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- 承久の乱 大井戸渡の古戦場跡

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- 岐阜・中濃
- 承久3年(1221年)6月、幕府軍の挙兵に対抗し、朝廷軍は木曽川沿いに兵を配置しました。幕府側の東山道軍5万余騎が大井戸の渡(わたり)に攻め寄せ、戦乱の火ぶたが切られました。この「大井戸の戦い」では、数に勝る幕府軍が朝廷軍を一気に押し込み、その後の戦い…
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- 一夜城跡(恵那市)

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- 東濃
- 明智を一望する山の上に築かれた砦。天正2年の戦いで武田勝頼が陣を構えたと伝えられる。
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- 大正路地

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- 東濃
- この路地は、2代目町長・濃明銀行創始者 故橋本幸八郎氏宅の年貢米を納めた米蔵と江戸時代から続いた呉服問屋の蔵にはさまれ、大正時代のたたずまいを色濃く残しています。蔵の白と黒のコントラストがあざやかです。黒い羽目板は、桟(さん)をはずすと防火壁の役目…
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- 佐藤才治郎方政公及び武将の塔

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代、美濃・上有知(こうずち)一帯を治めた鉈尾山城三代目城主「佐藤才治郎方政(さとうさいじろうかたまさ)」公。新加納の戦いでは織田秀信と共に西軍として戦いましたが、関ケ原の合戦で西軍が敗れると領地を失い、最後は従臣とともに「日龍峯寺(高澤観音)…
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- 南宮大社例大祭

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- 西濃
- 例大祭(神幸式・蛇山神事)垂井町内府中に鎮座される御旅神社へ神輿三基の神幸祭が行われます。途中、市場野という祭礼場に、高さ13m、周囲20mの蛇山と称する櫓を組み立て、これに波模様の幕をたらし、この頂上の隅には神木の松と竜の尾を示す剣を取り付けて、神輿…
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- 四国堀跡

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- 岐阜・中濃
- 大桑城下の谷筋をふさぎ止めるように造られた空堀と土塁の後があります。堀の深さ5m、幅約8mで、土塁の長さは約100mにわたって残っています。尾張、伊勢、越前、近江の4つの国の加勢を受けて築いたと伝えられています。明智光
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- 六万墓

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- 岐阜・中濃
- 斎藤道三との戦いで戦死した人を弔う六万墓の石碑は、大桑城下(現、山県市大桑地区)四国堀跡の近くに建っています。戦いの後に南泉寺住職の仁岫宗寿が焼香を行ったとされており、激しい合戦がこの地で行われたことを物語っています。明智光秀、麒麟がくる大河ドラ
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- 興徳寺

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- 東濃
- 小里氏の菩提寺として創建された臨済宗寺院。岐阜県重要文化財である「源頼幸」の墨書名を有する菅公像(菅原道真像)を所蔵しています。
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- 源平の古戦場 尾張川古戦場

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- 岐阜・中濃
- 平安時代末期の墨俣川合戦の第2戦場。昔からこのあたりの古池には蛙合戦の伝説があります。養和元年(1181年)3月10日、源氏は源行家(頼朝の叔父)、源義円(頼朝の異母弟)を将として墨俣川の東岸に陣を取り、平家は平重衡(清盛の5男)、維盛(清盛の嫡孫)を将と…
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- 金屋川原の合戦址 須賀神社・正覚寺

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- 西濃
- 西軍として南宮山後方に布陣していた長宗我部盛親は、関ケ原の合戦での味方の敗走を知り、戦わずして戦線離脱を図りました。伊勢方面へ抜けようと南へ進んだ毛利秀元・長曽我部盛親・長塚正家らは、養老町金屋付近で、遅れて関ケ原を目指していた東軍・松の木城主&nbs…
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- ふるさと歴史記念館

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- 飛騨
- 下呂市の歴史を一望できる館です。隣にある峰一合遺跡公園や上ヶ平遺跡出土品などによる旧石器時代から平安時代までの展示をはじめ、古代東山道と益田街道の歴史、室町・戦国時代の大名と群雄割拠の様子、江戸時代の飛騨林業史と下呂温泉の歴史、明治維新の動乱と飛騨…
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- 新加納陣屋

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- 岐阜・中濃
- 慶長五年(1600)八月、関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城の戦いの前に、木曽川を渡って岐阜城の攻略を目指していた東軍の池田輝政と、新加納において待ち構えていた西軍の岐阜城主織田秀信の軍勢との戦いがありました。新加納には西軍によって砦が築かれており、秀信…
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- うだつの町家のおひな様

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- 岐阜・中濃
- うだつの上がる町並みの町家に、古くから伝わるお雛様や美濃和紙で作ったお雛様を展示し、桃の節句をお祝いします。江戸・明治・大正・昭和とのさまざまな時代のおひな様はもちろん、美濃市の伝統産業である「美濃和紙」を衣装や小物に使った「上有知雛(こうずちびな…
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- 本多忠勝陣跡

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- 西濃
- 徳川四天王である本多忠勝は、三方ヶ原・長篠の合戦等で数々の功を上げた猛将で勇猛なだけではなく知略も備えた名将でした。さらには、政治家としても力量を発揮し、特に人心掌握に努めて領民の敬愛を集めたといういわれもあります。その忠勝の陣跡は「十九女池」の西…
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- 南天満山・宇喜多秀家陣跡

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- 西濃
- 杉の木立がうっそうとした南天満山の麓に天満神社があります。関ケ原合戦時には、この付近に兵約1万7千という西軍の主力部隊を布陣し、副総帥として参戦した宇喜多秀家。開戦の烽火と共に東軍・福島隊に攻め込まれた史実から、この辺りは大変に激しい戦いが繰り広げら…
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- 虚空蔵堂と承久の乱古戦場跡

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- 岐阜・中濃
- 中山道(東山道)を江戸から京へ向かうとき、太田宿の西の出口にあり、ここから急な坂道を下り、木曽川沿いを進み、京を目差しました。虚空蔵堂は旅人の休憩所や旅の巡礼が宿泊したとも云われています。鎌倉時代、承久の乱では、朝廷側(後鳥羽上皇・総大将:藤原秀康…
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- 大桑城へ けんきゃくコース(古城山登山口)

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- 岐阜・中濃
- 山麓の古城山登山口より古城山を登るコース大桑城の遺構を見ながら山頂を目指します。ルートの一部に傾斜の急なところがあり、距離もあることから、体力に自信のある方にお勧めです。山頂までの距離:約2.1km山頂までの時間:約60分~90分バスでお越しの場合は、古城…
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- 大雄寺

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- 飛騨
- もとは吉城郡上広瀬村(現高山市国府町)にありましたが、1586年に金森長近によって、現在の地に移され、浄土宗の寺となりました。鐘堂は1689年に建てられた飛騨地方最古のものです。
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- 浅野幸長陣跡

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- 西濃
- 浅野幸長は、五奉行・浅野長政(北政所の義兄)の長男として生まれ、豊臣家とは親戚関係。秀吉の死後、五奉行の石田三成と対立、石田三成襲撃事件に参加。関ケ原の戦いでは、豊臣秀吉恩顧でありながら父長政と共に東軍に参加し、先鋒を務め岐阜城攻略。本戦では、現在…
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- 行徳岩 (武儀川)

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- 岐阜・中濃
- 「明智光秀公の母」が懐妊していた時、この岩に立って行水し、「私の生む子が男であったら、仮令三日でもよいから天下を取るような立派な男子を、もし女であったら天下一の美女を御さづけ下さい」と祈ったと伝えられています。
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