岐阜の
スポット・体験を探す
- 現在の検索条件
- 歴史を知る
- 美並ふるさと館

-
- 岐阜・中濃
- 円空の初期から晩年の作品約90体を展示し、円空上人の生涯をパネル等で展示しています。施設内では、生活資料館として美並町の昔の生活や風習を再現したもので、すべて手作りで作られています。
- more
- 大石まつり

-
- 西濃
- 毎年10月の第2日曜日に開催されます。秋葉神社や北部グラウンドでは約150発の花火が打ち上げられます。3.5mの竹竿の先に60cmほどの竹筒を取りつけ「立火棚」の上から打ち上げる伝承芸能「立火」も見ものです。
- more
- 松平忠吉・井伊直政陣跡

-
- 西濃
- 関ケ原の合戦で、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉(徳川家康の四男)に手柄を立てさせたい一心でした。東軍先鋒は、福島隊と決まっていましたが、午前8時頃に福島隊の先頭隊長の可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊…
- more
- 松尾山城跡・小早川秀秋陣跡

-
- 西濃
- 松尾山城は小早川秀秋が布陣した山城としても有名です。関ケ原の戦いにおいて、優柔不断の裏切り者と酷評されることが多い小早川秀秋ですが、実際には勇猛果敢で、領民からも慕われる統治手腕を持った有能な武将だったといいます。当時19歳という若さで1万5千の兵を従…
- more
- 長松城跡

-
- 西濃
- 大垣市荒崎小学校付近が、竹中半兵衛の同族 竹中一族ゆかりの城「長松城」の跡と考えられており「長松城址」の標石が立てられています。ここは同城堀のうちの一部であり、古城図を見ると旧長松村の集落全体が、城郭の形を成しています。その城郭を囲むように曲がり角…
- more
- 竹ヶ鼻城跡

-
- 岐阜・中濃
- 羽島市歴史民俗資料館(竹鼻別院前)の敷地内に竹ヶ鼻城跡の石標は立っています。応仁年間に武腰伊豆守が竹ヶ鼻城を築城したと云われています。その後、不破源六広綱が城主時代に、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による「水攻め」があったことで知られてます。竹ヶ鼻城跡の…
- more
- 夕田茶臼山古墳

-
- 岐阜・中濃
- 丘陵の上にある全長33mの前方後円墳で、3世紀中頃、弥生時代と古墳時代のはざまの前方後円墳です。県下最古級の遺跡といわれ、早い段階で権力を持つ有力者が古墳のある夕田付近に誕生していたことがうかがえます。 町指定史跡となっています。
- more
- 新加納陣屋

-
- 岐阜・中濃
- 慶長五年(1600)八月、関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城の戦いの前に、木曽川を渡って岐阜城の攻略を目指していた東軍の池田輝政と、新加納において待ち構えていた西軍の岐阜城主織田秀信の軍勢との戦いがありました。新加納には西軍によって砦が築かれており、秀信…
- more
- 醫王山 飛騨国分寺

-
- 飛騨
- 1250年の昔、聖武天皇の勅願によって建立。草建は天平18年。開基は行基菩薩。当時建てられた七重大塔の巨大な礎石が残っています。本堂は室町時代の建築。樹齢1250年以上といわれる大イチョウ、飛騨地方唯一の三重塔、本尊には薬師如来坐像等が安置されてます。
- more
- 垂井一里塚・茶所

-
- 西濃
- 垂井一里塚・・・徳川家康は、街道整備のため慶長九(1604)年に主要街道に一里塚の設置を命じた。国の史跡に指定された一里塚は、中山道では垂井一里塚と東京都板橋区志村の一里塚の2ケ所だけ、交通史上重要な遺跡となっている。日守の茶所・・・江戸末期、岩手の美…
- more
- 栗原九十九坊跡(長宗我部盛親陣跡)

-
- 西濃
- 栗原九十九坊跡は、栗原山の山頂部から東山麓に広がる大規模な寺院群です。栗原九十九坊跡との関係が想定される清水寺跡に近接しています。長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとな…
- more
- 吉川広家陣跡

-
- 西濃
- 毛利軍(毛利秀元)の西軍参加に一族最年長として反対し続け、家康と密かに通じた上で南宮山に布陣する。
- more
- 朝倉山真禅院

-
- 西濃
- 739年創建の天台宗の古刹。三重塔や県下最古といわれる梵鐘など国指定重要文化財を所有。緩やかな石段が続く表参道を上がれば、紅葉の境内から、垂井の町並みが一望できます。
- more
- 十五社神社

-
- 岐阜・中濃
- 平安時代に創建された神社で、土岐氏が氏神として崇敬していました。天文9年(1540)に土岐氏が奉納した越前産笏谷石製の狛犬一対が現存しています。当時の朝倉氏は笏谷石を越前国外にほとんど持ち出さなかったことが分かっており、土岐氏と朝倉氏の深い関係が想像さ…
- more
- 北天満山・小西行長陣跡

-
- 西濃
- 小西行長は約6000名の兵を率いて西軍につき、北国街道と東山道(中山道)の間に位置する北天満山に布陣し、合戦開始とともに烽火をあげて味方に合戦の合図をしました。西軍諸隊が総崩れした後は揖斐川町方面へ敗走しましたが、その後自首し、京都で石田三成らとともに…
- more
- 美濃路 大浦(三ツ屋)の道標

-
- 岐阜・中濃
- 「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例(きちれい)街道」とも呼ばれ交通量も多く重要な脇街道です。
- more
- 今尾城跡

-
- 西濃
- 東軍 市橋長勝の居城。長勝は、福束城の戦いで奇計をめぐらし、東軍を勝利に導きました。今尾小学校のあたりが本丸跡で、校内に石碑と案内板があります。南美濃の戦いでは、松ノ木城主・徳永寿昌と共に福束城(城主 丸茂兼利)を落城させます。今尾藩初代当主の竹腰…
- more
- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

-
- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、叔父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚(薩摩塚)と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり…
- more
- 池田輝政 鎧かけ松・八剣神社

-
- 岐阜・中濃
- 1600年(慶長5年)8月22日、米野の戦い(関ヶ原の合戦の前哨戦の一つ)を終えた池田輝政の軍勢が、岐阜城攻防戦(関ヶ原の合戦の前哨戦の一つ)へと向かう途中に休息をとった場所が八剣神社です。池田輝政が、松に鎧を掛けて休んだことから「鎧かけ松」と言われていま…
- more
- 飛騨 荘川の里

-
- 飛騨
- 古くから荘川に伝承されてきた民家を移築保存されているのが「飛騨荘川の里」です。荘川村の伝統家屋「寄棟式入母屋合掌造り」と言われる建造物で、清く住んだ庄川の流れとともに、昔と変わらない姿の合掌屋根が雄壮な面影をおとしています。貴重な民俗資料も保存され…
- more
