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- 大桑城へ はじかみコース(はじかみ林道登山口)

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- 岐阜・中濃
- はじかみ林道の峠にある登山口より古城山を登るコースの入口です。ルートの大半は緩やかで、距離も長くならないことから、古城山山頂からの雄大な眺めを楽しみたい方にお勧めです。山頂までの距離:約750m山頂までの時間:約20分~30分は必要登山口には、お手洗いはあ…
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- 城跡公園(太鼓櫓・下田歌子勉学所・知新館)

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- 東濃
- 岩村城跡の山麓の武家屋敷地約2haを利用し、歴史資料館、太鼓櫓、下田歌子勉学所、遊歩道を整備。自然をそのまま生かし、町民や観光客の皆さんに親しんでいただける公園です。【太鼓櫓】 江戸時代初期、時の藩主松平家乗(まつだいらいえのり)が、平和な時代になり…
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- 中山道 伏見宿

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- 岐阜・中濃
- 伏見宿は元禄7年(1694年)土田宿の廃止に伴い整備された新宿です。木曽川の水運を利用した新村湊に近く、多くの物資の行交いとともに賑わいを見せていました。中山道ゆったり伏見宿は、宿内にある旧伏見郵便局舎を活用した観光案内所です。休憩所としても利用され、…
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- 羽島市歴史民俗資料館・映画資料館

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- 岐阜・中濃
- 羽島市の歴史や民俗芸能に触れることができる歴史民俗資料館と、公立としては大変珍しい映画資料館が併設されています。円空、佐吉仏、竹鼻まつり、平方勢獅子などの羽島の文化にも触れることができます。 映画資料館では、昔懐かしい映写機で懐かしの映画が、事…
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- 瑞林寺

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- 岐阜・中濃
- 地元特産の蜂屋柿を室町幕府10代将軍足利義稙に献上して与えられた「柿寺」の称号で呼ばれる名刹。総高481cmの木造弥勒仏坐像(蜂屋大仏)をはじめ、県や市の文化財が多くあります。また「徳川家康への干し柿の献上」が記された由緒書が数種あり、「関ヶ原の合戦直前…
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- 卜全塚(氏家卜全の墓)【海津市】

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- 西濃
- 氏家卜全は、戦国末期の大垣城主で織田信長に仕えており、当時西美濃三人衆といわれた実力者の一人でした。元亀元(1570)年、伊勢長島で勢力を誇っていた願証寺の門徒六万余は織田信長に反抗していた石山本願寺の寺に応じ尾張に攻め込んで織田信興(信長の弟)を…
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- 本多忠勝陣跡

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- 西濃
- 徳川四天王である本多忠勝は、三方ヶ原・長篠の合戦等で数々の功を上げた猛将で勇猛なだけではなく知略も備えた名将でした。さらには、政治家としても力量を発揮し、特に人心掌握に努めて領民の敬愛を集めたといういわれもあります。その忠勝の陣跡は「十九女池」の西…
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- 大正時代館

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- 東濃
- 大正時代の象徴「大正天皇」に関する展示や当時の標準的な家庭を様々な生活道具によって再現した生活情景展示の他に、年数回の企画展示が行われます。 当時の暮らしぶりなどをテーマに1階には新聞やレトロなポスターなどが展示されています。当時のポスターはア…
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- 美濃路 大浦(三ツ屋)の道標

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- 岐阜・中濃
- 「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例(きちれい)街道」とも呼ばれ交通量も多く重要な脇街道です。
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- 合渡川の戦い跡

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- 岐阜・中濃
- 米野の戦いの敗報を聞いた石田三成は、岐阜城の後詰として合渡川(長良川)右岸の河渡に「重臣 舞兵庫(まいひょうご)」を派遣。慶長5年(1600年)8月23日、黒田長政・田中吉政・藤堂高虎ら東軍は、合渡川を渡河して西軍を攻撃、不意をつかれた西軍は敗走し大垣城に…
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- 旧小松屋吉田家住宅

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- 岐阜・中濃
- 江戸時代に旅籠を営んでいた建物を、そのまま活用した太田宿のお休み処です。近世町屋建築の落ち着いた雰囲気の中で畳の上でおくつろぎください。美濃加茂市出身の文学者・坪内逍遥ほかの資料展示もあります。
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- 旧三宅家

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- 東濃
- 現在、残っている建物は母屋だけであるが、近世中期の民家の特徴である鳥居建ての形式が残っています。大正ロマン館から「光秀公学問所・天神神社」、「明知(白鷹)城」へ向かう途中にあります。
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- 宇喜多秀家ゆかりの地

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- 西濃
- 1600年(慶長5)関ヶ原合戦に敗れた宇喜多秀家は、白樫村(現在の揖斐川町白樫)の矢野五右衛門に助けられ、この地に匿居したとされています。
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- 中山道御嶽宿 商家竹屋

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- 岐阜・中濃
- 江戸時代の主要街道「中山道」の宿場町、「御嶽宿」のなかに位置する「中山道御嶽宿商家竹屋」。主屋は明治10年(1877年)頃の建築と推定され、街道を人や物資が往来し、大きく賑わいをみせていた頃からの豪商として、宿場内での役割を果たしてきました。そのたたずまい…
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- 小里城跡

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- 東濃
- 土岐一族の支流である小里氏の居城で、岐阜県指定史跡。戦国時代末期には、小里光明らが織田信長の直臣として活躍しました。山頂部には小里城と安土城にしか見られない多角形の天守台があり「小里城は安土城を建てる前に試しに造られたのではないか」という興味深い説…
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- 細川忠興陣跡

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- 西濃
- 父・幽斎(藤孝)とともに当代一流の文化人として知られ、千利休の高弟である「利休七哲」にも名を連ねました。豊臣恩顧の武将でしたが、石田三成とは仲が悪く、この関ケ原の合戦では最初から東軍として参戦しました。というのも、徳川家康が会津征伐のため大坂を留守…
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- 樫原城跡 津島神社

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- 西濃
- 樫原城跡は、令和2年1月の調査で「戦国時代後半の山城」と確認されました。地域に伝わる古い記録には、「永禄のころ、秀吉の長島攻めのとき、樫原に陣を置いた。永禄の頃、三輪三人衆の一人、佐渡が樫原に住んだ。」と書かれています。「明智氏一族宮城家相伝図書」(…
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- 福束城の戦い跡

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- 西濃
- 南濃を平定するため「関ケ原の合戦」の約1か月前 慶長5年(1600年)8月16日に「関ケ原の合戦 最初の前哨戦」がありました。福束城の戦いは、東軍 福島正則が再三の誘いをしりぞけて西軍に加わった「丸茂兼利」の居城であり舟運の要衝「福束城」を今尾城主 市橋長勝…
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- 烏頭坂 島津豊久碑 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦終盤、陣から敵中突破を図り、徳川家康の本陣をかすめて伊勢街道へ進んだ島津隊。東軍の追撃は、激しく先手を務めていた島津豊久公が殿(しんがり)にまわり、烏頭坂で井伊直政・松平忠吉らを迎え撃ちました。豊久公は重傷を負いましたが、伊勢街道(伊勢…
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- 祐泉寺

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- 岐阜・中濃
- 500年の歴史を持つ臨済宗の古刹。槍ヶ岳を開山した播隆上人や日本ラインの命名者でもある志賀重昂の墓碑があるほか松尾芭蕉の句碑、坪内逍遥の歌碑、北原白秋の歌碑など様々な碑が建ち並んでいます。
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