岐阜の
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- 十本木立場

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- 岐阜・中濃
- この場所は当時、人夫が杖を立てて籠や荷物をおろし休憩したところから発展し、茶屋などが設けられ、やがて旅人の休憩場所になったといわれる十本木立場があります。『新撰美濃志』には「十本木茶屋は、木曽路通りの休み茶屋なり。数十株の松樹立ちたる故、かく名づく…
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- 一呑の清水

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- 岐阜・中濃
- 東濃
- 街道を旅する人々の喉を潤した清水です。岐阜県の名水50選にもなっており、皇女和宮が降嫁される際に好んで飲んだといわれています。水飲み場が人間用、馬牛用と2つに分かれており、当時荷を引くための馬や牛がいかに重宝されていたかがうかがえます。
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- 武田耕雲斎歌碑

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- 岐阜・中濃
- 「青天を衝け」に登場した幕末の水戸藩士、武田耕雲斎(1803~65年)の灯籠型歌碑が、太田宿中仙道会館北、旧太田宿本陣(本陣庭園)内に移設され公開されています。「天狗党」の総大将を務めていた武田耕雲斎が、旧中山道を通るおり、お世話になった当時太田代官所を…
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- 佐藤才治郎方政公及び武将の塔

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代、美濃・上有知(こうずち)一帯を治めた鉈尾山城三代目城主「佐藤才治郎方政(さとうさいじろうかたまさ)」公。新加納の戦いでは織田秀信と共に西軍として戦いましたが、関ケ原の合戦で西軍が敗れると領地を失い、最後は従臣とともに「日龍峯寺(高澤観音)…
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- 明白寺五輪塔

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- 東濃
- 江戸時代に再興された黄檗宗寺院の境内に所在する瑞浪市内最大の五輪塔で、瑞浪市指定文化財です。鎌倉時代末期~南北朝時代の造立とみられ、一説には土岐頼基(土岐明智氏の祖)の墓とされています。
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- 伊富神社

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- 西濃
- 美濃に多く分布したといわれる伊富部氏の祖神。
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- 夕田茶臼山古墳

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- 岐阜・中濃
- 丘陵の上にある全長33mの前方後円墳で、3世紀中頃、弥生時代と古墳時代のはざまの前方後円墳です。県下最古級の遺跡といわれ、早い段階で権力を持つ有力者が古墳のある夕田付近に誕生していたことがうかがえます。 町指定史跡となっています。
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- 閏田古墳

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- 岐阜・中濃
- 旧石器時代の遺跡を始めとして、町内には多数の古墳が残されており、古くからこの地に人々が暮らしていたことがうかがえます。その中でも、円墳としての形がはっきりと残されている古墳で、大平賀クリーンセンター南西に有る田の中に有る小山が閏田古墳です。
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- 一本松公園

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- 岐阜・中濃
- 樹齢200年以上の松の木を中心に、伏見宿の面影を醸し出す建物。地元の方々のイベントにも利用されています。
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- 諸之木峠展望台

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- 岐阜・中濃
- 皇女和宮通行の際、この地に休憩用の御殿が建てられたことから、「御殿場」と呼ばれるようになったと伝えられています。現在は展望台が建てられており、中山道を歩くウォーカーの休憩施設として利用されています。
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- 蟠龍寺跡

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- 岐阜・中濃
- 五加地区の県道62号線(白川加子母線)から北へ約50メートルの上ったところにある、蟠龍寺跡。 高さ約5メートル、延長約50メートルにわたって大小さまざまな石でがっしり積み上げられた石垣の上の茶畑が寺屋敷跡で、山門に通ずる部分だけが後に耕地として使用する…
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- 竹鼻まつり山車会館

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- 岐阜・中濃
- 竹鼻まつり山車会館は、歴史的に由緒のある竹鼻まつりで曳かれる山車を展示し、郷土の伝統や文化を紹介する観光施設です。館内には実物を展示。竹鼻まつりの祭礼当日さながらに、金や銀、色糸などで装飾が施された豪華な幕類や、町内の曳行には欠かせない「かじ棒」な…
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- 興徳寺

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- 東濃
- 小里氏の菩提寺として創建された臨済宗寺院。岐阜県重要文化財である「源頼幸」の墨書名を有する菅公像(菅原道真像)を所蔵しています。
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- 恵日山遺跡(海老山遺跡)

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- 岐阜・中濃
- 約1万千年前の先土器時代を中心とした恵日山遺跡は岐阜県のみ成らず全国の旧石器時代の先駆けの遺跡、旧石器時代のナイフ型石器や細石器(さいせっき)。有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)などが多く見つかった。後に信長が堂洞城を攻める時に本陣を置いたと言われて…
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- 四つ割の南無阿弥陀仏碑

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- 岐阜・中濃
- 明治3年(1870)苗木藩が強行した廃仏毀釈(きしゃく)は、この四つ割の碑にも及んだ。藩役人から「碑をこわせ」という命令が出ると、急拠もとの製作者伝蔵が呼び寄せられ、取りこわしに当たることとなった。伝蔵は、後世に期するところがあったのか、この碑を打ち砕い…
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- 仲深山砦

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- 東濃
- 明知城の南、万ヶ洞を隔てた尾根の先端に立地し、東西二つの曲輪群からなる。東側の曲輪は、背後(東端)を二重堀切で画し、北側には帯曲輪が巡る。その東端は横堀状になり 3 本の竪堀を設けている。堀切を隔てた西側の曲輪は、周囲に帯曲輪を巡らせ、さらに 1 段低い…
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- 於牧の方の墓所

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- 東濃
- ここは、戦国武将・明智光秀公のご母堂 於牧の方(おまきのかた) の墓所です。天正三年、明智光秀は信長の命により丹波八上城を包囲しました。しかし城は容易に落ちず、やむなく和睦の交渉にあたり、母・於牧の方を人質として差し出しました。ところが、信長は光秀と…
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- 藤堂高虎・京極高知陣跡

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- 西濃
- 現在のJR関ケ原駅から国道21号線を越えたところにある関ケ原中学校の敷地内に、藤堂高虎と京極高知は陣を構えたとされています。両隊は合戦時に福島正則隊に続いて東軍左翼縦隊の第2陣として進軍し、開戦後は不破関跡付近まで進撃して、大谷吉継の隊に属していた平塚…
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- 六万墓

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- 岐阜・中濃
- 斎藤道三との戦いで戦死した人を弔う六万墓の石碑は、大桑城下(現、山県市大桑地区)四国堀跡の近くに建っています。戦いの後に南泉寺住職の仁岫宗寿が焼香を行ったとされており、激しい合戦がこの地で行われたことを物語っています。明智光秀、麒麟がくる大河ドラ
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- 美濃路 尾越の渡し

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- 岐阜・中濃
- ☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例街道(きちれいかいどう)」とも呼ばれ交通量も多く重要な脇街道です。
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