東西の境目はどこ?伊吹山から関ケ原へ、境界をたどる日帰り旅
- 長月あき

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その中でも、古くから東西交通の要衝として知られてきたのが岐阜県西部の関ケ原。岐阜県と滋賀県の県境に位置し、美濃と近江の旧国境でもあるこの地域には、古代の関所「不破関」が置かれ、東西を行き交う人々の往来を見守ってきました。
今回は、夏のドライブにもおすすめの伊吹山から関ケ原へ。県境や旧国境、古代の関所、そして東西文化の境界をたどりながら、この地域に残るさまざまな「境目」をめぐる日帰り旅に出かけました。

伊吹山から見えてくる、東と西をつなぐ風景
まずは、日本百名山のひとつとして知られる伊吹山へ向かいます。
岐阜県と滋賀県の県境に位置する伊吹山は、伊吹山ドライブウェイを利用すれば9合目の駐車場まで車でアクセスできます。そこから山頂までは約20〜40分ほどのハイキング。登山と聞くと少し身構えてしまいますが、ドライブウェイのおかげで気軽に山頂の絶景を楽しめる人気スポットです。登山経験がなく、体力にそれほど自信がない私でも、この雄大な自然を満喫できるのがうれしいところです。
伊吹山ドライブウェイの入口は岐阜県関ケ原町にあります。そこから県境付近を縫うように山を登り、約30〜40分で山頂駐車場へ。道中では「岐阜県」「滋賀県」の標識が何度も現れ、県境の山を走っていることを実感させてくれます。
中央登山道コース
伊吹山は四季折々に美しい表情を見せますが、特におすすめなのが夏。高山植物が咲き誇り、平地よりも涼しい風が吹き抜けるこの時期は、避暑をかねて伊吹山を訪れるのに絶好の季節です。
山頂駐車場から山頂へは、約20分で登れる中央登山道コースと、緩やかな傾斜が続く約40分の西登山道コースの2ルートがあります。どちらも高山植物や眺望を楽しめますが、今回はのんびり景色を味わいながら歩ける西登山道コースを選びました。
足元に咲く花々や、登山道からの絶景を眺めながら、ゆっくり山頂へ向かいます。
山頂広場からは、琵琶湖方面から濃尾平野まで見渡せる大パノラマが広がります。岐阜と滋賀、ふたつの県にまたがる伊吹山ならではの眺めです。
眼下に広がる景色を眺めていると、自分が今まさに県境の山に立っていることを実感します。今回の旅で追いかける「境界」を、まずはこの山頂から眺めることができました。

山頂散策を楽しんだあとは、階段状の中央登山道コースを通って山頂駐車場へ戻ります。目の前に広がる爽快な景色を眺めながら歩けば、約15分ほどで到着。
もっと伊吹山の自然を満喫したい方には、下り専用の東登山道コースを利用することもできます。こちらは約1時間のルートです。
スカイテラス伊吹山でも境界を感じる
散策後は、山頂駐車場にあるスカイテラス伊吹山でひと休み。
飲食コーナーでは、うどん、そば、カレーなどの軽食を食べることができます。うどん・そばの出汁は「東味」と「西味」から選べるのが、面白いところ。西味は昆布の旨みを生かした薄口醤油仕立て、東味は鰹節の風味がきいた関東風。日本の東西の境目ともいわれる伊吹山ならではのメニューです。

今回選んだのは東味のコロッケうどん。トッピングのコロッケも東西で異なり、東味には飛騨牛コロッケ、西味には近江牛コロッケが添えられています。
ショッピングエリアに目を向ければ、岐阜県と滋賀県、それぞれのおみやげがずらり。県境の山だからこそ見られる光景です。

伊吹山麓産のよもぎを使用した、風味豊かな「よもぎソフト」もおすすめです。爽やかな風に吹かれながら、眼下に広がる景色を眺めて味わうソフトクリームは格別のおいしさ。山歩きの疲れも忘れてしまう、ちょっとしたご褒美気分です。
県境の伝説が残る「寝物語の里」
伊吹山をあとにし、伊吹山ドライブウェイの出口から車で約15分、岐阜県と滋賀県の県境にある寝物語の里へ。
中山道沿いにあるこの場所は、小さな溝を境に岐阜県と滋賀県に分かれています。この溝は、かつての美濃国と近江国の国境でもありました。
「寝物語の里」という名前は、この溝を挟んで建っていた二軒の旅籠に由来します。旅人たちは、それぞれの旅籠に泊まりながらも、壁越しに寝たまま話ができたと伝えられており、その逸話から「寝物語」の名が付けられたのだとか。
現在は石碑が建つのみの静かな場所ですが、目の前の小さな溝が岐阜県と滋賀県を分ける県境になっています。ほんの一歩で県をまたぐことができるとあって、つい何度も行き来してしまいました。
古代の人々が定めた東西の関門「不破関」
寝物語の里から車で10分弱、不破関(ふわのせき)跡へ向かいます。
伊吹山や寝物語の里では、現在の県境やかつての国境を目にしてきましたが、この地域は古代から特別な「境界」の地でもありました。
不破関は、672年の壬申の乱の後、大海人皇子(後の天武天皇)によって、畿内を守るために設けられた関所です。越前国(現在の福井県敦賀市)の愛発関(あらちのせき)、伊勢国(現在の三重県亀山市)の鈴鹿関(すずかのせき)とともに日本三関のひとつに数えられます。
「関東」という言葉は、これらの関所の東側を指す言葉として使われるようになったと言われています。現在では当たり前に使っている言葉ですが、そのルーツのひとつが関ケ原にあると考えると興味深いものです。
現在、関所の建物は残っていませんが、周辺には不破関跡や壬申の乱ゆかりの史跡が点在しています。静寂に包まれたのどかな風景のなかを歩いていると、かつてこの地で大きな戦が繰り広げられ、さらに東国と西国を結ぶ重要な関門だったとは、にわかには想像がつきません。
関所跡のすぐ近くにある不破関資料館では、不破関の歴史や発掘調査の成果を知ることができます。
こじんまりとした資料館ですが、展示を見ていると、関ケ原が単なる県境ではなく、古代から東西を結ぶ要衝だったことがよく分かります。
面白いのが、関ケ原町が実施した「東西文化の調査」結果の展示です。食文化や言葉、暮らしの習慣などを比較すると、関ケ原周辺がさまざまな文化の境界になっていることが見えてきます。
関ヶ原は、今もなお東と西の文化が交わる場所なのです。
東西の決戦地・関ケ原古戦場へ
最後は、不破関資料館から車でおよそ5分の岐阜関ケ原古戦場記念館へ。
岐阜関ケ原古戦場記念館は、1600年に起こった「関ケ原の戦い」を最新の映像技術や体験型展示で学べる歴史博物館です。迫力あるシアター映像や床面スクリーンによる演出で合戦の臨場感を味わえるほか、武具に触れる体験コーナー、関ケ原を一望できる展望室もあり、大人から子どもまで楽しみながら歴史を学ぶことができるようになっています。
関ケ原の戦いは、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突した「天下分け目の決戦」として知られています。わずか半日ほどの戦いでありながら、その後の日本の歴史を大きく左右した戦いとして、今も多くの人々を惹きつけています。
不破関が置かれた壬申の乱からおよそ900年後、この地では再び日本の行方を左右する大きな戦いが繰り広げられました。時代も背景も異なりますが、関ケ原が再び歴史の大きな転換点の舞台となったことは、この土地が日本史の節目と深く関わってきたことを思わせます。

5階の展望室は360度ガラス張りになっており、関ケ原古戦場を一望できます。眼下に広がる地形や各武将の布陣を見渡していると、東軍と西軍がどのように向かい合っていたのかがよく分かります。伊吹山の県境、寝物語の里の旧国境、不破関と巡ってきたあとでここに立つと、この場所で東軍と西軍が激突したという事実にも、どこか特別な意味が感じられます。 関ケ原は古くから東と西が出会い、行き交ってきた土地でした。

2階の戦国体験コーナーの一角には、合戦に関する展示だけでなく、関ケ原町が実施した「東西文化の調査」結果も紹介されています。
展示では、お雑煮の餅の形や肉じゃがに使う肉、ところてんの食べ方、ひなあられの味や、線香花火の形状など、東日本と西日本で異なるさまざまな文化が取り上げられています。そして、それぞれの文化について、 関ケ原周辺が東西どちらに属するのかも分かりやすく紹介されています。
普段はあまり意識しない文化の違いですが、こうして並べてみると意外な発見があります。東西文化の境界は一本の線で区切れるものではなく、項目によって少しずつ異なっています。 それでもいくつもの文化の境界が関ケ原周辺を通っていることが見えてきます。 県境や旧国境だけでなく、食文化や暮らしの習慣にも東西の境目が残っていることを知ると、この地域が古くから東と西の接点だったことを改めて実感します。
おわりに
伊吹山の県境から始まり、寝物語の里の旧国境、不破関、そして東西文化の境界へ。
関ケ原を巡ってみると、「東西の境目」はひとつではなく、この地域にさまざまな「境界」が重なり合っていることに気づかされます。
それぞれのスポット間は車で15分もかからない場所なので、一か所ずつゆっくり回っても、日帰りで十分楽しめます。
ぜひ、伊吹山から関ケ原へ。
岐阜県西部に残るさまざまな「境界」をたどりながら、関ケ原の新たな魅力を探してみてくださいね。






































