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- 田中吉政陣跡

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- 西濃
- 「田中吉政陣跡」の碑は「徳川家康最後陣跡」のすぐ隣にあります。以前は、関ケ原字甲斐墓という場所にあり、現在の陣場野に移されたのは昭和62年のことでした。『関原合戦図志』によると、合戦時の田中隊のはっきりとした布陣地はわかっていないようですが、田中隊は…
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- 兜塚

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- 西濃
- 野一色助義(通称:野一色頼母(のいっしきたのも))は、近江国の出身で豊臣三中老の一人「中村一氏」公の家老として8千石で仕えた人物です。関ケ原の合戦の時、「中村一氏」は、東軍に属しますが、関ケ原の合戦直前の7月に亡くなったため弟「中村一栄」と共に出陣…
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- 河田木曽川渡河の戦い跡・木曽川文化資料館

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- 岐阜・中濃
- 岐阜城城主・織田秀信(かつての三法師)を攻めるため木曽川を渡る東軍 (池田輝政・浅野幸長・山内一豊等) とそれを迎撃する西軍 (木造具政・百々綱家等) の戦いです。東軍は、木曽川渡河を決行、木曽川の中洲の小屋場島(現・各務原市)まで進軍し陣を張る。西軍は、…
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- 龍安寺

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- 岐阜・中濃
- 山門に梵鐘を吊った鐘楼門があるお寺。口径60.5cm、総高113cm、青銅製の梵鐘「鴻鐘」と呼ばれ、南北朝時代後期の工芸技術をよくあらわしていることから県の重要文化財に指定されています。
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- 恵日山遺跡(海老山遺跡)

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- 岐阜・中濃
- 約1万千年前の先土器時代を中心とした恵日山遺跡は岐阜県のみ成らず全国の旧石器時代の先駆けの遺跡、旧石器時代のナイフ型石器や細石器(さいせっき)。有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)などが多く見つかった。後に信長が堂洞城を攻める時に本陣を置いたと言われて…
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- 宇喜多秀家ゆかりの地

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- 西濃
- 1600年(慶長5)関ヶ原合戦に敗れた宇喜多秀家は、白樫村(現在の揖斐川町白樫)の矢野五右衛門に助けられ、この地に匿居したとされています。
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- 牛の鼻欠け坂

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- 岐阜・中濃
- 「牛んぼ牛んぼどこで鼻欠いた、西洞の坂で鼻欠いた♪」という歌が残るこの坂は、牛や馬など四足歩行の動物が通る際、鼻が地面に接してしまうことで擦れたり、削れたりしてしまうほど急な坂道であったことから名付けられました。平成28年からは国の史跡にも指定されて…
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- 上恵土城址

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代の15世紀末頃に荏土城と呼ばれていた平城で、後に上恵土城と称されるようになりました。築城年代は定かではありませんが、天正10年(1582)頃の城主長谷川五郎右衛門は大森城主奥村又八郎と謀って、金山城主森長可を攻め滅ぼそうとしますが、逆にその謀議の報…
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- 飛騨高山観光人力車ごくらく舎

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- 飛騨
- 江戸の面影を今に伝える、飛騨高山の「古い町並」。軒下を流れる用水のせせらぎ、格式ある出格子、四季の移ろいを映す宮川の表情。この街の美しさは、ただ歩くだけでは見落としてしまいがちな、細やかな風景にこそ宿っています。そんな高山の魅力を、少し高い目線から…
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- 東山遊歩道

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- 飛騨
- 飛騨高山の象徴である「古い町並」の喧騒を離れ、江名子川のせせらぎを背に東へ少し歩を進めると、そこには飛騨高山の礎を築いた戦国武将・金森長近公が、京都の東山になぞらえて築き上げた「東山寺町」があります。ここは隠れた散策スポットとなっており、この遊歩道…
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- 雲龍寺

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- 飛騨
- もとは720年に創建された妙観寺(みょうかんじ)という寺院でしたが衰退し、1395年頃、曹洞宗雲龍寺として再建されました。本能寺の変で戦死した飛騨国主 金森長近(かなもりながちか)の長男 長則(ながのり)の菩提寺であり、1590年頃に長近が建物を修営したと伝わ…
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- 史跡 西高木家陣屋跡

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- 西濃
- 近世陣屋として良好に残る石垣・墓所・地下機構・建造物などの現地遺構に加え、絵図類を含む膨大な量の古文書群が残り、近世幕藩領主の姿を豊富な資料によって現在に伝える全国的にも貴重な遺跡です。
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- 平塚為広碑

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- 西濃
- 平塚為広碑は「大谷吉継陣跡」の山を下りて道の東側にあります。関ケ原に隣接した美濃垂井(1万2千石)を治めていたこともあってか、合戦ではいち早く西軍として参戦しました。その背景には大谷吉継と為広が盟友であったという話もあるようで、合戦当日は大谷隊前方に…
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- 承久の乱 大井戸の渡し跡・土田の渡し

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- 岐阜・中濃
- 鎌倉時代 承久3年(1221年)6月5日、日本史上初の朝廷と武家の間で起きた武力による争い「承久の乱」の開戦地。激戦地となった大井戸の戦いです。この地では、朝廷側(大内惟信)2000騎と幕府側(武田信光・笠原長清ら)東山道軍50,000余軍に東海道軍100,000余軍が…
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- 伏見宿本陣跡碑

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- 岐阜・中濃
- 現在は伏見公民館が建っていますが、本陣跡碑や数軒の格子の家並みが往時の様子を偲ばせています。本陣跡碑の傍らに建てられた境界傍示杭は、もとは伏見の西坂にあり「是より東尾州領」と刻まれており、これは西坂から東が尾張藩領であったことを示しています。
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- いわむら美術の舘(旧柴田家)

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- 東濃
- 柴田家住宅は明治時代の典型的な建造物で、設備工事によって平成15年にいわむら美術の館としてオープンしました。絵画を中心に展示され、建物とともに見学できます。二階には岩村ゆかりの画家、原田芳洲の作品が展示されています。岩村城下町に訪れた際には、是非足…
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- 加納家

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- 東濃
- 加納家は一部土蔵づくりの一風変わった外見で、軒の採光窓が特徴てす。加納家は、初代包房(かねふさ)から5代睦久(ちかひさ)まで続いた鉄砲鍛冶の家で鍛冶は、初代から3代竹治まで行っていました。包房が、1831(天保2)年ごろから当時の6代岩村藩主松平乗保の命で…
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- 旧森川訓行家住宅(丸森)

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- 東濃
- 旧森川訓行家住宅は、中山道大湫宿の北部に位置し、一族の中でも各々を区別するために「丸森」と呼ばれ、旅籠屋の他に尾州藩の許可を得て塩の専売も行い、繁盛を極めたとされています。建物は江戸時代末期の建築と推察され、江戸の町屋形式をそのまま有し、当時の旅籠…
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- 北天満山・小西行長陣跡

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- 西濃
- 小西行長は約6000名の兵を率いて西軍につき、北国街道と東山道(中山道)の間に位置する北天満山に布陣し、合戦開始とともに烽火をあげて味方に合戦の合図をしました。西軍諸隊が総崩れした後は揖斐川町方面へ敗走しましたが、その後自首し、京都で石田三成らとともに…
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- 今尾城跡

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- 西濃
- 東軍 市橋長勝の居城。長勝は、福束城の戦いで奇計をめぐらし、東軍を勝利に導きました。今尾小学校のあたりが本丸跡で、校内に石碑と案内板があります。南美濃の戦いでは、松ノ木城主・徳永寿昌と共に福束城(城主 丸茂兼利)を落城させます。今尾藩初代当主の竹腰…
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