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- 虚空蔵堂と承久の乱古戦場跡

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- 岐阜・中濃
- 中山道(東山道)を江戸から京へ向かうとき、太田宿の西の出口にあり、ここから急な坂道を下り、木曽川沿いを進み、京を目差しました。虚空蔵堂は旅人の休憩所や旅の巡礼が宿泊したとも云われています。鎌倉時代、承久の乱では、朝廷側(後鳥羽上皇・総大将:藤原秀康…
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- 炉畑遺跡

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- 岐阜・中濃
- 縄文時代中期から後期の集落遺跡で、発掘調査では10基の竪穴式住居跡と、多くの縄文土器、石器が発見されました。現在は、縄文時代の風景や生活スタイルを見学できる緑豊かな公園として整備されています。
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- 加納家

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- 東濃
- 恵那市指定文化財の岩村藩鉄砲鍛冶加納家。鉄砲鍛冶道具などの展示がされています。初代包房(かねふさ)から5代睦久(ちかひさ)まで続いた鉄砲鍛冶の家。鍛冶は、初代から3代竹治まで行っていました。包房が、1831(天保2)年ごろから当時の6代岩村藩主松平乗保の命…
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- 増島城跡(岐阜県指定史跡)

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- 飛騨
- 増島城は、金森長近が飛騨国支配における古川盆地の押さえとして築いた平城です。高山藩2代目藩主・金森可重が初代城主を務めました。 現在は、古川小学校と飛騨市特別支援学校の間に、櫓台の石垣と堀の一部が残っています。櫓台の上には、増島天満神社(気多若宮神…
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- 名木林神社

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- 西濃
- 祭神は、天照大神。美濃神名帳に記録にある古い神社で天徳年間(957年)「ナキハヤ」と呼ばれていた模様。
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- 福束城の戦い跡

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- 西濃
- 南濃を平定するため「関ケ原の合戦」の約1か月前 慶長5年(1600年)8月16日に「関ケ原の合戦 最初の前哨戦」がありました。福束城の戦いは、東軍 福島正則が再三の誘いをしりぞけて西軍に加わった「丸茂兼利」の居城であり舟運の要衝「福束城」を今尾城主 市橋長勝…
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- 祐泉寺

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- 岐阜・中濃
- 500年の歴史を持つ臨済宗の古刹。槍ヶ岳を開山した播隆上人や日本ラインの命名者でもある志賀重昂の墓碑があるほか松尾芭蕉の句碑、坪内逍遥の歌碑、北原白秋の歌碑など様々な碑が建ち並んでいます。
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- 清水城址・稲葉一鉄ゆかりの地

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- 西濃
- お城の東門、南側に石垣がわずかに残るだけですが、当時がしのばれます。※ 小学校内の敷地内になるため、見学にはご注意をお願いします。揖斐川町:明智光秀ゆかりの地
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- 謡坂一里塚

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- 岐阜・中濃
- 御嵩町域にはかつて3ヵ所に一里塚がありましたが、現存するものはありません。謡坂一里塚は、明治41年に二円五十銭で払い下げを受け、取り壊されました。現在の一里塚は、昭和48年に地元有志の手によって復元されたものです。
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- 関ケ原推しトリップ-知る旅-

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- 西濃
- あなたの「推し武将」ゆかりの地を、専門ガイドの案内でじっくり巡る特別な日帰り旅行プラン「関ケ原推しトリップ-知る旅-」が登場!今回は「石田三成」「徳川家康」「大谷吉継」の3コースをご用意。記念館での学びと、リアルな古戦場の空気感。その両方がリンクした…
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- 白川茶発祥の地

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- 岐阜・中濃
- 村の特産白川茶の起源は、約600年前、大沢村蟠龍寺の住職が、宇治から茶の実を持ち帰り、里人に茶の栽培を奨めたのが始まりと言われています。看板に大きな文字で白川茶発祥の地と書いてあります。看板の近くから見える景色も雄大でとても美しい所です。
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- 美濃路の松並木

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- 西濃
- 垂井宿~大垣宿~墨俣宿~起宿~萩原宿~稲葉宿~清須宿~名古屋宿~宮宿と続く脇街道「美濃路」の起点。「中山道」と「東海道」を結ぶ、五街道に次ぐ重要な脇街道。☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。 &nb…
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- 承久の乱 大井戸の渡し跡・土田の渡し

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- 岐阜・中濃
- 鎌倉時代 承久3年(1221年)6月5日、日本史上初の朝廷と武家の間で起きた武力による争い「承久の乱」の開戦地。激戦地となった大井戸の戦いです。この地では、朝廷側(大内惟信)2000騎と幕府側(武田信光・笠原長清ら)東山道軍50,000余軍に東海道軍100,000余軍が…
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- 美濃路 大浦(三ツ屋)の道標

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- 岐阜・中濃
- 「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例(きちれい)街道」とも呼ばれ交通量も多く重要な脇街道です。
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- 金屋川原の合戦址 須賀神社・正覚寺

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- 西濃
- 西軍として南宮山後方に布陣していた長宗我部盛親は、関ケ原の合戦での味方の敗走を知り、戦わずして戦線離脱を図りました。伊勢方面へ抜けようと南へ進んだ毛利秀元・長曽我部盛親・長塚正家らは、養老町金屋付近で、遅れて関ケ原を目指していた東軍・松の木城主&nbs…
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- 上恵土城址

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代の15世紀末頃に荏土城と呼ばれていた平城で、後に上恵土城と称されるようになりました。築城年代は定かではありませんが、天正10年(1582)頃の城主長谷川五郎右衛門は大森城主奥村又八郎と謀って、金山城主森長可を攻め滅ぼそうとしますが、逆にその謀議の報…
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- 野口城跡

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- 飛騨
- 野口城は築城主に関する記録がなく、城主も不明です。しかし、越中西街道と数河峠が交わる宮川沿いに位置し、向小島城や古川城を望めることから、古川盆地西側の監視拠点として重要な立地にあります。このことから、姉小路氏が築いた可能性が高いと考えられています。…
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- 開元院

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- 東濃
- 土岐頼元が創建したと伝わる曹洞宗寺院。本尊は、観音菩薩で土岐市の定林寺の本尊を移したと伝わっています。この本尊は、岐阜県の重要文化財となっています。
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- 美濃路 起渡船場石灯台

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- 岐阜・中濃
- 美濃路の木曽川の渡しを「起の渡し」といい、この石燈台は、濃尾大橋の開通時(昭和31年)に、現在の場所へ移されました。明和7年(1770年)の「おこし川渡船」と刻まれたこの石燈台は、文学者の龍公美の漢詩が刻まれています。口碑によると、ある夜、渡船で難儀をし…
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- 唄清水

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- 岐阜・中濃
- この清水の傍らには「馬子唄の響きに波たつ清水かな五歩」と刻まれた嘉永七年(1854)の句碑が建っています。五歩とは千村征重のことで、久々利九人衆の一人・千村助右衛門重次の分家にあたり、日吉(現瑞浪市)の南垣外に住んでいました。現在、唄清水は岐阜県の名水…
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