われた木曽川の渡船場跡で史跡碑が建ち、石畳の一部が残ります。平成6年に河底から大規模な珪化木群が発見され、一帯は化石林公園として整備されています。
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- 美濃歌舞伎博物館「相生座」

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- 東濃
- 相生座は、旧恵那郡明智町にあった常盤座と、旧益田郡下呂町にあった相生座の舞台や客席などを組み合わせ、昭和51(1976)年に日吉町に移築再現。両花道・回り舞台等を備え、客席は平土間で左右と後方の二階に桟敷が設けられた本格的な舞台機構を完備した芝居小屋です。…
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- 大垣市郷土館

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- 西濃
- 大垣の歴史的風土を五感で感じてみませんか?大垣市郷土館は、江戸時代の大垣藩主戸田入城350周年を記念して建設されました。歴代藩主の顕彰を中心に、大垣の歴史的風土を築き上げてきた美術品等を多数展示しています。盆栽と石畳からなる日本庭園は、四季折々のすが…
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- 中観音堂・羽島円空資料館

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- 岐阜・中濃
- 円空上人は、江戸時代(1632年~1695年)の修行僧で、洪水で非業の死を遂げた母の供養のため出家して全国を行脚する放浪の旅に出て、その生涯に12万体の仏像を彫刻しました。円空上人生誕の地と言われる羽島市の中では、最も多くの円空仏が安置されており、本尊の「十…
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- 鮎鮨街道・笠松問屋跡

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- 岐阜・中濃
- 長良川の鵜飼でとった鮎を使用した鮎鮨(あゆずし)を将軍徳川家康に献上する為に通った道。岐阜城の麓にある御鮨所を出発し、加納宿を経た荷物は、笠松の問屋「高嶋家」で引き継がれ、一宮問屋へ送られた。
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- 猿啄城

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- 岐阜・中濃
- 永禄8年(1565年)、織田信長の美濃攻めにより攻略され、川尻鎮吉(かわじりしげよし)が城主となりました。 その折に、地名を猿啄(さるばみ)から勝山に改めたといわれています。山頂までは徒歩30~40分ほど。 自然の中の散策が楽しめます。
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- 毛利秀元陣跡

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- 西濃
- 毛利秀元は、穂井田元清(毛利元就の四男・毛利元清)の長男として生まれる。関ケ原合戦では、西軍に属し毛利輝元の名代として南宮山に布陣。一族の吉川広家らの内通により、合戦では動けず参加できませんでした。(西軍敗戦の要因の1つ)合戦後は、吉川広重の思惑が…
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- 関ケ原笹尾山交流館

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- 西濃
- 関ケ原笹尾山交流館(せきがはらささおやまこうりゅうかん)は、関ケ原古戦場でも一番の観光スポットである笹尾山・石田三成陣跡での交流を促進するための拠点施設です。「甲冑体験(有料)」をはじめ、観光パンフレットの配架や観光情報の発信を実施しています。夏の…
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