岐阜の
スポット・体験を探す
- 現在の検索条件
- 歴史を知る
- 小西行長陣跡 北天満山
-
- 西濃
- 約6000名の兵を率いて西軍につき、北国街道と東山道(中山道)の間に位置する北天満山に布陣。合戦開始とともに烽火をあげて味方に合戦の合図をしました。西軍諸隊が総崩れした後は、小西隊も敗走。小西行長は揖斐川町方面へ逃亡しますが自首し、京都で石田三成らとと…
- more
- 福島正則陣跡
-
- 西濃
- 福島正則は、石田三成と対立して東軍へ加担。開戦後、宇喜多隊に襲いかかり死闘を繰り広げました。現在、陣跡が残る春日神社境内には、関ケ原合戦屏風にも描かれた樹齢800年の「月見の宮・大杉」が、どっしりとそびえ立っています。また、関ケ原合戦時に福島隊の戦…
- more
- せきがはら史跡ガイド
-
- 西濃
- 「せきがはら史跡ガイド」は、関ケ原町の史跡講座を2年間受講した、関ケ原在住・出身者で構成されています。希望の時間やコースに合わせて関ケ原の名所古跡を案内してくれるので、旅のプランに組み込みやすいです。また、初めて関ケ原を訪れた方には、お任せコースも…
- more
- 勝川家
-
- 東濃
- 「江戸城下町の館 勝川家」は、平成15年8月にオープンしました。勝川家は屋号を「松屋」といい、江戸末期から台頭した商家です。江戸後期の建物で、木造2階建て2軒の建物からなっています。室内は、書院・茶室・使用人部屋などがあり、往時の暮らし向きを伝えてい…
- more
- 土佐屋
-
- 東濃
- 土佐屋は、今から約260年前に染物業を営んでいた商家で、建物自体は平成8年より復元工事が行われ、平成11年4月に「工芸の館」土佐屋としてオープンしました。当時の藍染めの工程を学ぶことができる染工場や、土佐屋の歴史をおさめた土蔵の展示室、庭の天正疎水などは…
- more
- 小西神社
-
- 西濃
- 1600(慶長5)年関ヶ原合戦に敗れた小西行長は春日中山へ逃げ、観音寺で匿われたが、捕らえられ、中山に騙されたと思いこんだ行長は強い恨みを持った。それから度々大火が起こるようになり、これを小西行長の祟りと恐れた中山では墓を作り、寺に祀って大改装を行…
- more
- 恵日山遺跡(海老山遺跡)
-
- 岐阜・中濃
- 約1万千年前の先土器時代を中心とした恵日山遺跡は岐阜県のみ成らず全国の旧石器時代の先駆けの遺跡、旧石器時代のナイフ型石器や細石器(さいせっき)。有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)などが多く見つかった。後に信長が堂洞城を攻める時に本陣を置いたと言われて…
- more
- 福束城跡 福満寺
-
- 西濃
- かつて舟運の拠点だった城跡、福満寺は、寛正元年(1459)に僧盛道の開基の真宗大谷派の寺院で本尊は阿弥陀如来です。福満寺には、旧福束城を記録した「古版木」が残っています。版木の図柄は、中央に福満寺の本堂を画き、左に丸毛兵庫頭の墓、右に鎮守佐々木大神宮、…
- more
- 飛騨みやがわ考古民俗館
-
- 飛騨
- 飛騨市宮川町内で発掘された県指定文化財の考古資料と宮川町周辺から収集された国指定有形民俗文化財を収集展示しています。近年まで使われていた民具。長い眠りから覚めた縄文時代の遺物。ここでは、山里に生きた人々の暮らしぶりを感じることができます。有人での開…
- more
- 長束正家陣跡
-
- 西濃
- 豊臣秀吉の仕え、高い算術能力で活躍し五奉行の一人。関ケ原の合戦では、伊勢方面から美濃へ転戦し、本戦では、南宮山に陣を構えたが、吉川広家にはばまれ、合戦に参戦することができず、領地である近江水口へ撤退した。
- more
- 旧太田宿本陣門
-
- 岐阜・中濃
- 文久元(1861)年、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍徳川家茂に嫁ぐために下向した際に新築された門です。この門は、一間の薬医門で両袖に半間の塀がつき、旧本陣の偉容を偲ばせる格式のあるつくりです。
- more
- 雲龍寺
-
- 飛騨
- もとは720年に創建された妙観寺(みょうかんじ)という寺院でしたが衰退し、1395年頃、曹洞宗雲龍寺として再建されました。本能寺の変で戦死した飛騨国主 金森長近(かなもりながちか)の長男 長則(ながのり)の菩提寺であり、1590年頃に長近が建物を修営したと伝わ…
- more
- 諸之木峠展望台
-
- 岐阜・中濃
- 皇女和宮通行の際、この地に休憩用の御殿が建てられたことから、「御殿場」と呼ばれるようになったと伝えられています。現在は展望台が建てられており、中山道を歩くウォーカーの休憩施設として利用されています。
- more
- 勝地峠 <島津の退き口ゆかりの地>
-
- 西濃
- 標高183mの峠の麓で島津豊久隊は、最後の捨て奸(がまり)を行い、川上四郎衛のごうれいを受けた柏木源藤は、追撃する井伊直正の狙撃に見事成功しました。その後、東軍の追撃はようやく中止。島津豊久公は、残兵の助けを借りながら伊勢西街道「勝地峠」を越えました。
- more
- 美濃路 尾越の渡し
-
- 岐阜・中濃
- ☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例街道(きちれいかいどう)」とも呼ばれ交通量も多く重要な脇街道です。
- more
- 合渡川の戦い跡
-
- 岐阜・中濃
- 米野の戦いの敗報を聞いた石田三成は、岐阜城の後詰として合渡川(長良川)右岸の河渡に「重臣 舞兵庫(まいひょうご)」を派遣。慶長5年(1600年)8月23日、黒田長政・田中吉政・藤堂高虎ら東軍は、合渡川を渡河して西軍を攻撃、不意をつかれた西軍は敗走し大垣城に…
- more
- 安藤守就戦死の地
-
- 岐阜・中濃
- 本能寺の変、信長の死後、旧領地を取り戻すため安東(安藤)守就親子は挙兵し北方城を奪い再起を試みたが、新領主の西美濃三人衆のもう一人、稲葉一鉄(良通)に攻められ討死しました。この戦いを北方合戦と言います。(北方城はそのまま廃城となりました。)安藤守就…
- more
- 笠松町歴史未来館
-
- 岐阜・中濃
- 笠松町は古くから木曽川の水運に恵まれた交通、経済の要衝として発展し美濃郡代笠松陣屋・県庁などが置かれ本県政治発祥の地として栄えました。その当時の県庁跡や商家の帳場などを提示しています。平成27年6月6日のリニューアルオープン後は、航空宇宙や医療関連の情…
- more
- ふるさと歴史記念館
-
- 岐阜・中濃
- 下呂市の歴史を一望できる館です。隣にある峰一合遺跡公園や上ヶ平遺跡出土品などによる旧石器時代から平安時代までの展示をはじめ、古代東山道と益田街道の歴史、室町・戦国時代の大名と群雄割拠の様子、江戸時代の飛騨林業史と下呂温泉の歴史、明治維新の動乱と飛騨…
- more
- 美並ふるさと館
-
- 岐阜・中濃
- 円空の初期から晩年の作品約90体を展示し、円空上人の生涯をパネル等で展示しています。施設内では、生活資料館として美並町の昔の生活や風習を再現したもので、すべて手作りで作られています。
- more