岐阜の
スポット・体験を探す
- 現在の検索条件
- 歴史を知る
- 赤坂宿本陣跡・本陣公園

-
- 西濃
- 江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は、およそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものでした。文久元年10月25日、皇女和宮がここに泊したことは有名です 。(皇女和宮ゆかりの地)
- more
- 池田輝政 鎧かけ松・八剣神社

-
- 岐阜・中濃
- 1600年(慶長5年)8月22日、米野の戦い(関ヶ原の合戦の前哨戦の一つ)を終えた池田輝政の軍勢が、岐阜城攻防戦(関ヶ原の合戦の前哨戦の一つ)へと向かう途中に休息をとった場所が八剣神社です。池田輝政が、松に鎧を掛けて休んだことから「鎧かけ松」と言われていま…
- more
- 連理の榊

-
- 西濃
- 国の天然記念物指定を受けたサカキで、推定樹齢300~400年の大木。根本は二幹に分かれていますが、枝が絡み合って一体になっていることから、連理の榊とわれています。関ヶ原合戦時には西軍の長宗我部盛親がこの辺りに陣を張りました。
- more
- 伊自良湖・甘南美寺

-
- 岐阜・中濃
- 伊自良湖は、周囲約2.4キロメートルの人造湖。四季折々の美しさをもち、中でも紅葉の季節は格別。ボートの上からも紅葉を堪能できます。また、水面に映える紅葉も風情があります。伊自良湖のすぐ近くにある、甘南美寺の紅葉もおすすめです。堂々たる本堂は、近代和風…
- more
- 名木林神社

-
- 西濃
- 祭神は、天照大神。美濃神名帳に記録にある古い神社で天徳年間(957年)「ナキハヤ」と呼ばれていた模様。
- more
- 旧太田宿本陣門

-
- 岐阜・中濃
- 文久元(1861)年、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍徳川家茂に嫁ぐために下向した際に新築された門です。この門は、一間の薬医門で両袖に半間の塀がつき、旧本陣の偉容を偲ばせる格式のあるつくりです。
- more
- 勝地峠 <島津の退き口ゆかりの地>

-
- 西濃
- 標高183mの峠の麓で島津豊久隊は、最後の捨て奸(がまり)を行い、川上四郎衛のごうれいを受けた柏木源藤は、追撃する井伊直正の狙撃に見事成功しました。その後、東軍の追撃はようやく中止。島津豊久公は、残兵の助けを借りながら伊勢西街道「勝地峠」を越えました。
- more
- 勝川家

-
- 東濃
- 「江戸城下町の館 勝川家」は、平成15年8月にオープンしました。勝川家は屋号を「松屋」といい、江戸末期から台頭した商家です。江戸後期の建物で、木造2階建て2軒の建物からなっています。室内は、書院・茶室・使用人部屋などがあり、往時の暮らし向きを伝えていま…
- more
- 明智光秀公学問所と天神神社

-
- 東濃
- 万ヶ洞にある天神神社は、明智光秀公が若かりし頃、京都嵯峨天竜寺の雲水・勝恵という学僧を招き、ここで学問に精進したと言われています。祭神は菅原道真公であり、京都北野の天満宮からの分祀と伝えられています。
- more
- 崇禅寺

-
- 東濃
- 崇禅寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、1354年(文和3年)に、初代妻木城主とされる土岐頼重が、果山禅師を開山として創建しました。妻木城主代々の位牌や墓所があります。岐阜県や土岐市指定の文化財が多数保存されています。
- more
- 福束城の戦い跡

-
- 西濃
- 南濃を平定するため「関ケ原の合戦」の約1か月前 慶長5年(1600年)8月16日に「関ケ原の合戦 最初の前哨戦」がありました。福束城の戦いは、東軍 福島正則が再三の誘いをしりぞけて西軍に加わった「丸茂兼利」の居城であり舟運の要衝「福束城」を今尾城主 市橋長勝…
- more
- 白山神社 (旗懸けの松)

-
- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、岐阜から赤坂に向かった徳川家康公は、神戸の白山神社で休憩した折、松の大樹に旗を懸けたところから、その松は「旗懸けの松」と呼ばれるようになりました。また、そのとき神戸町八条の禅宗「瑞雲寺」の住職が大きな柿を献上したところ、家…
- more
- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

-
- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、叔父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚(薩摩塚)と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり…
- more
- 中津川中山道歴史資料館

-
- 東濃
- 中山道は江戸幕府が直轄する幹線道路である五街道の一つです。その前身は東山道と呼ばれ,古くから西国と東国を結ぶ重要な街道でした。そして,江戸時代には東海道とともに江戸と京都・大坂を結ぶ重要な街道として発展を遂げました。中津川には中津川宿・落合宿・馬籠…
- more
- 小島城跡

-
- 飛騨
- 小島城は姉小路三家の一角・小島氏の居城です。高原郷と小島郷を結ぶ神原峠の峠道が脇を通る交通の要衝に位置します。ここには算木積みといわれる石垣がありますが、旧来の飛騨の山城には見られないものです。そのため小島城は金森氏が改修した可能性があるといわれて…
- more
- 藤堂高虎・京極高知陣跡

-
- 西濃
- 現在のJR関ケ原駅から国道21号線を越えたところにある関ケ原中学校の敷地内に、藤堂高虎と京極高知は陣を構えたとされています。両隊は合戦時に福島正則隊に続いて東軍左翼縦隊の第2陣として進軍し、開戦後は不破関跡付近まで進撃して、大谷吉継の隊に属していた平塚…
- more
- 福束城跡 福満寺

-
- 西濃
- かつて舟運の拠点だった城跡、福満寺は、寛正元年(1459)に僧盛道の開基の真宗大谷派の寺院で本尊は阿弥陀如来です。福満寺には、旧福束城を記録した「古版木」が残っています。版木の図柄は、中央に福満寺の本堂を画き、左に丸毛兵庫頭の墓、右に鎮守佐々木大神宮、…
- more
- 長寿院盛淳の墓・琳光寺

-
- 西濃
- 島津義弘公の家老・長寿院盛淳は、島津豊久公に次いで捨て奸(すてがまり)を行い、義弘公から賜った陣羽織を身につけ、「我こそは義弘也」と名乗り、主君の身代わりとなって討ち死にしました。琳光寺には、盛淳公を悼んで宝暦治水の薩摩藩士が刻んだ五輪塔と、子孫が…
- more
- 笠松町歴史未来館

-
- 岐阜・中濃
- 笠松町は古くから木曽川の水運に恵まれた交通、経済の要衝として発展し美濃郡代笠松陣屋・県庁などが置かれ本県政治発祥の地として栄えました。その当時の県庁跡や商家の帳場などを提示しています。平成27年6月6日のリニューアルオープン後は、航空宇宙や医療関連の情…
- more
- 菊姫の墓(中津川市史跡「五輪塔」)

-
- 東濃
- 比丘(びく)尼(に)寺と呼ばれるこの地には、かつて木曽義仲の妹・菊姫が亡き兄を弔うために創建した寺、法明寺があったと考えられ、菊姫の墓もこれら五輪塔の中にあるとされる。鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻(あづま)鏡(かがみ)』によれば、源頼朝の妻政子と菊姫は猶…
- more
