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- 中津川市鉱物博物館

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- 東濃
- 岐阜県中津川市苗木・蛭川を中心とする一帯は、水晶・トパーズをはじめさまざまな鉱物を産し、鉱物の一大産地「苗木地方」としてよく知られてきました。中津川市鉱物博物館は、苗木地方の産出鉱物など多くの鉱物標本を展示し、鉱物や地域の地質について学べる、国内で…
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- 伏見宿本陣跡碑

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- 岐阜・中濃
- 現在は伏見公民館が建っていますが、本陣跡碑や数軒の格子の家並みが往時の様子を偲ばせています。本陣跡碑の傍らに建てられた境界傍示杭は、もとは伏見の西坂にあり「是より東尾州領」と刻まれており、これは西坂から東が尾張藩領であったことを示しています。
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- 一本松公園

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- 岐阜・中濃
- 樹齢200年以上の松の木を中心に、伏見宿の面影を醸し出す建物。地元の方々のイベントにも利用されています。
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- 諸之木峠展望台

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- 岐阜・中濃
- 皇女和宮通行の際、この地に休憩用の御殿が建てられたことから、「御殿場」と呼ばれるようになったと伝えられています。現在は展望台が建てられており、中山道を歩くウォーカーの休憩施設として利用されています。
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- 一呑の清水

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- 岐阜・中濃
- 東濃
- 街道を旅する人々の喉を潤した清水です。岐阜県の名水50選にもなっており、皇女和宮が降嫁される際に好んで飲んだといわれています。水飲み場が人間用、馬牛用と2つに分かれており、当時荷を引くための馬や牛がいかに重宝されていたかがうかがえます。
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- 久々利城跡

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- 岐阜・中濃
- 久々利城は、美濃に勢力を誇った土岐氏の支流である久々利氏の居城と伝えられています。正確な築城年代は不明ですが、築城された時期の上限は14世紀半ばの南北朝時代まで遡ることができます。天正11年(1583)、美濃金山城主である森長可の手により落城しました。築城…
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- 白川八幡神社 釈迦堂

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- 飛騨
- 白川八幡神社境内の釈迦堂は、江戸時代初期の寛永4(1627)年に当時の領主、山下氏勝が建立。 氏勝が家康から名古屋城築城の命を受けた際に、諸国の彫刻家に彫らせた弥陀、釈迦、日輪、月輪の4体の像は、山下家のの氏神として崇敬庇護されたといわれています。
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- 中山道 伏見宿

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- 岐阜・中濃
- 伏見宿は元禄7年(1694年)土田宿の廃止に伴い整備された新宿です。木曽川の水運を利用した新村湊に近く、多くの物資の行交いとともに賑わいを見せていました。中山道ゆったり伏見宿は、宿内にある旧伏見郵便局舎を活用した観光案内所です。休憩所としても利用され、…
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- 宇喜多秀家ゆかりの地

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- 西濃
- 1600年(慶長5)関ヶ原合戦に敗れた宇喜多秀家は、白樫村(現在の揖斐川町白樫)の矢野五右衛門に助けられ、この地に匿居したとされています。
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- 小西神社

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- 西濃
- 1600(慶長5)年関ヶ原合戦に敗れた小西行長は春日中山へ逃げ、観音寺で匿われたが、捕らえられ、中山に騙されたと思いこんだ行長は強い恨みを持った。それから度々大火が起こるようになり、これを小西行長の祟りと恐れた中山では墓を作り、寺に祀って大改装を行…
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- 十七条城跡(船木城跡)

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- 岐阜・中濃
- 十七条城は、南北朝時代の初め、船木頼胤が築いた城です。享禄年間(1530年頃)より林氏の居城となりました。 お福(のちの春日局)の夫となる林正成はこの城で生まれました。成人後、稲葉重通(一鉄の子)の養子となり、稲葉正成と改姓し、小早川秀秋の家老…
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- 森部川古戦場薬師堂

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- 西濃
- 永禄4年、織田信長は西美濃を征服しようと、本郷村より長良川を渡って森部村に進出し、斉藤龍興の軍と戦いました。斉藤軍6000人に対し、織田軍1500人で戦い、墨俣の下宿から押し寄せてきた斉藤軍を信長は見方を三手に分け、敵を挟み撃ちにして破りました。この戦いで…
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- 新加納陣屋

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- 岐阜・中濃
- 慶長五年(1600)八月、関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城の戦いの前に、木曽川を渡って岐阜城の攻略を目指していた東軍の池田輝政と、新加納において待ち構えていた西軍の岐阜城主織田秀信の軍勢との戦いがありました。新加納には西軍によって砦が築かれており、秀信…
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- 美濃路

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- 西濃
- 美濃路は、東海道宮宿(現愛知県名古屋市熱田区)と中山道垂井宿(現岐阜県不破郡垂井町)を結ぶ全長約58キロに及ぶ街道でした。中山道の木曽谷、東海道の鈴鹿峠や七里の渡しといった難所を避けることができました。そのため、参勤交代で国許を行き交う諸大名だけでな…
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- 鮎鮨街道・笠松問屋跡

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- 岐阜・中濃
- 長良川の鵜飼でとった鮎を使用した鮎鮨(あゆずし)を将軍徳川家康に献上する為に通った道。岐阜城の麓にある御鮨所を出発し、加納宿を経た荷物は、笠松の問屋「高嶋家」で引き継がれ、一宮問屋へ送られた。
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- 美濃路一里塚

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- 西濃
- 慶長9年、徳川家康は日本橋を起点に主要道路の一里ごとに塚を築いた。後に脇街道にも築き、五間(約9m)を基準に、塚の上に榎や松を植えて旅人に便利を与えた。(かつて入方から町屋まで約1300mの間は立派な松並木があったが昭和17年頃、軍需の松根油などを作るため…
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- 光顕寺

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- 西濃
- 教如上人が関ヶ原合戦、直前の慶長5年8月に徳川家康の陣中見舞いを行った。関東からの帰り道、墨俣の渡船場付近(長良川)で西軍の石田三成軍に襲われたが、安八・墨俣などの15か村の信徒によってかくまわれた場所とされている。その際に、もはやこれまでかと思い、…
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- 地歌舞伎公演(中津川市)

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- 東濃
- 地元の役者たちによって演じられる「地歌舞伎」。大歌舞伎では見られなくなった演目や特有の振付が見物!受け継がれてきた伝統芸能の粋をお見逃しなく!
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- 大須観音(真福寺)

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- 岐阜・中濃
- 寛元の頃(1240年代)に観音堂を建立。北野神社より分霊を受け北野山真福寺という大寺に発展しましたが、戦国時代に入ると次第に衰退の一途を辿ります。織田信長により一時再興されるも、慶長10年(1605年)の木曽川の大洪水で堂塔は全て流失しました。元和元年(1615…
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- 猿啄城

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- 岐阜・中濃
- 永禄8年(1565年)、織田信長の美濃攻めにより攻略され、川尻鎮吉(かわじりしげよし)が城主となりました。 その折に、地名を猿啄(さるばみ)から勝山に改めたといわれています。山頂までは徒歩30~40分ほど。 自然の中の散策が楽しめます。
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