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- 史跡 西高木家陣屋跡

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- 西濃
- 近世陣屋として良好に残る石垣・墓所・地下機構・建造物などの現地遺構に加え、絵図類を含む膨大な量の古文書群が残り、近世幕藩領主の姿を豊富な資料によって現在に伝える全国的にも貴重な遺跡です。
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- 上石津郷土資料館

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- 西濃
- 国史跡の西高木家陣屋跡に建つ資料館。上石津で出土した石器、民俗資料、動植物の標本を展示するほか、「島津の退き口」の紹介もしています。
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- 旧森川訓行家住宅(丸森)

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- 東濃
- 旧森川訓行家住宅は、中山道大湫宿の北部に位置し、一族の中でも各々を区別するために「丸森」と呼ばれ、旅籠屋の他に尾州藩の許可を得て塩の専売も行い、繁盛を極めたとされています。建物は江戸時代末期の建築と推察され、江戸の町屋形式をそのまま有し、当時の旅籠…
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- 小里城跡

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- 東濃
- 土岐一族の支流である小里氏の居城で、岐阜県指定史跡。戦国時代末期には、小里光明らが織田信長の直臣として活躍しました。山頂部には小里城と安土城にしか見られない多角形の天守台があり「小里城は安土城を建てる前に試しに造られたのではないか」という興味深い説…
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- 興徳寺

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- 東濃
- 小里氏の菩提寺として創建された臨済宗寺院。岐阜県重要文化財である「源頼幸」の墨書名を有する菅公像(菅原道真像)を所蔵しています。
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- 明白寺五輪塔

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- 東濃
- 江戸時代に再興された黄檗宗寺院の境内に所在する瑞浪市内最大の五輪塔で、瑞浪市指定文化財です。鎌倉時代末期~南北朝時代の造立とみられ、一説には土岐頼基(土岐明智氏の祖)の墓とされています。
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- 薩摩池 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 島津義弘隊が布陣した際に軍用として使用した小さな池で、古来より水が枯れたことはないと言われています。関ケ原合戦の勝敗がついた後、島津隊は敵中突破の撤退にて、伊勢街道を走り抜けました。
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- 細川忠興陣跡

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- 西濃
- 父・幽斎(藤孝)とともに当代一流の文化人として知られ、千利休の高弟である「利休七哲」にも名を連ねました。豊臣恩顧の武将でしたが、石田三成とは仲が悪く、この関ケ原の合戦では最初から東軍として参戦しました。というのも、徳川家康が会津征伐のため大坂を留守…
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- 田中吉政陣跡

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- 西濃
- 「田中吉政陣跡」の碑は「徳川家康最後陣跡」のすぐ隣にあります。以前は、関ケ原字甲斐墓という場所にあり、現在の陣場野に移されたのは昭和62年のことでした。『関原合戦図志』によると、合戦時の田中隊のはっきりとした布陣地はわかっていないようですが、田中隊は…
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- 奥平貞治の墓

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- 西濃
- JR関ヶ原駅から北西へ約4km弱の場所に「奥平貞治の墓」があります。関ケ原の戦いで貞治は家康の意を受けて、西軍の裏切りを約束していた小早川秀秋隊の監視をしていました。秀秋の裏切りの後には軍の先頭に立って松尾山を攻め降り、大谷勢と奮戦し、玉村あたりで討ち…
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- 平塚為広碑

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- 西濃
- 平塚為広碑は「大谷吉継陣跡」の山を下りて道の東側にあります。関ケ原に隣接した美濃垂井(1万2千石)を治めていたこともあってか、合戦ではいち早く西軍として参戦しました。その背景には大谷吉継と為広が盟友であったという話もあるようで、合戦当日は大谷隊前方に…
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- 山内一豊陣跡

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- 西濃
- 旧中山道沿いにある「山内一豊陣跡」は、大きな松と山内家の三つ葉柏の軍旗が目印です。慶長5年(1600年)に徳川家康に従い会津の上杉景勝討伐の軍に参加した一豊は、関ケ原の戦いに際し、居城の掛川城を明け渡しての出陣となりました。岐阜・大垣の兵と戦い、野上に…
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- 藤堂高虎・京極高知陣跡

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- 西濃
- 現在のJR関ケ原駅から国道21号線を越えたところにある関ケ原中学校の敷地内に、藤堂高虎と京極高知は陣を構えたとされています。両隊は合戦時に福島正則隊に続いて東軍左翼縦隊の第2陣として進軍し、開戦後は不破関跡付近まで進撃して、大谷吉継の隊に属していた平塚…
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- 脇坂安治陣跡

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- 西濃
- 関ケ原の南方、現在の名神高速道路と黒血川との間、松尾山のふもとに「脇坂安治陣跡」はあります。脇坂安治は朽木元綱・小川祐忠・赤座直保とともに西軍として布陣しましたが、小早川秀秋隊が寝返ると4隊とも大谷隊へ攻撃をしかけ、最終的には東軍を勝利に導きました…
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- 本多忠勝陣跡

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- 西濃
- 徳川四天王である本多忠勝は、三方ヶ原・長篠の合戦等で数々の功を上げた猛将で勇猛なだけではなく知略も備えた名将でした。さらには、政治家としても力量を発揮し、特に人心掌握に努めて領民の敬愛を集めたといういわれもあります。その忠勝の陣跡は「十九女池」の西…
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- 開元院

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- 東濃
- 土岐頼元が創建したと伝わる曹洞宗寺院。本尊は、観音菩薩で土岐市の定林寺の本尊を移したと伝わっています。この本尊は、岐阜県の重要文化財となっています。
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- 鶴ヶ城跡

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- 東濃
- 明智光秀を輩出した土岐一族によって築城されたと伝わり、岐阜県指定史跡にも登録されています。天正10年(1582年)、織田勢の甲斐への侵攻(武田征伐)の際に信長とともに明智光秀も鶴ヶ城に立ち寄ったといわれています。鶴ヶ城は、武田氏に対する織田方の中心的な砦でし…
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- 土岐頼貞の墓

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- 東濃
- 南北朝時代に美濃国守護となった土岐頼貞とその一族の墓です。この辺りは、江戸時代には中島村と呼ばれ興禅寺(光善寺)跡とも言われています。墓所は道路によって東西に分断され、東側は五輪塔10基、西側には五輪塔5基と宝篋印塔4基があります。頼貞の墓には「暦二年…
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- 一日市場八幡神社

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- 東濃
- 土岐一族の始祖、源光衡が本拠となる館を構えた場所とされています。八幡神社の境内には、土岐一族であったとされる明智光秀の像が建てられています。
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- 土岐高山城跡

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- 東濃
- 鎌倉時代に高山伊賀守秀頼が築城したとされますが、詳細は不明です。戦国時代では、平井氏ー森氏の居城となり、関ケ原の合戦の際には西軍方の田丸直昌(岩村城主)の支城となっています。直昌は、東濃の戦い(関ケ原の合戦時に東濃地方で行われた一連の戦い)で妻木氏…
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