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- 島津義弘陣跡<島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 神明神社裏側に「島津義弘陣跡」はあり、西軍布陣地のほぼ中央部に位置しています。島津隊はわずか800名程度ともいわれる少数部隊で、鉄砲を巧妙に使って戦い、陣中では壕も掘らず、柵も作らず、鉄砲隊は交互に入れ替わり狙撃し、騎馬隊を打ち落としていたといわれて…
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- 福束城跡 福満寺

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- 西濃
- かつて舟運の拠点だった城跡、福満寺は、寛正元年(1459)に僧盛道の開基の真宗大谷派の寺院で本尊は阿弥陀如来です。福満寺には、旧福束城を記録した「古版木」が残っています。版木の図柄は、中央に福満寺の本堂を画き、左に丸毛兵庫頭の墓、右に鎮守佐々木大神宮、…
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- 夕田茶臼山古墳

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- 岐阜・中濃
- 丘陵の上にある全長33mの前方後円墳で、3世紀中頃、弥生時代と古墳時代のはざまの前方後円墳です。県下最古級の遺跡といわれ、早い段階で権力を持つ有力者が古墳のある夕田付近に誕生していたことがうかがえます。 町指定史跡となっています。
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- 上恵土城址

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代の15世紀末頃に荏土城と呼ばれていた平城で、後に上恵土城と称されるようになりました。築城年代は定かではありませんが、天正10年(1582)頃の城主長谷川五郎右衛門は大森城主奥村又八郎と謀って、金山城主森長可を攻め滅ぼそうとしますが、逆にその謀議の報…
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- 飛騨 荘川の里

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- 飛騨
- 古くから荘川に伝承されてきた民家を移築保存されているのが「飛騨荘川の里」です。荘川村の伝統家屋「寄棟式入母屋合掌造り」と言われる建造物で、清く住んだ庄川の流れとともに、昔と変わらない姿の合掌屋根が雄壮な面影をおとしています。貴重な民俗資料も保存され…
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- せきがはら史跡ガイド

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- 西濃
- 「せきがはら史跡ガイド」は、関ケ原町の史跡講座を2年間受講したメンバーで構成されています。希望の時間(9:30~16:30の間で自由設定) やコースに合わせて関ケ原の名所古跡を案内してくれるので、旅のプランに組み込みやすいです。また、初めて関ケ原を訪れた方…
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- 山内一豊陣跡

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- 西濃
- 旧中山道沿いにある「山内一豊陣跡」は、大きな松と山内家の三つ葉柏の軍旗が目印です。慶長5年(1600年)に徳川家康に従い会津の上杉景勝討伐の軍に参加した一豊は、関ケ原の戦いに際し、居城の掛川城を明け渡しての出陣となりました。岐阜・大垣の兵と戦い、野上に…
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- 木村邸

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- 東濃
- 木村家は江戸時代中期から末期に栄えた岩村城下町の本通り沿いに建つ重厚な町家造りの旧問屋です。藩の財政困窮のたびに御用金を調達してその危機を救いました。それゆえ、藩主より特別な存在として認められ、藩主自身が幾度となくこの木村邸を訪れたといわれています…
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- 野口城跡

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- 飛騨
- 野口城は築城主に関する記録がなく、城主も不明です。しかし、越中西街道と数河峠が交わる宮川沿いに位置し、向小島城や古川城を望めることから、古川盆地西側の監視拠点として重要な立地にあります。このことから、姉小路氏が築いた可能性が高いと考えられています。…
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- 竹鼻まつり山車会館

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- 岐阜・中濃
- 竹鼻まつり山車会館は、歴史的に由緒のある竹鼻まつりで曳かれる山車を展示し、郷土の伝統や文化を紹介する観光施設です。館内には実物を展示。竹鼻まつりの祭礼当日さながらに、金や銀、色糸などで装飾が施された豪華な幕類や、町内の曳行には欠かせない「かじ棒」な…
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- 美濃路 起渡船場石灯台

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- 岐阜・中濃
- 美濃路の木曽川の渡しを「起の渡し」といい、この石燈台は、濃尾大橋の開通時(昭和31年)に、現在の場所へ移されました。明和7年(1770年)の「おこし川渡船」と刻まれたこの石燈台は、文学者の龍公美の漢詩が刻まれています。口碑によると、ある夜、渡船で難儀をし…
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- 兜塚

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- 西濃
- 野一色助義(通称:野一色頼母(のいっしきたのも))は、近江国の出身で豊臣三中老の一人「中村一氏」公の家老として8千石で仕えた人物です。関ケ原の合戦の時、「中村一氏」は、東軍に属しますが、関ケ原の合戦直前の7月に亡くなったため弟「中村一栄」と共に出陣…
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- 恵日山遺跡(海老山遺跡)

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- 岐阜・中濃
- 約1万千年前の先土器時代を中心とした恵日山遺跡は岐阜県のみ成らず全国の旧石器時代の先駆けの遺跡、旧石器時代のナイフ型石器や細石器(さいせっき)。有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)などが多く見つかった。後に信長が堂洞城を攻める時に本陣を置いたと言われて…
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- 明宝歴史民俗資料館

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- 岐阜・中濃
- 旧小学校の古い木造校舎に、昔の生活道具、商業・産業器具、おもちゃ、戦争関連、鉱物、通貨、石器等を展示しています。収蔵品はおよそ47,000点。その内、国の重要有形民俗文化財がおよそ3,500点と膨大な収蔵数です。見どころは、某人気テレビ番組で登場した開かずの…
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- 安藤守就戦死の地

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- 岐阜・中濃
- 本能寺の変、信長の死後、旧領地を取り戻すため安東(安藤)守就親子は挙兵し北方城を奪い再起を試みたが、新領主の西美濃三人衆のもう一人、稲葉一鉄(良通)に攻められ討死しました。この戦いを北方合戦と言います。(北方城はそのまま廃城となりました。)安藤守就…
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- 一本松公園

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- 岐阜・中濃
- 樹齢200年以上の松の木を中心に、伏見宿の面影を醸し出す建物。地元の方々のイベントにも利用されています。
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- 佐藤才治郎方政公及び武将の塔

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代、美濃・上有知(こうずち)一帯を治めた鉈尾山城三代目城主「佐藤才治郎方政(さとうさいじろうかたまさ)」公。新加納の戦いでは織田秀信と共に西軍として戦いましたが、関ケ原の合戦で西軍が敗れると領地を失い、最後は従臣とともに「日龍峯寺(高澤観音)…
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- 古川城跡

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- 飛騨
- 古川城は、姉小路三家の一角・古川氏の居城と言われています。金森氏が飛騨に侵攻して三木氏を滅ぼしてから増島城を築城するまで、ここを拠点としたと伝わります。 主郭と帯曲輪(おびぐるわ)(主郭を取巻く郭)の切岸の斜度・高さの規模はすさまじく、また、東側…
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- 増島城跡(岐阜県指定史跡)

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- 飛騨
- 増島城は、金森長近が飛騨国支配における古川盆地の押さえとして築いた平城です。高山藩2代目藩主・金森可重が初代城主を務めました。 現在は、古川小学校と飛騨市特別支援学校の間に、櫓台の石垣と堀の一部が残っています。櫓台の上には、増島天満神社(気多若宮神…
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- ぎふ里山景観研究所

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- 岐阜・中濃
- "山県市を中心とした里山の資源を生かして、「交流人口の拡大」「農業の活性化」「地域との連携」「環境教育」「地域ブランドの認知度向上」などにより、里山に新たな価値を生み出し、里山景観を持続的に維持していくことを目指して、次のような事業を行います。…
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