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- 謡坂一里塚

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- 岐阜・中濃
- 御嵩町域にはかつて3ヵ所に一里塚がありましたが、現存するものはありません。謡坂一里塚は、明治41年に二円五十銭で払い下げを受け、取り壊されました。現在の一里塚は、昭和48年に地元有志の手によって復元されたものです。
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- 脇坂安治陣跡

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- 西濃
- 関ケ原の南方、現在の名神高速道路と黒血川との間、松尾山のふもとに「脇坂安治陣跡」はあります。脇坂安治は朽木元綱・小川祐忠・赤座直保とともに西軍として布陣しましたが、小早川秀秋隊が寝返ると4隊とも大谷隊へ攻撃をしかけ、最終的には東軍を勝利に導きました…
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- 源平の古戦場 尾張川古戦場

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- 岐阜・中濃
- 平安時代末期の墨俣川合戦の第2戦場。昔からこのあたりの古池には蛙合戦の伝説があります。養和元年(1181年)3月10日、源氏は源行家(頼朝の叔父)、源義円(頼朝の異母弟)を将として墨俣川の東岸に陣を取り、平家は平重衡(清盛の5男)、維盛(清盛の嫡孫)を将と…
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- 金屋川原の合戦址 須賀神社・正覚寺

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- 西濃
- 西軍として南宮山後方に布陣していた長宗我部盛親は、関ケ原の合戦での味方の敗走を知り、戦わずして戦線離脱を図りました。伊勢方面へ抜けようと南へ進んだ毛利秀元・長曽我部盛親・長塚正家らは、養老町金屋付近で、遅れて関ケ原を目指していた東軍・松の木城主&nbs…
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- 北塚

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- 西濃
- 輪之内町東大藪の北部、大藪地内の田んぼの中に、一畝ほど小高く土を盛り上げた塚(現在は史跡として整備しています)。関ケ原の合戦の最初の前哨戦「福束城の戦い」において戦死した東西両軍の死者をあわれんで土地の人たちが埋葬して成仏を祈った塚。お堂の仏様には…
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- 野古墳群

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- 西濃
- 大野町に点在する200基を超える古墳の中でも5世紀後半から6世紀初頭(今からおよそ1500年前)にかけて造営された野集落西方にある古墳群。この時代にこれだけの規模の古墳が密集して造営されることは稀なため、国の史跡に指定されています。古墳群成立当時は、もっと…
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- 明白寺五輪塔

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- 東濃
- 江戸時代に再興された黄檗宗寺院の境内に所在する瑞浪市内最大の五輪塔で、瑞浪市指定文化財です。鎌倉時代末期~南北朝時代の造立とみられ、一説には土岐頼基(土岐明智氏の祖)の墓とされています。
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- 名木林神社

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- 西濃
- 祭神は、天照大神。美濃神名帳に記録にある古い神社で天徳年間(957年)「ナキハヤ」と呼ばれていた模様。
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- 河田木曽川渡河の戦い跡・木曽川文化資料館

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- 岐阜・中濃
- 岐阜城城主・織田秀信(かつての三法師)を攻めるため木曽川を渡る東軍 (池田輝政・浅野幸長・山内一豊等) とそれを迎撃する西軍 (木造具政・百々綱家等) の戦いです。東軍は、木曽川渡河を決行、木曽川の中洲の小屋場島(現・各務原市)まで進軍し陣を張る。西軍は、…
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- 東山白山神社

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- 飛騨
- 養老2年(718年)現安川通りに鎮座され、高山郷最古の氏神様として尊崇されましたが、天正14年(1585年)飛騨を領国した金森氏が城下町を経営するにあたり現在地に奉還されました。例祭には祭屋台と八角神輿が曳きだされます。神楽台毎年5月5日の例祭に引き出される祭…
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