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- 北塚

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- 西濃
- 輪之内町東大藪の北部、大藪地内の田んぼの中に、一畝ほど小高く土を盛り上げた塚(現在は史跡として整備しています)。関ケ原の合戦の最初の前哨戦「福束城の戦い」において戦死した東西両軍の死者をあわれんで土地の人たちが埋葬して成仏を祈った塚。お堂の仏様には…
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- 福束城の戦い跡

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- 西濃
- 南濃を平定するため「関ケ原の合戦」の約1か月前 慶長5年(1600年)8月16日に「関ケ原の合戦 最初の前哨戦」がありました。福束城の戦いは、東軍 福島正則が再三の誘いをしりぞけて西軍に加わった「丸茂兼利」の居城であり舟運の要衝「福束城」を今尾城主 市橋長勝…
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- 白山神社 (旗懸けの松)

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、岐阜から赤坂に向かった徳川家康公は、神戸の白山神社で休憩した折、松の大樹に旗を懸けたところから、その松は「旗懸けの松」と呼ばれるようになりました。また、そのとき神戸町八条の禅宗「瑞雲寺」の住職が大きな柿を献上したところ、家…
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- 杭瀬川古戦場

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
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- お茶屋屋敷跡 (赤坂ボタン園)

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- 西濃
- お茶屋屋敷跡は、徳川家康が上洛の往還にあたって造営した将軍家専用の休泊施設の貴重な遺構(現存する唯一の遺跡)です。ほぼ方形の縄張りをもつ城郭形式で、土塁・空濠で囲み、四隅に櫓を備え、東面中央部には大手門がありました。当時を偲ぶ土塁や空濠の一部が残っ…
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- 宝光院(ひだりめ不動)

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- 西濃
- 伝教大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には徳川幕府から「御朱印地」として特別な保護を受けていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩である「節分会 はだか祭」が開催され、熱気あふれる祭りの舞台となります。祭礼に伴う櫓が建つ境内地は、伝統的な祭りの…
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- 河田木曽川渡河の戦い跡・木曽川文化資料館

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- 岐阜・中濃
- 岐阜城城主・織田秀信(かつての三法師)を攻めるため木曽川を渡る東軍 (池田輝政・浅野幸長・山内一豊等) とそれを迎撃する西軍 (木造具政・百々綱家等) の戦いです。東軍は、木曽川渡河を決行、木曽川の中洲の小屋場島(現・各務原市)まで進軍し陣を張る。西軍は、…
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- 米野の戦い跡

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- 岐阜・中濃
- 慶長5年(1600年)、池田輝政を中心とした東軍1万8千に対し、西軍3千のみの布陣。河田木曽川渡河の戦いの後、東軍は木曽川を渡り米野に上陸し西軍と激突しました。 戦いは、東軍大勝利に終わりました。これを米野の戦いといいます。 池田勢の一番槍の手柄を…
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- 念興寺の「鬼の首」

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- 岐阜・中濃
- 鬼の首は、950年ごろに高賀山信仰で有名な藤原高光(ふじわらたかみつ)が、瓢ヶ岳(ふくべがたけ)に出た鬼を退治したものだと言われています。徳川綱吉の元禄時代(1688~1703年)にその鬼のシャレコウベを粥川太郎右衛門(かいがわたろえもん)が、念興寺に持ち帰…
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- 野古墳群

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- 西濃
- 大野町に点在する200基を超える古墳の中でも5世紀後半から6世紀初頭(今からおよそ1500年前)にかけて造営された野集落西方にある古墳群。この時代にこれだけの規模の古墳が密集して造営されることは稀なため、国の史跡に指定されています。古墳群成立当時は、もっと…
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- 長寿院盛淳の墓・琳光寺

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- 西濃
- 島津義弘公の家老・長寿院盛淳は、島津豊久公に次いで捨て奸(すてがまり)を行い、義弘公から賜った陣羽織を身につけ、「我こそは義弘也」と名乗り、主君の身代わりとなって討ち死にしました。琳光寺には、盛淳公を悼んで宝暦治水の薩摩藩士が刻んだ五輪塔と、子孫が…
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- 明智光秀公ブロンズ像

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- 岐阜・中濃
- 大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公 明智光秀が、出生地の故郷明智荘に438年の時を経てよみがえりました。高さは台座を含めて約4m30cm、鎧に陣羽織を羽織り、鉄砲を携えた迫力のある立像です。人々が穏やかに暮らせる、争いのない時代を願って可児から雄飛した…
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- 中津川中山道歴史資料館

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- 東濃
- 中山道は江戸幕府が直轄する幹線道路である五街道の一つです。その前身は東山道と呼ばれ,古くから西国と東国を結ぶ重要な街道でした。そして,江戸時代には東海道とともに江戸と京都・大坂を結ぶ重要な街道として発展を遂げました。中津川には中津川宿・落合宿・馬籠…
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- 十一面観世音菩薩立像(別府観音堂)

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- 岐阜・中濃
- 別府観音堂に安置されている通称「別府観音」とよばれる観音像は、谷汲山の観音像と同作等身の像で、 古来より兄弟の霊像であると伝えられています。像高182.4cm・台座の高さ9.0cmの桧材一木造彫眼で衣文の彫り、裳の折り返し、裾など穏やかで丸みをおび、 温和で均整…
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- 富有柿発祥の地 富有柿の原木

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- 岐阜・中濃
- 富有柿は、全国の甘柿の中でも最優秀品種として栽培されています。 その名の由来は、居倉村(現在の瑞穂市居倉)にあった在来種、居倉御所(御所柿)の中で味・色・形状共に優れている柿に着目した居倉の福嶌才治(ふくしまさいじ)氏がこの接穂を得て増殖し、新…
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- 中山道 美江寺宿

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- 岐阜・中濃
- 美江寺宿は、中山道六十九宿のうち五十五番目の小規模な宿場です。この地には奈良時代、養老年中に建立された美江寺(美江寺観音)がありました。しかし、戦国時代、斎藤道三によって岐阜へ移されましたが、地名だけは残りました。1880(明治3)年の宿駅制廃止から約1…
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- 伊久良河宮跡(いくらがわのみや)

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- 岐阜・中濃
- 全国神社の本宗である伊勢神宮は、皇位の御しるしの八咫(やた)の鏡をご神体とし、皇祖天照大神をお祀りしている皇大神宮(内宮)が信仰の中心となっています。垂仁天皇の時代、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)は、天照大神をお祀りするのに最もふさわしい地を求め…
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- 小簾紅園

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- 岐阜・中濃
- 公武合体のため仁孝天皇の第8皇女和宮(かずのみや)が、徳川第14代将軍徳川家茂に嫁ぐため中山道を御降嫁された際、呂久川(現在の揖斐川)を御座船でお渡りになる時、色麗しく紅葉している楓を一枝舷に立てさせられ、玉簾の中からご覧になり、『 おちていく 身と…
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- 落合の石畳

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- 東濃
- 落合宿と馬籠宿の間には急な坂道が多くあり、旅人の便を図り、同時に坂道を大雨から守る策として、この落合の石畳が作られました。今は、昔の姿を留めていた三ケ所を含めて約840mが再現されています。深い森の中、ひんやりした木立の中を苔むした石畳を踏みながら歩…
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- 御嵩町ゆかりの戦国武将『可児才蔵』

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- 岐阜・中濃
- 可児才蔵は、御嵩町出身と伝えられる武将です。その出生については御嵩町の古刹・願興寺の寺記『大寺記』に記されています。願興寺を出た才蔵は諸国を流浪し主君を転々としましたが、最終的には東軍・福島正則に仕え、天下分け目の関ケ原の戦いに先陣の福島隊として出…
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