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- 美濃路 墨俣宿脇本陣
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- 西濃
- 美濃路墨俣宿にあった脇本陣跡に建つ民家です。脇本陣は明治24年(1891年)の濃尾震災の際に倒壊し、現在は隣接する本正寺に山門が残るのみです。その後、再建されたこの建物は、脇本陣時代の構造を色濃く残しており、当時の宿場町の面影を偲ぶことができます。週末には…
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- 兜塚
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- 西濃
- 野一色助義(通称:野一色頼母(のいっしきたのも))は、近江国の出身で豊臣三中老の一人「中村一氏」公の家老として8千石で仕えた人物です。関ケ原の合戦の時、「中村一氏」は、東軍に属しますが、関ケ原の合戦直前の7月に亡くなったため弟「中村一栄」と共に出陣…
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- 長宗我部盛親陣跡
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- 西濃
- 長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとなる。南宮山に陣を敷いたが毛利軍が動かず、戦わずして引き上げた。西軍主力の一角として、南宮山に布陣した。
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- 虚空蔵堂と承久の乱古戦場跡
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- 岐阜・中濃
- 中山道(東山道)を江戸から京へ向かうとき、太田宿の西の出口にあり、ここから急な坂道を下り、木曽川沿いを進み、京を目差しました。虚空蔵堂は旅人の休憩所や旅の巡礼が宿泊したとも云われています。鎌倉時代、承久の乱では、朝廷側(後鳥羽上皇・総大将:藤原秀康…
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- 松平忠吉・井伊直政陣跡
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- 西濃
- 関ケ原の合戦で、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉に手柄を立てさせたい一心でした。東軍先鋒は、福島隊と決まっていましたが、午前8時頃に福島隊の先頭隊長の可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊へ発砲し開戦となり…
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- せきがはら史跡ガイド
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- 西濃
- 「せきがはら史跡ガイド」は、関ケ原町の史跡講座を2年間受講した、関ケ原在住・出身者で構成されています。希望の時間やコースに合わせて関ケ原の名所古跡を案内してくれるので、旅のプランに組み込みやすいです。また、初めて関ケ原を訪れた方には、お任せコースも…
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- 飯羽間城跡
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- 東濃
- 岩村氏から分出した遠山一族の遠山飯羽間(飯間)氏が本拠した城の跡地。岩村城の支城(岩村城を守るために造られた小さな城)であり、苗木城・明知城とお互いに連携を取りつつ、本城の外郭防衛線を形成していたといわれています。中でも飯羽間城は岩村本城に最も近…
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- 牛の鼻欠け坂
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- 岐阜・中濃
- 「牛んぼ牛んぼどこで鼻欠いた、西洞の坂で鼻欠いた♪」という歌が残るこの坂は、牛や馬など四足歩行の動物が通る際、鼻が地面に接してしまうことで擦れたり、削れたりしてしまうほど急な坂道であったことから名付けられました。平成28年からは国の史跡にも指定されて…
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- 勝地峠 <島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 標高183mの峠の麓で島津豊久隊は、最後の捨て奸(がまり)を行い、川上四郎衛のごうれいを受けた柏木源藤は、追撃する井伊直正の狙撃に見事成功しました。その後、東軍の追撃はようやく中止。島津豊久公は、残兵の助けを借りながら伊勢西街道「勝地峠」を越えました。
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- 十五社神社
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- 岐阜・中濃
- 平安時代に創建された神社で、土岐氏が氏神として崇敬していました。天文9年(1540)に土岐氏が奉納した越前産笏谷石製の狛犬一対が現存しています。当時の朝倉氏は笏谷石を越前国外にほとんど持ち出さなかったことが分かっており、土岐氏と朝倉氏の深い関係が想像さ…
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- 白山文化博物館
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- 岐阜・中濃
- 「白山文化の里」のシンボル施設として、霊峰白山をイメージした外観の「白山文化博物館」。「道の駅白鳥」に隣接し、内部は白山に関する文化を写真・映像で紹介するテーマ展示や各地の史跡施設を紹介、国の重要文化財も展示しています。
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- 松ノ木城跡
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- 西濃
- 城主は、東軍・徳永寿昌。寿昌は関ケ原の合戦後、高須城主に栄進しました。松ノ木城の位置は特定されておらず、御霊神社のあたりと言われています。南美濃の戦いでは、今尾城主・市橋長勝と共に福束城(城主 丸茂兼利)を落城させます。
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- 日本大正村役場 (旧明智町役場)
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- 東濃
- 明治39年に建てられ、昭和32年まで「明智町役場」として使用されていました。瓦葺き寄せ棟造り2階建ての木造洋館は、当時としては超モダンともいえるものでした。(平成11年 文化庁より有形文化財に指定)
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- 安藤守就戦死の地
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- 岐阜・中濃
- 本能寺の変、信長の死後、旧領地を取り戻すため安東(安藤)守就親子は挙兵し北方城を奪い再起を試みたが、新領主の西美濃三人衆のもう一人、稲葉一鉄(良通)に攻められ討死しました。この戦いを北方合戦と言います。(北方城はそのまま廃城となりました。)安藤守就…
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- 笠松町歴史未来館
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- 岐阜・中濃
- 笠松町は古くから木曽川の水運に恵まれた交通、経済の要衝として発展し美濃郡代笠松陣屋・県庁などが置かれ本県政治発祥の地として栄えました。その当時の県庁跡や商家の帳場などを提示しています。平成27年6月6日のリニューアルオープン後は、航空宇宙や医療関連の情…
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- 伊自良湖・甘南美寺
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- 岐阜・中濃
- 伊自良湖は、周囲約2.4キロメートルの人造湖。四季折々の美しさをもち、中でも紅葉の季節は格別。ボートの上からも紅葉を堪能できます。また、水面に映える紅葉も風情があります。伊自良湖のすぐ近くにある、甘南美寺の紅葉もおすすめです。戦国時代に建立されたとい…
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- 明宝歴史民俗資料館
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- 岐阜・中濃
- 旧小学校の古い木造校舎に、昔の生活道具、商業・産業器具、おもちゃ、戦争関連、鉱物、通貨、石器等を展示しています。収蔵品はおよそ47,000点。その内、国の重要有形民俗文化財がおよそ3,500点と膨大な収蔵数です。見どころは、某人気テレビ番組で登場した開かずの…
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- 桜洞城
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- 飛騨
- 桜洞城は、戦国時代に益田一帯を制して、勢力を振るった三木氏の居城があったところ。三木氏が飛騨全域を統一して、高山盆地に城を築いてからは、ここを冬の宿地としたことから、「冬城」の名でも知られている。発掘調査の結果、城内の規模は南北約147m、東西約97m…
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- 菊姫の墓(中津川市史跡「五輪塔」)
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- 東濃
- 比丘(びく)尼(に)寺と呼ばれるこの地には、かつて木曽義仲の妹・菊姫が亡き兄を弔うために創建した寺、法明寺があったと考えられ、菊姫の墓もこれら五輪塔の中にあるとされる。鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻(あづま)鏡(かがみ)』によれば、源頼朝の妻政子と菊姫は猶…
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- 大良の戦い 金矮鶏神社・大浦城跡・大浦の蛇
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- 岐阜・中濃
- 大浦城跡(大浦の寺砦跡)は、一名聖徳寺砦とも言われています。弘治2年(1556年)4月、織田信長(道三の娘婿)は、斎藤道三と嫡子 義龍が争った「長良川の戦い」に道三の援軍として木曽川を越え「大良(現・岐阜県羽島市正木町大浦周辺)」へ進軍します。父 道三を破…
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