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- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、叔父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚(薩摩塚)と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり…
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- 富有柿発祥の地 富有柿の原木

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- 岐阜・中濃
- 富有柿は、全国の甘柿の中でも最優秀品種として栽培されています。 その名の由来は、居倉村(現在の瑞穂市居倉)にあった在来種、居倉御所(御所柿)の中で味・色・形状共に優れている柿に着目した居倉の福嶌才治(ふくしまさいじ)氏がこの接穂を得て増殖し、新…
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- 一夜城跡(恵那市)

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- 東濃
- 明智を一望する山の上に築かれた砦。天正2年の戦いで武田勝頼が陣を構えたと伝えられる。
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- 中山道と美濃路 垂井追分道標

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- 西濃
- 宝永6(1709)年に建てられた追分の道標は、「中山道」と「美濃路」の大切な分岐点。中山道250余りの道標中、七番目に古いものです。☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路とし…
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- 朝倉山真禅院

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- 西濃
- 739年創建の天台宗の古刹。三重塔や県下最古といわれる梵鐘など国指定重要文化財を所有。緩やかな石段が続く表参道を上がれば、紅葉の境内から、垂井の町並みが一望できます。
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- 増島城跡(岐阜県指定史跡)

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- 飛騨
- 増島城は、金森長近が飛騨国支配における古川盆地の押さえとして築いた平城です。高山藩2代目藩主・金森可重が初代城主を務めました。 現在は、古川小学校と飛騨市特別支援学校の間に、櫓台の石垣と堀の一部が残っています。櫓台の上には、増島天満神社(気多若宮神…
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- 妻木城士屋敷跡

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- 東濃
- 妻木城のある通称城山の北側の山麓には、御殿と呼ばれる領主の館と家臣の武家屋敷が築かれ、万治元年(1658年)の妻木家断絶まで陣屋として存続しました。屋敷敷地を区切っていた石垣や石段、井戸などが現在も残されており、山麓の御殿跡および武家屋敷は「妻木城士屋敷…
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- 島左近陣跡

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- 西濃
- “三成に過ぎたるもの”と言われた島左近は関ケ原の合戦前日、兵500を率いて挑んだ岐阜県大垣市「杭瀬川の戦い」で勝利し、西軍の士気を高め、当日は笹尾山の麓に布陣します。開戦後、攻め寄る黒田長政や細川忠興ら東軍を幾度も押し返す活躍を見せましたが…
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- 富加町郷土資料館

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- 岐阜・中濃
- 現存する日本最古の戸籍の故地として注目されている。奈良東大寺正倉院には12通の古代戸籍が残り、中でも大寶貳年御野國半布里戸籍は54戸1119人の氏名、続柄等が書かれ、ほぼ完璧な形で残っています。そのレプリカを展示、発掘出土品、古民具、農機具等が展示…
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- 美濃路

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- 西濃
- 美濃路は、東海道宮宿(現愛知県名古屋市熱田区)と中山道垂井宿(現岐阜県不破郡垂井町)を結ぶ全長約58キロに及ぶ街道でした。中山道の木曽谷、東海道の鈴鹿峠や七里の渡しといった難所を避けることができました。そのため、参勤交代で国許を行き交う諸大名だけでな…
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- 光顕寺

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- 西濃
- 教如上人が関ヶ原合戦、直前の慶長5年8月に徳川家康の陣中見舞いを行った。関東からの帰り道、墨俣の渡船場付近(長良川)で西軍の石田三成軍に襲われたが、安八・墨俣などの15か村の信徒によってかくまわれた場所とされている。その際に、もはやこれまでかと思い、…
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- 和泉式部廟所

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- 岐阜・中濃
- 東濃
- 情熱の歌人とたたえられた平安時代の女流歌人和泉式部は、旅する途中この地で病に倒れ、現在の鬼岩温泉で湯治したものの亡くなってしまったと伝えられています。石碑には「ひとりさえ渡れば沈むうき橋にあとなる人はしばしとどまれ」と記されています。
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- 大野あけぼのミュージアム

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- 西濃
- 県内で町村で初となる大野町の埋蔵文化財センター、愛称「大野あけぼのミュージアム」が令和3年6月1日にオープンしました。大野町は古代大野郡の中心として栄えたところで、古墳と条里に代表される数多くの遺跡があります。埋蔵文化財センターはこれらの調査、研究…
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- 飛騨 荘川の里

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- 飛騨
- ここは、霊峰白山国立公園の別山を主峰に、丸山・芦倉山・天狗山などの山々に抱かれた静かな里です。 清らかに澄んだ川面には、合掌屋根の影がそっと揺れています。二百年以上の時を刻んできた荘川村の伝統家屋「寄棟式入母屋合掌造り」の民家が移築・保存されて…
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- 中馬街道 うかれ横丁

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- 東濃
- この路地は、中馬街道の一部で、生糸生産がさかんな頃は、旅人や馬子を相手に酒やうどんを売る店が並んでいました。昔懐かしい面影を残す通りです。道路を跨ぐ渡り廊下のある家もあります。うかれ横丁は、「 受験に受かれ!」の言い伝えがあり受験生にお勧めだそうで…
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- 仲深山砦

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- 東濃
- 仲深山砦は、白鷹城(明知城)の南の万ヶ洞を隔てた尾根の先端に立地し、東西2つの曲輪群から構成されています。東側の曲輪は、背後(東端)を二重堀切で画し、北側には帯曲輪が巡り、その東端は、横堀状になり、3本の竪堀を設けています。掘切を隔てた西側の曲輪は…
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- 飛騨高山観光人力車ごくらく舎

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- 飛騨
- 高山を知り尽くした俥夫(しゃふ)が、定番の観光スポットはもちろん、歴史やお土産もの飲食店情報など、地元ならではの情報を交えながら観光案内してくれます♪情緒あふれる古い町並のおすすめ撮影スポットで記念撮影!四季折々のベスト撮影スポットを紹介してくれるの…
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- 上石津郷土資料館

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- 西濃
- 国史跡の西高木家陣屋跡に建つ資料館。上石津で出土した石器、民俗資料、動植物の標本を展示するほか、「島津の退き口」の紹介もしています。
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- 西首塚

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- 西濃
- 「西首塚」は、JR関ケ原駅前から国道21号線を西へ700mほど行ったところにあります。「東首塚」と同様、当時この地の領主であった竹中重門が徳川家康の命により、関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。現在は高さ2m、周囲30m程の塚ですが、JR東海道本線の敷…
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- 今尾城跡

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- 西濃
- 東軍 市橋長勝の居城。長勝は、福束城の戦いで奇計をめぐらし、東軍を勝利に導きました。今尾小学校のあたりが本丸跡で、校内に石碑と案内板があります。南美濃の戦いでは、松ノ木城主・徳永寿昌と共に福束城(城主 丸茂兼利)を落城させます。今尾藩初代当主の竹腰…
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