岐阜の
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- 歴史を知る
- 富加町郷土資料館
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- 岐阜・中濃
- 現存する日本最古の戸籍の故地として注目されている。奈良東大寺正倉院には12通の古代戸籍が残り、中でも大寶貳年御野國半布里戸籍は54戸1119人の氏名、続柄等が書かれ、ほぼ完璧な形で残っています。そのレプリカを展示、発掘出土品、古民具、農機具等が展示…
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- 福束城の戦い跡
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- 西濃
- 南濃を平定するため「関ケ原の合戦」の約1か月前 慶長5年(1600年)8月16日に「関ケ原の合戦 最初の前哨戦」がありました。福束城の戦いは、東軍 福島正則が再三の誘いをしりぞけて西軍に加わった「丸茂兼利」の居城であり舟運の要衝「福束城」を今尾城主 市橋長勝…
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- 中山道みたけ館
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- 岐阜・中濃
- 中山道に関する資料を豊富にそろえた郷土館と図書館の複合施設。なかでも郷土館では、日本最古の象が闊歩した1800万年前から、中山道と宿場の隆盛、隠れキリシタンの歴史など…御嵩町の歴史と文化を感じてみてください。
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- 兜塚
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- 西濃
- 野一色助義(通称:野一色頼母(のいっしきたのも))は、近江国の出身で豊臣三中老の一人「中村一氏」公の家老として8千石で仕えた人物です。関ケ原の合戦の時、「中村一氏」は、東軍に属しますが、関ケ原の合戦直前の7月に亡くなったため弟「中村一栄」と共に出陣…
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- 中山道と美濃路 垂井追分道標
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- 西濃
- 宝永6(1709)年に建てられた追分の道標は、「中山道」と「美濃路」の大切な分岐点。中山道250余りの道標中、七番目に古いものです。☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路とし…
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- 十一面観世音菩薩立像(別府観音堂)
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- 岐阜・中濃
- 別府観音堂に安置されている通称「別府観音」とよばれる観音像は、谷汲山の観音像と同作等身の像で、 古来より兄弟の霊像であると伝えられています。像高182.4cm・台座の高さ9.0cmの桧材一木造彫眼で衣文の彫り、裳の折り返し、裾など穏やかで丸みをおび、 温和で均整…
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- 池田恒興・元助父子の墓
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- 西濃
- 織田信長の乳兄弟であった池田恒興は、信長の死後大垣城主となった武将。清須会議四宿老のひとりとしても著名です。子の輝政は父の後を継ぎ、大垣城主を経て、後に姫路城主となりますが、父子は長久手の合戦で戦死し、池田町に葬られました。池田のお茶は、そんな池田…
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- 日和田高原石仏めぐり2023
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- 飛騨
- 飛騨と木曽の中間地点である、高根町日和田。2つの地域が融合したような独特な文化を持つこの地には、たくさんの石仏、史跡があり、そのひとつひとつに歴史と物語が秘められています。木曽馬が多く行き交った旧鎌倉街道沿いを始めとして6つのエリアに点在し、約2時間…
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- 平塚為広碑
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- 西濃
- 関ケ原の隣、岐阜県垂井町(一万二千石)を治めていた平塚為広は、関ケ原の合戦時、いち早くこの地へ入り、西軍として参戦します。病身を押して戦った大谷吉継と盟友関係だったこともあり、吉継に代わって大谷隊と平塚隊の両軍を指揮していたとも伝えられています。<…
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- 大谷吉継の墓・湯淺五助の墓
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- 西濃
- 石田三成の盟友だった大谷吉継は、病身を押して関ケ原の合戦に参戦し、三成への『義』を貫きます。当初から疑っていた小早川隊の裏切りにも動じず応戦しますが、配下の脇坂隊ら4隊までが攻撃をしかけてくると軍は混乱、吉継は自害してしまいました。尚、垂井町ゆかり…
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- 桜洞城
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- 飛騨
- 桜洞城は、戦国時代に益田一帯を制して、勢力を振るった三木氏の居城があったところ。三木氏が飛騨全域を統一して、高山盆地に城を築いてからは、ここを冬の宿地としたことから、「冬城」の名でも知られている。発掘調査の結果、城内の規模は南北約147m、東西約97m…
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- 承久の乱古戦場跡 大井戸渡
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- 岐阜・中濃
- 承久3年(1221年)6月5日、鎌倉幕府軍 武田信光・小笠原長清らが大井戸(可児市土田)を渡り戦いが始まりました。夕刻、渡河攻撃を仕掛け、朝廷側 大内惟信ら2000余騎は奮闘しましたが大井戸から敗走し幕府側が勝利を収めました。翌6月6日には、まめど(現、各務原市…
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- 小原城址
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- 岐阜・中濃
- 小原集落の中央部にある白山神社の奥山一帯に城の遺構が残っています。城の規模は小規模で、小倉の姓を名乗る一族が城主であったと伝えられています。普段は神社西側の小倉屋敷(跡)で生活をし、有事のときのみ城を利用していた言われています。現在でも曲輪、堅堀、…
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- 瑞林寺
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- 岐阜・中濃
- 地元特産の蜂屋柿を室町幕府10代将軍足利義稙に献上して与えられた「柿寺」の称号で呼ばれる名刹。総高481cmの木造弥勒仏坐像(蜂屋大仏)をはじめ、県や市の文化財が多くあります。1月には、堂上蜂屋柿茶会が開かれます。また「徳川家康への干し柿の献上」が記された…
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- 白山文化博物館
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- 岐阜・中濃
- 「白山文化の里」のシンボル施設として、霊峰白山をイメージした外観の「白山文化博物館」。「道の駅白鳥」に隣接し、内部は白山に関する文化を写真・映像で紹介するテーマ展示や各地の史跡施設を紹介、国の重要文化財も展示しています。
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- 吉川広家陣跡
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- 西濃
- 毛利軍(毛利秀元)の西軍参加に一族最年長として反対し続け、家康と密かに通じた上で南宮山に布陣する。
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- 安藤守就戦死の地
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- 岐阜・中濃
- 本能寺の変、信長の死後、旧領地を取り戻すため安東(安藤)守就親子は挙兵し北方城を奪い再起を試みたが、新領主の西美濃三人衆のもう一人、稲葉一鉄(良通)に攻められ討死しました。この戦いを北方合戦と言います。(北方城はそのまま廃城となりました。)安藤守就…
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- 稲葉一鉄の墓・月桂院
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- 西濃
- 稲葉一鉄(「頑固一徹」という言葉の語源である説が有力)は、土岐家、斉藤家、織田家、豊臣家に仕えた。美濃国曽根城主。安藤守就、氏家直元と併せて「西美濃三人衆」と称され、特に稲葉一鉄(良通)は、三人衆筆頭とされた。大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場。揖斐…
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- 一呑の清水
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- 東濃
- 街道を旅する人々の喉を潤した清水です。岐阜県の名水50選にもなっており、皇女和宮が降嫁される際に好んで飲んだといわれています。水飲み場が人間用、馬牛用と2つに分かれており、当時荷を引くための馬や牛がいかに重宝されていたかがうかがえます。
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- 大谷吉継陣跡
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- 西濃
- 「大谷吉継陣跡」は、山中(やまなか)の「大谷吉継の墓」から少し下った場所にあり、ひっそりと碑が建っています。大谷隊は、関ケ原の合戦が始まる十日程前に「若宮八幡宮」上の急斜面に陣を作り始めました。この陣は、空堀を左右に巡らせ、山中城と呼ばれるほどの要害の地で…
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