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- 美濃路 墨俣宿本陣跡

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- 西濃
- この墨俣宿本陣跡には、本陣の由来を示す石碑と渡船場常夜燈があるだけです。慶長5年、伊達政宗が宿泊したこともあり「伊達様御本陣」とも言われていました。本陣は、代々澤井家が務めていました。
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- 卜全澤

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- 西濃
- 三人衆の稲葉一鉄、安藤守就と共にかつて仕えた斎藤家への信長の稲葉山城攻めに参加。その後、信長に仕えた頃に出家、名を「直元」から「卜全」と号する。各地で活躍し、長島一向一揆を鎮めるため長島進行(第一次進行)時の柴田勝家に従う。その際、反撃に遭い殿軍を…
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- 山内嘉助屋敷跡

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- 岐阜・中濃
- 江戸時代に酒造業を営んだ山内家の屋敷跡。今は藤上坂の途中に立派な石垣のみが往時の姿を伝えています。当時、この屋敷は「中山道」を通行する諸大名の休憩所や旅人の宿泊施設としての役割も担っていたと伝えられています。
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- 十七条城跡(船木城跡)

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- 岐阜・中濃
- 十七条城は、南北朝時代の初め、船木頼胤が築いた城です。享禄年間(1530年頃)より林氏の居城となりました。 お福(のちの春日局)の夫となる林正成はこの城で生まれました。成人後、稲葉重通(一鉄の子)の養子となり、稲葉正成と改姓し、小早川秀秋の家老…
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- 牛の鼻欠け坂

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- 岐阜・中濃
- 「牛んぼ牛んぼどこで鼻欠いた、西洞の坂で鼻欠いた♪」という歌が残るこの坂は、牛や馬など四足歩行の動物が通る際、鼻が地面に接してしまうことで擦れたり、削れたりしてしまうほど急な坂道であったことから名付けられました。平成28年からは国の史跡にも指定されて…
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- 一夜城跡(恵那市)

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- 東濃
- 明智を一望する山の上に築かれた砦。天正2年の戦いで武田勝頼が陣を構えたと伝えられる。
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- 瑞浪市のご当地体験

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- 東濃
- 市内の観光体験で使用できるお得なクーポンを配布しています!昨年度からの14事業者に令和6年度は新たに7事業者を加え、計21事業者による観光体験コンテンツをリリースしています。リリースにあたり、瑞浪市の観光体験コンテンツで使用できるかなりお得なクーポンを11…
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- 六万墓

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- 岐阜・中濃
- 斎藤道三との戦いで戦死した人を弔う六万墓の石碑は、大桑城下(現、山県市大桑地区)四国堀跡の近くに建っています。戦いの後に南泉寺住職の仁岫宗寿が焼香を行ったとされており、激しい合戦がこの地で行われたことを物語っています。明智光秀、麒麟がくる大河ドラ
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- 藤堂高虎・京極高知陣跡

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- 西濃
- 現在のJR関ケ原駅から国道21号線を越えたところにある関ケ原中学校の敷地内に、藤堂高虎と京極高知は陣を構えたとされています。両隊は合戦時に福島正則隊に続いて東軍左翼縦隊の第2陣として進軍し、開戦後は不破関跡付近まで進撃して、大谷吉継の隊に属していた平塚…
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- 清水城址・稲葉一鉄ゆかりの地

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- 西濃
- お城の東門、南側に石垣がわずかに残るだけですが、当時がしのばれます。※ 小学校内の敷地内になるため、見学にはご注意をお願いします。揖斐川町:明智光秀ゆかりの地
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- 唄清水

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- 岐阜・中濃
- この清水の傍らには「馬子唄の響きに波たつ清水かな五歩」と刻まれた嘉永七年(1854)の句碑が建っています。五歩とは千村征重のことで、久々利九人衆の一人・千村助右衛門重次の分家にあたり、日吉(現瑞浪市)の南垣外に住んでいました。現在、唄清水は岐阜県の名水…
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- 諸之木峠展望台

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- 岐阜・中濃
- 皇女和宮通行の際、この地に休憩用の御殿が建てられたことから、「御殿場」と呼ばれるようになったと伝えられています。現在は展望台が建てられており、中山道を歩くウォーカーの休憩施設として利用されています。
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- 小鷹利城跡

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- 飛騨
- 小鷹利城跡は、向氏の別名「小鷹利」から、向氏の居城と伝わります。享禄4年(1531)以降、向氏の没落により三木氏がこの地を支配していたと考えられます。 この城は、白川郷方面から保峠や湯峰峠を越えて古川盆地へ攻め入る敵に備えた「境目の城」としての役割…
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- 堂之上遺跡

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- 飛騨
- 縄文時代前期から中期の集落跡を整備復元し、公開しています。隣接する歴史民俗資料館では、遺跡の調査記録や出土品のほか、久々野町に残る考古資料や民具などが展示されています。
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- 西首塚

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- 西濃
- 「西首塚」は、JR関ケ原駅前から国道21号線を西へ700mほど行ったところにあります。「東首塚」と同様、当時この地の領主であった竹中重門が徳川家康の命により、関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。現在は高さ2m、周囲30m程の塚ですが、JR東海道本線の敷…
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- 光秀公手植えの楓

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- 東濃
- 「金幣社八王子神社」境内にある「柿本人麻呂社」は、萬葉の歌人柿本人麻呂を祭神とする社殿です。伝承によれば、文武を志す光秀公が「学問所」には天神を、「八王子神社」には人麻呂を祀り、「社前」に紅葉(楓)を植えたと伝えられています。この社殿には、明智氏の…
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- 美濃路一里塚

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- 西濃
- 慶長9年、徳川家康は日本橋を起点に主要道路の一里ごとに塚を築いた。後に脇街道にも築き、五間(約9m)を基準に、塚の上に榎や松を植えて旅人に便利を与えた。(かつて入方から町屋まで約1300mの間は立派な松並木があったが昭和17年頃、軍需の松根油などを作るため…
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- 久々野歴史民俗資料館

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- 飛騨
- 史跡堂之上遺跡に隣接する歴史民俗資料館は、堂之上遺跡の(縄文時代前期から中期)調査記録、出土品を収蔵するとともに、町内の考古資料、歴史資料、民俗資料を収集、展示しています。
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- 小島城跡

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- 飛騨
- 小島城は姉小路三家の一角・小島氏の居城です。高原郷と小島郷を結ぶ神原峠の峠道が脇を通る交通の要衝に位置します。ここには算木積みといわれる石垣がありますが、旧来の飛騨の山城には見られないものです。そのため小島城は金森氏が改修した可能性があるといわれて…
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- 白山神社 (旗懸けの松)

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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、岐阜から赤坂に向かった徳川家康公は、神戸の白山神社で休憩した折、松の大樹に旗を懸けたところから、その松は「旗懸けの松」と呼ばれるようになりました。また、そのとき神戸町八条の禅宗「瑞雲寺」の住職が大きな柿を献上したところ、家…
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