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- 久々野歴史民俗資料館

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- 飛騨
- 史跡堂之上遺跡に隣接する歴史民俗資料館は、堂之上遺跡の(縄文時代前期から中期)調査記録、出土品を収蔵するとともに、町内の考古資料、歴史資料、民俗資料を収集、展示しています。
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- 妻木城士屋敷跡

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- 東濃
- 妻木城のある通称城山の北側の山麓には、御殿と呼ばれる領主の館と家臣の武家屋敷が築かれ、万治元年(1658年)の妻木家断絶まで陣屋として存続しました。屋敷敷地を区切っていた石垣や石段、井戸などが現在も残されており、山麓の御殿跡および武家屋敷は「妻木城士屋敷…
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- 島左近陣跡

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- 西濃
- “三成に過ぎたるもの”と言われた島左近は関ケ原の合戦前日、兵500を率いて挑んだ岐阜県大垣市「杭瀬川の戦い」で勝利し、西軍の士気を高め、当日は笹尾山の麓に布陣します。開戦後、攻め寄る黒田長政や細川忠興ら東軍を幾度も押し返す活躍を見せましたが…
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- 白拍子谷 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 烏頭坂で重傷を負った島津豊久公を、家臣・川口運右衛門の意を受けた三輪内助入道一斉がこの地に案内したが、豊久公は自刃して果てた。白拍子谷は、伊勢街道(伊勢西街道)を入った名及集落の南を流れる堂木川の対岸にあり、小さな標柱が立つのみで、辺り一帯はひっそ…
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- 明宝歴史民俗資料館

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- 岐阜・中濃
- 旧小学校の古い木造校舎に、昔の生活道具、商業・産業器具、おもちゃ、戦争関連、鉱物、通貨、石器等を展示しています。収蔵品はおよそ47,000点。その内、国の重要有形民俗文化財がおよそ3,500点と膨大な収蔵数です。見どころは、某人気テレビ番組で登場した開かずの…
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- 小西神社

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- 西濃
- 1600(慶長5)年関ヶ原合戦に敗れた小西行長は春日中山へ逃げ、観音寺で匿われたが、捕らえられ、中山に騙されたと思いこんだ行長は強い恨みを持った。それから度々大火が起こるようになり、これを小西行長の祟りと恐れた中山では墓を作り、寺に祀って大改装を行…
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- 上恵土城址

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代の15世紀末頃に荏土城と呼ばれていた平城で、後に上恵土城と称されるようになりました。築城年代は定かではありませんが、天正10年(1582)頃の城主長谷川五郎右衛門は大森城主奥村又八郎と謀って、金山城主森長可を攻め滅ぼそうとしますが、逆にその謀議の報…
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- 山内一豊陣跡

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- 西濃
- 旧中山道沿いにある「山内一豊陣跡」は、大きな松と山内家の三つ葉柏の軍旗が目印です。慶長5年(1600年)に徳川家康に従い会津の上杉景勝討伐の軍に参加した一豊は、関ケ原の戦いに際し、居城の掛川城を明け渡しての出陣となりました。岐阜・大垣の兵と戦い、野上に…
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- 武田耕雲斎歌碑

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- 岐阜・中濃
- 「青天を衝け」に登場した幕末の水戸藩士、武田耕雲斎(1803~65年)の灯籠型歌碑が、太田宿中仙道会館北、旧太田宿本陣(本陣庭園)内に移設され公開されています。「天狗党」の総大将を務めていた武田耕雲斎が、旧中山道を通るおり、お世話になった当時太田代官所を…
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- 大塚権太夫の塚

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- 岐阜・中濃
- この塚には、米野の戦いで討死した東軍の武将「一柳直盛」老臣「大塚権太夫」が葬られていると伝わっています。この戦いは、木曽川を渡河する東軍「池田輝政」ら兵約18000と米野付近に布陣した西軍の岐阜城主「織田秀信」の兵約3200によって関ケ原の合戦の前哨戦とし…
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- 美濃路 尾越の渡し

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- 岐阜・中濃
- ☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例街道(きちれいかいどう)」とも呼ばれ交通量も多く重要な脇街道です。
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- 津屋城跡

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)8月19日、西軍 高木正家の津屋城は、敗走する高須城兵を追撃した東軍により落城しました。津屋城跡には3年後、高須城主 徳永寿昌の許しを得て本慶寺が移されました。
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- 中馬街道 うかれ横丁

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- 東濃
- この路地は、中馬街道の一部で、生糸生産がさかんな頃は、旅人や馬子を相手に酒やうどんを売る店が並んでいました。昔懐かしい面影を残す通りです。道路を跨ぐ渡り廊下のある家もあります。うかれ横丁は、「 受験に受かれ!」の言い伝えがあり受験生にお勧めだそうで…
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- 卜全澤

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- 西濃
- 三人衆の稲葉一鉄、安藤守就と共にかつて仕えた斎藤家への信長の稲葉山城攻めに参加。その後、信長に仕えた頃に出家、名を「直元」から「卜全」と号する。各地で活躍し、長島一向一揆を鎮めるため長島進行(第一次進行)時の柴田勝家に従う。その際、反撃に遭い殿軍を…
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- ふるさと歴史記念館

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- 飛騨
- 下呂市の歴史を一望できる館です。隣にある峰一合遺跡公園や上ヶ平遺跡出土品などによる旧石器時代から平安時代までの展示をはじめ、古代東山道と益田街道の歴史、室町・戦国時代の大名と群雄割拠の様子、江戸時代の飛騨林業史と下呂温泉の歴史、明治維新の動乱と飛騨…
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- 仲深山砦

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- 東濃
- 仲深山砦は、白鷹城(明知城)の南の万ヶ洞を隔てた尾根の先端に立地し、東西2つの曲輪群から構成されています。東側の曲輪は、背後(東端)を二重堀切で画し、北側には帯曲輪が巡り、その東端は、横堀状になり、3本の竪堀を設けています。掘切を隔てた西側の曲輪は…
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- 和泉式部廟所

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- 岐阜・中濃
- 東濃
- 情熱の歌人とたたえられた平安時代の女流歌人和泉式部は、旅する途中この地で病に倒れ、現在の鬼岩温泉で湯治したものの亡くなってしまったと伝えられています。石碑には「ひとりさえ渡れば沈むうき橋にあとなる人はしばしとどまれ」と記されています。
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- 吉島家住宅(日本遺産構成文化財)

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- 飛騨
- 四代目水間相模に師事した西田伊三郎によって、明治40(1907)年に建てられた町家建築です。土間の吹抜けの梁は、木の美しさが際立つように高い技術によって加工され、大黒柱を中心に、束と梁の整然とした構成が目を引きます。高窓からの光線を巧みに取り入れて、屋内…
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- 美濃路の松並木

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- 西濃
- 垂井宿~大垣宿~墨俣宿~起宿~萩原宿~稲葉宿~清須宿~名古屋宿~宮宿と続く脇街道「美濃路」の起点。「中山道」と「東海道」を結ぶ、五街道に次ぐ重要な脇街道。☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。 &nb…
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- 一夜城跡(恵那市)

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- 東濃
- 明智を一望する山の上に築かれた砦。天正2年の戦いで武田勝頼が陣を構えたと伝えられる。
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