岐阜の
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- 歴史を知る
- 岐阜県博物館

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- 岐阜・中濃
- 岐阜県の豊かな自然と人々の暮らしを、楽しみながら学べる博物館です。動物や植物、岩石や化石、昔の道具や人々のくらしなど、「自然」と「文化」をテーマにした展示が盛りだくさん。展示を見るだけでなく、実際に触れたり、体験したりしながら、岐阜をまるごと知るこ…
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- 千光寺

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- 飛騨
- 千光寺は「お大師さま」として親しまれている弘法大師を宗祖とし、高野山金剛峰寺を総本山とする、高野山真言宗のお寺です。1,600年前、仁徳天皇の時代の飛騨の豪族 両面宿儺(りょうめんすくな)*が開創したと伝わります。仏教の寺院としては1,200年前に真如親王*に…
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- 久々利城跡

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- 岐阜・中濃
- 久々利城は、美濃に勢力を誇った土岐氏の支流である久々利氏の居城と伝えられています。正確な築城年代は不明ですが、築城された時期の上限は14世紀半ばの南北朝時代まで遡ることができます。天正11年(1583)、美濃金山城主である森長可の手により落城しました。築城…
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- 中山道 大湫宿

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- 東濃
- 大湫宿は江戸から47番目の宿として、海抜510メートルの高地に設けられ、江戸へ90里半、京都へ43里半、東隣りの大井宿へ3里半、西隣の細久手宿へ1里半、美濃16宿の中で最高所に位置し、それだけ急坂が続いており、旅人も人馬役からも難所とされていました。宿内の町並…
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- 奥の細道むすびの地(住吉燈台・船町港)

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- 西濃
- 芭蕉も舟で下った水門川は、大垣と桑名を結ぶ輸送経路として、明治時代に入っても物資や人の流れが多くたいへん賑やかな港であったといわれ、昭和初期には年間約1万もの船が行き来していたといわれています。松尾芭蕉は、古歌や故事で知られた名所・旧跡の地を訪ねて…
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- 木曽三川輪中ミュージアム

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- 西濃
- 令和7年3月29日 リニューアルオープン!!1階には、“海津の縄文時代”コーナーと、“海津の古墳時代”コーナーがあります。2階では、輪中地域と低地のくらしについて実物や模型で学ぶことができます。3階部分は、尾張藩の支藩である高須松平…
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- 卜全塚(氏家卜全の墓)【海津市】

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- 西濃
- 氏家卜全は、戦国末期の大垣城主で織田信長に仕えており、当時西美濃三人衆といわれた実力者の一人でした。元亀元(1570)年、伊勢長島で勢力を誇っていた願証寺の門徒六万余は織田信長に反抗していた石山本願寺の寺に応じ尾張に攻め込んで織田信興(信長の弟)を…
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- 徳川家康最後陣跡 ・ 床几場

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- 西濃
- 徳川家康は合戦当日の午前11時頃、戦況が把握できないため、桃配山から笹尾山の「石田三成」の陣の正面であるこの陣地に本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の「小早川秀秋」を鉄砲で威嚇したとも言われています(問鉄砲)。関ケ原合戦後には、床几場で首実…
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- 崇禅寺

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- 東濃
- 崇禅寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、1354年(文和3年)に、初代妻木城主とされる土岐頼重が、果山禅師を開山として創建しました。妻木城主代々の位牌や墓所があります。岐阜県や土岐市指定の文化財が多数保存されています。
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- 烏頭坂 島津豊久碑 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦終盤、陣から敵中突破を図り、徳川家康の本陣をかすめて伊勢街道へ進んだ島津隊。東軍の追撃は、激しく先手を務めていた島津豊久公が殿(しんがり)にまわり、烏頭坂で井伊直政・松平忠吉らを迎え撃ちました。豊久公は重傷を負いましたが、伊勢街道(伊勢…
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- 郡上八幡博覧館

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- 岐阜・中濃
- 大正9年に建てられた旧税務署をそのまま利用した、現代とレトロが融合したミュージアム。郡上八幡の魅力を歴史・水・技・郡上おどりのコーナーに分けて、分かりやすく展示・紹介しています。 郡上おどりの実演紹介も行っていますので、郡上おどりを知りたい人は…
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- 竹中半兵衛公の像と垂井町観光案内所

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- 西濃
- 竹中半兵衛の銅像は、JR垂井駅北口ロータリーの他、竹中家陣屋門の前とタルイピアセンター内玄関、垂井町の3箇所でご覧いただけます。垂井駅北口ロータリーにある「垂井町観光案内所」では、垂井抜きに関ケ原の合戦は語れないなど各種パンフレットを入手でき、又、…
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- 日龍峯寺(高澤観音)

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- 岐阜・中濃
- 岐阜県関市の山あいにたたずむ「日龍峯寺(にちりゅうぶじ)」は、岐阜県下で最も古い歴史を持つ寺院です。本堂は、京都・清水寺を思わせる舞台造りとなっており、その姿から「美濃の清水」とも称されています。境内に残る多宝塔は、鎌倉時代に北条政子によって建立さ…
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- 承久の乱合戦供養塔 (佛願院・前渡不動尊)

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- 岐阜・中濃
- 承久3年(1221年)6月6日、朝廷側と鎌倉幕府側は、まめどで戦いました。前渡・まめど(各務原市前渡・承久記では「大豆戸」・吾妻鏡では「摩免戸」と表記)が、選ばれた理由が、木曽川中でも特に浅く水量の多い夏場でも渡りやすい場所であったからだ言われています。…
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- 落合の石畳

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- 東濃
- 落合宿と馬籠宿の間には急な坂道が多くあり、旅人の便を図り、同時に坂道を大雨から守る策として、この落合の石畳が作られました。今は、昔の姿を留めていた三ケ所を含めて約840mが再現されています。深い森の中、ひんやりした木立の中を苔むした石畳を踏みながら歩…
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- 濃姫遺髪塚

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- 岐阜・中濃
- 濃姫は、斎藤道三と可児明智城主(現在の可児市)明智三継の娘で才色兼備と言われた小見の方(おみのかた・道三の正室)との間に生まれた。濃姫が信長と結婚後、どのような生活を送ったかは、資料が少ないためほとんどわかっていないが、本能寺の変で信長と共に亡くな…
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- 聖蓮寺の八房梅

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- 西濃
- 関ケ原町今須地区の平井集落に所在する「八幡山 聖蓮寺(しょうれんじ)」には、町・県指定天然記念物の「八房梅(やつふさうめ)」と呼ばれる梅の木があります。これは鎌倉時代、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が関東から京都へ帰る際、この寺に立ち寄り、食事のもて…
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- 黒野城跡

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- 岐阜・中濃
- 文禄3年(1594年)、加藤貞泰が美濃国4万国に封じられた際に築城後、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いで加藤貞泰は、東軍(徳川方)に属し、慶長15年(1610年)には2万石加増され伯耆国(ほうきのくに)米子6万石の城主になりました。加藤貞泰の転封後は、黒野は加納藩…
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- 承久の乱古戦場跡 大井戸渡

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- 岐阜・中濃
- 承久3年(1221年)6月5日、鎌倉幕府軍 武田信光・小笠原長清らが大井戸(可児市土田)を渡り戦いが始まりました。夕刻、渡河攻撃を仕掛け、朝廷側 大内惟信ら2000余騎は奮闘しましたが大井戸から敗走し幕府側が勝利を収めました。翌6月6日には、まめど(現、各務原市…
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- 美濃路 大垣宿本陣跡

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- 西濃
- 大垣宿は、中山道と東海道をつなぐ「美濃路」の宿場町。江戸時代を通じて本陣・脇本陣・問屋場・旅籠屋・商家などが軒を連ね活気にあふれていました。大垣宿の本陣は、永禄年間(1558~1569)に創建されたとされています。明治11年(1878)には明治天皇が東海・北陸御…
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