岐阜の
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- 大正路地

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- 東濃
- この路地は、2代目町長・濃明銀行創始者 故橋本幸八郎氏宅の年貢米を納めた米蔵と江戸時代から続いた呉服問屋の蔵にはさまれ、大正時代のたたずまいを色濃く残しています。蔵の白と黒のコントラストがあざやかです。黒い羽目板は、桟(さん)をはずすと防火壁の役目…
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- 福束城跡 福満寺

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- 西濃
- かつて舟運の拠点だった城跡、福満寺は、寛正元年(1459)に僧盛道の開基の真宗大谷派の寺院で本尊は阿弥陀如来です。福満寺には、旧福束城を記録した「古版木」が残っています。版木の図柄は、中央に福満寺の本堂を画き、左に丸毛兵庫頭の墓、右に鎮守佐々木大神宮、…
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- 富有柿発祥の地 富有柿の原木

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- 岐阜・中濃
- 富有柿は、全国の甘柿の中でも最優秀品種として栽培されています。 その名の由来は、居倉村(現在の瑞穂市居倉)にあった在来種、居倉御所(御所柿)の中で味・色・形状共に優れている柿に着目した居倉の福嶌才治(ふくしまさいじ)氏がこの接穂を得て増殖し、新…
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- 白川郷 合掌造り民家園 紅葉ライトアップ

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- 飛騨
- ※令和7年度(2025年度)のイベントは終了しました※【合掌造り民家園 紅葉ライトアップ】の開催について合掌造り民家園では、下記の日程にて、第17回となる紅葉ライトアップ(夜間営業)を行います。赤や黄色に色づく紅葉の期間での開催となり、雪の中とはひと味違っ…
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- お茶屋屋敷跡 (赤坂ボタン園)

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- 西濃
- お茶屋屋敷跡は、徳川家康が上洛の往還にあたって造営した将軍家専用の休泊施設の貴重な遺構(現存する唯一の遺跡)です。ほぼ方形の縄張りをもつ城郭形式で、土塁・空濠で囲み、四隅に櫓を備え、東面中央部には大手門がありました。当時を偲ぶ土塁や空濠の一部が残っ…
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- 勝川家

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- 東濃
- 「江戸城下町の館 勝川家」は、平成15年8月にオープンしました。勝川家は屋号を「松屋」といい、江戸末期から台頭した商家です。江戸後期の建物で、木造2階建て2軒の建物からなっている古い家です。室内は、書院・茶室・使用人部屋などがあり、往時の暮らし向き…
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- 卜全澤

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- 西濃
- 三人衆の稲葉一鉄、安藤守就と共にかつて仕えた斎藤家への信長の稲葉山城攻めに参加。その後、信長に仕えた頃に出家、名を「直元」から「卜全」と号する。各地で活躍し、長島一向一揆を鎮めるため長島進行(第一次進行)時の柴田勝家に従う。その際、反撃に遭い殿軍を…
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- 飛騨古川まつり会館

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- 飛騨
- 毎年4月19日・20日にしか見ることができない「古川祭」を、いつでも体験できるのが飛騨古川まつり会館です。“動”と“静”が織りなす古川祭の迫力と魅力を、臨場感あふれる4K映像でご紹介します。館内には、実際に祭りで使われる本物の屋台3台を…
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- 瑠璃光禅寺 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 瑠璃光禅寺(瑠璃光寺)本堂には、島津豊久公の位牌がおさめられているほか、ゆかりの梵鐘もあります。この寺の裏手の森の中には、島津塚と呼ばれる豊久公の五輪塔が祀られています。関ケ原の合戦、伊勢街道から薩摩への道は、まだまだ続く!! ※島津豊久公自害…
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- 小簾紅園

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- 岐阜・中濃
- 公武合体のため仁孝天皇の第8皇女和宮(かずのみや)が、徳川第14代将軍徳川家茂に嫁ぐため中山道を御降嫁された際、呂久川(現在の揖斐川)を御座船でお渡りになる時、色麗しく紅葉している楓を一枝舷に立てさせられ、玉簾の中からご覧になり、『 おちていく 身と…
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- 美濃歌舞伎博物館「相生座」

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- 東濃
- 相生座は、旧恵那郡明智町にあった常盤座と、旧益田郡下呂町にあった相生座の舞台や客席などを組み合わせ、昭和51(1976)年に日吉町に移築再現。両花道・回り舞台等を備え、客席は平土間で左右と後方の二階に桟敷が設けられた本格的な舞台機構を完備した芝居小屋です。…
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- 安藤守就戦死の地

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- 岐阜・中濃
- 本能寺の変、信長の死後、旧領地を取り戻すため安東(安藤)守就親子は挙兵し北方城を奪い再起を試みたが、新領主の西美濃三人衆のもう一人、稲葉一鉄(良通)に攻められ討死しました。この戦いを北方合戦と言います。(北方城はそのまま廃城となりました。)安藤守就…
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- 中山道 伏見宿

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- 岐阜・中濃
- 伏見宿は元禄7年(1694年)土田宿の廃止に伴い整備された新宿です。木曽川の水運を利用した新村湊に近く、多くの物資の行交いとともに賑わいを見せていました。中山道ゆったり伏見宿は、宿内にある旧伏見郵便局舎を活用した観光案内所です。休憩所としても利用され、…
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- 勝地峠 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 標高183mの峠の麓で島津豊久隊は、最後の捨て奸(がまり)を行い、川上四郎衛のごうれいを受けた柏木源藤は、追撃する井伊直正の狙撃に見事成功しました。その後、東軍の追撃はようやく中止。島津豊久公は、残兵の助けを借りながら伊勢西街道「勝地峠」を越えました。
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- 城跡公園(太鼓櫓・下田歌子勉学所・知新館)

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- 東濃
- 岩村城跡の山麓の武家屋敷地約2haを利用し、歴史資料館、太鼓櫓、下田歌子勉学所、遊歩道を整備。自然をそのまま生かし、町民や観光客の皆さんに親しんでいただける公園です。【太鼓櫓】 江戸時代初期、時の藩主松平家乗(まつだいらいえのり)が、平和な時代になり…
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- 長宗我部盛親陣跡

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- 西濃
- 長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとなる。南宮山に陣を敷いたが毛利軍が動かず、戦わずして引き上げた。西軍主力の一角として、南宮山に布陣した。
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- 西首塚

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- 西濃
- 「西首塚」は、JR関ケ原駅前から国道21号線を西へ700mほど行ったところにあります。「東首塚」と同様、当時この地の領主であった竹中重門が徳川家康の命により、関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。現在は高さ2m、周囲30m程の塚ですが、JR東海道本線の敷…
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- 福束城の戦い跡

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- 西濃
- 南濃を平定するため「関ケ原の合戦」の約1か月前 慶長5年(1600年)8月16日に「関ケ原の合戦 最初の前哨戦」がありました。福束城の戦いは、東軍 福島正則が再三の誘いをしりぞけて西軍に加わった「丸茂兼利」の居城であり舟運の要衝「福束城」を今尾城主 市橋長勝…
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- 宝光院(ひだりめ不動)

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- 西濃
- 伝教大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には徳川幕府から「御朱印地」として特別な保護を受けていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩である「節分会 はだか祭」が開催され、熱気あふれる祭りの舞台となります。祭礼に伴う櫓が建つ境内地は、伝統的な祭りの…
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- 美濃路 尾越の渡し

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- 岐阜・中濃
- ☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例街道(きちれいかいどう)」とも呼ばれ交通量も多く重要な脇街道です。
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