岐阜の
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- 大雄寺

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- 飛騨
- もとは吉城郡上広瀬村(現高山市国府町)にありましたが、1586年に金森長近によって、現在の地に移され、浄土宗の寺となりました。鐘堂は1689年に建てられた飛騨地方最古のものです。
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- 木曽三川公園 夏の水物語【海津市】

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- 西濃
- ヒマワリや温帯性スイレンなど、「夏の花」が咲き誇る園内で納涼体験をお楽しみください。 最新の情報は木曽三川公園公式HP(https://www.kisosansenkoen.jp/~center/mkisosansenevent.html)をご確認ください。 会場混雑時には入場制限をさせていただくこと…
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- 大御堂城跡

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- 西濃
- 今から450年程前に生まれ、戦国時代に豊臣秀吉の軍師として智将振りを発揮したものの、惜しくも志半ばの36歳にして病没した。竹中家ゆかりの八幡神社の脇に生誕の地を示す碑が建立されています。隣接する月真寺には、半兵衛の父、竹中重利の墓や、旗本の加藤平内歴代…
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- 大正路地

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- 東濃
- この路地は、2代目町長・濃明銀行創始者 故橋本幸八郎氏宅の年貢米を納めた米蔵と江戸時代から続いた呉服問屋の蔵にはさまれ、大正時代のたたずまいを色濃く残しています。蔵の白と黒のコントラストがあざやかです。黒い羽目板は、桟(さん)をはずすと防火壁の役目…
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- ふるさと歴史記念館

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- 飛騨
- 下呂市の歴史を一望できる館です。隣にある峰一合遺跡公園や上ヶ平遺跡出土品などによる旧石器時代から平安時代までの展示をはじめ、古代東山道と益田街道の歴史、室町・戦国時代の大名と群雄割拠の様子、江戸時代の飛騨林業史と下呂温泉の歴史、明治維新の動乱と飛騨…
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- 森部川古戦場薬師堂

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- 西濃
- 永禄4年、織田信長は西美濃を征服しようと、本郷村より長良川を渡って森部村に進出し、斉藤龍興の軍と戦いました。斉藤軍6000人に対し、織田軍1500人で戦い、墨俣の下宿から押し寄せてきた斉藤軍を信長は見方を三手に分け、敵を挟み撃ちにして破りました。この戦いで…
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- 中山道と美濃路 垂井追分道標

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- 西濃
- 宝永6(1709)年に建てられた追分の道標は、「中山道」と「美濃路」の大切な分岐点。中山道250余りの道標中、七番目に古いものです。☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路とし…
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- 長宗我部盛親陣跡

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- 西濃
- 長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとなる。南宮山に陣を敷いたが毛利軍が動かず、戦わずして引き上げた。西軍主力の一角として、南宮山に布陣した。
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- 奥平貞治の墓

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- 西濃
- JR関ヶ原駅から北西へ約4km弱の場所に「奥平貞治の墓」があります。関ケ原の戦いで貞治は家康の意を受けて、西軍の裏切りを約束していた小早川秀秋隊の監視をしていました。秀秋の裏切りの後には軍の先頭に立って松尾山を攻め降り、大谷勢と奮戦し、玉村あたりで討ち…
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- 開元院

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- 東濃
- 土岐頼元が創建したと伝わる曹洞宗寺院。本尊は、観音菩薩で土岐市の定林寺の本尊を移したと伝わっています。この本尊は、岐阜県の重要文化財となっています。
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- 中馬街道 うかれ横丁

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- 東濃
- この路地は、中馬街道の一部で、生糸生産がさかんな頃は、旅人や馬子を相手に酒やうどんを売る店が並んでいました。昔懐かしい面影を残す通りです。道路を跨ぐ渡り廊下のある家もあります。うかれ横丁は、「 受験に受かれ!」の言い伝えがあり受験生にお勧めだそうで…
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- 森部の合戦場跡と出世の松(利家とまつ)

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- 西濃
- 永禄4(1561)年、織田信長は西美濃を征服しようと、本郷村より長良川を渡って森部村に進出、斎藤龍興の軍と戦いました。斎藤軍6千に対し、織 田軍1万5千で対戦。墨俣の下宿から押し寄せてきた斉藤軍を織田軍は、味方を三手に分け敵をはさみうちにして破りま…
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- 岩村歴史資料館

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- 東濃
- 岩村歴史資料館は、岩村城跡の麓の岩村藩藩主邸跡にあります。「享保3年岩村城絵図」「明和3年岩村城平面図」「佐藤一斎自讃画像軸」(いずれも県重要文化財)をはじめとする多くの岩村城、岩村藩関係史料を収蔵展示しています。併設する民俗資料館は、城跡の南東に隣…
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- 土佐屋

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- 東濃
- 土佐屋は、今から約260年前に染物業を営んでいた商家で、建物自体は平成8年より復元工事が行われ、平成11年4月に「工芸の館」土佐屋としてオープンしました。当時の藍染めの工程を学ぶことができる染工場や、土佐屋の歴史をおさめた土蔵の展示室、庭の天正疎水などは…
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- 一呑の清水

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- 岐阜・中濃
- 東濃
- 街道を旅する人々の喉を潤した清水です。岐阜県の名水50選にもなっており、皇女和宮が降嫁される際に好んで飲んだといわれています。水飲み場が人間用、馬牛用と2つに分かれており、当時荷を引くための馬や牛がいかに重宝されていたかがうかがえます。
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- 飯羽間城跡

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- 東濃
- 岩村氏から分出した遠山一族の遠山飯羽間(飯間)氏が本拠した城の跡地。岩村城の支城(岩村城を守るために造られた小さな城)であり、苗木城・明知城とお互いに連携を取りつつ、本城の外郭防衛線を形成していたといわれています。中でも飯羽間城は岩村本城に最も近距…
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- 承久の乱 大井戸渡の古戦場跡

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- 岐阜・中濃
- 承久3年(1221年)6月、幕府軍の挙兵に対抗し、朝廷軍は木曽川沿いに兵を配置しました。幕府側の東山道軍5万余騎が大井戸の渡(わたり)に攻め寄せ、戦乱の火ぶたが切られました。この「大井戸の戦い」では、数に勝る幕府軍が朝廷軍を一気に押し込み、その後の戦い…
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- 美濃路の松並木

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- 西濃
- 垂井宿~大垣宿~墨俣宿~起宿~萩原宿~稲葉宿~清須宿~名古屋宿~宮宿と続く脇街道「美濃路」の起点。「中山道」と「東海道」を結ぶ、五街道に次ぐ重要な脇街道。☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。 &nb…
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- 栗原九十九坊跡(長宗我部盛親陣跡)

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- 西濃
- 栗原九十九坊跡は、栗原山の山頂部から東山麓に広がる大規模な寺院群です。栗原九十九坊跡との関係が想定される清水寺跡に近接しています。長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとな…
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- 長束正家陣跡

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- 西濃
- 豊臣秀吉の仕え、高い算術能力で活躍し五奉行の一人。関ケ原の合戦では、伊勢方面から美濃へ転戦し、本戦では、南宮山に陣を構えたが、吉川広家にはばまれ、合戦に参戦することができず、領地である近江水口へ撤退した。
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