岐阜の
スポット・体験を探す
- 現在の検索条件
- 歴史を知る
- いわむら美術の舘(旧柴田家)

-
- 東濃
- 柴田家住宅は明治時代の典型的な建造物で、設備工事によって平成15年にいわむら美術の館としてオープンしました。絵画を中心に展示され、建物とともに見学できます。二階には岩村ゆかりの画家、原田芳洲の作品が展示されています。岩村城下町に訪れた際には、是非足…
- more
- 土佐屋

-
- 東濃
- 土佐屋は、今から約260年前に染物業を営んでいた商家で、建物自体は平成8年より復元工事が行われ、平成11年4月に「工芸の館」土佐屋としてオープンしました。当時の藍染めの工程を学ぶことができる染工場や、土佐屋の歴史をおさめた土蔵の展示室、庭の天正疎水などは…
- more
- すわがね(鶴岡山)

-
- 東濃
- 「すわがね」は、鶴岡山の山頂732メートルに位置し、かつて織田信長軍の諏訪ヶ峯陣城があった場所です。空気が澄んだ日には、山頂から愛知県吉良の海が見えることから、明智町吉良見地区の語源にもなっています。近年は人が近寄らず荒れ果ててしまっていましたが、地…
- more
- 南宮大社 花手水 花手水呈茶席

-
- 西濃
- 岐阜県不破郡垂井町にある南宮大社は美濃國一宮として古く神話の時代、伊耶那美命(いざなみのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)をお生みになられた際にお生まれになられた鉄鉱・鉱山を司る金山彦大神を主祭神として、現在でも南宮大社は金属の総本宮として全…
- more
- 笠松町歴史未来館

-
- 岐阜・中濃
- 笠松町は古くから木曽川の水運に恵まれた交通、経済の要衝として発展し美濃郡代笠松陣屋・県庁などが置かれ本県政治発祥の地として栄えました。その当時の県庁跡や商家の帳場などを提示しています。平成27年6月6日のリニューアルオープン後は、航空宇宙や医療関連の情…
- more
- 松倉城跡(国指定史跡)

-
- 飛騨
- 松倉城とは飛騨地方南部を支配した三木氏の城で、豊臣秀吉の命を受けた金森氏が侵攻し、その後破城が行われたとされています。本丸・二ノ丸・三ノ丸の城中枢部を総石垣造りとしており、本丸の中心部には穴蔵状に石垣が囲んでいます。発掘調査によって、本丸内部の構造…
- more
- 織部展示館

-
- 岐阜・中濃
- 美濃国山口・現在の本巣市山口に生まれた古田織部は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武人。茶の世界に興味を持つようになったのは、信長の美意識や茶の湯を政治に利用する姿を目にし、茶の湯の持つ力の大きさを痛感したからといわれている。千利休の愛弟子とな…
- more
- 米野の戦い跡

-
- 岐阜・中濃
- 慶長5年(1600年)、池田輝政を中心とした東軍1万8千に対し、西軍3千のみの布陣。河田木曽川渡河の戦いの後、東軍は木曽川を渡り米野に上陸し西軍と激突しました。 戦いは、東軍大勝利に終わりました。これを米野の戦いといいます。 池田勢の一番槍の手柄を…
- more
- 今城跡

-
- 岐阜・中濃
- 天文年間(1532~55)に小池刑部家継が築き、永禄年間に入り、美濃金山城に森長可が入城した後、小池氏は帰納し今城は使われなくなったと伝わります。横堀や喰い違い虎口といった複雑な構造を有し、大森城と構造的に類似しています。
- more
- 安藤守就戦死の地

-
- 岐阜・中濃
- 本能寺の変、信長の死後、旧領地を取り戻すため安東(安藤)守就親子は挙兵し北方城を奪い再起を試みたが、新領主の西美濃三人衆のもう一人、稲葉一鉄(良通)に攻められ討死しました。この戦いを北方合戦と言います。(北方城はそのまま廃城となりました。)安藤守就…
- more
- 稲葉一鉄の墓・月桂院

-
- 西濃
- 稲葉一鉄(「頑固一徹」という言葉の語源である説が有力)は、土岐家、斉藤家、織田家、豊臣家に仕えた。美濃国曽根城主。安藤守就、氏家直元と併せて「西美濃三人衆」と称され、特に稲葉一鉄(良通)は、三人衆筆頭とされた。大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場。揖斐…
- more
- 於牧の方の墓所

-
- 東濃
- ここは、戦国武将・明智光秀公のご母堂 於牧の方(おまきのかた) の墓所です。天正三年、明智光秀は信長の命により丹波八上城を包囲しました。しかし城は容易に落ちず、やむなく和睦の交渉にあたり、母・於牧の方を人質として差し出しました。ところが、信長は光秀と…
- more
- 中馬街道 うかれ横丁

-
- 東濃
- この路地は、中馬街道の一部で、生糸生産がさかんな頃は、旅人や馬子を相手に酒やうどんを売る店が並んでいました。昔懐かしい面影を残す通りです。道路を跨ぐ渡り廊下のある家もあります。うかれ横丁は、「 受験に受かれ!」の言い伝えがあり受験生にお勧めだそうで…
- more
- 宗猷寺

-
- 飛騨
- 1632年(寛永9)金森三代重頼(しげより)と重勝(しげかつ)*の兄弟が父金森可重(ありしげ)の菩提を弔うために建立し、境内は鐘堂、本堂、観音堂、庭園などからなっている。また、幕末から明治時代の幕臣山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)が1845年(弘化2年)、幕府…
- more
- 東山白山神社

-
- 飛騨
- 養老2年(718年)現安川通りに鎮座され、高山郷最古の氏神様として尊崇されましたが、天正14年(1585年)飛騨を領国した金森氏が城下町を経営するにあたり現在地に奉還されました。例祭には祭屋台と八角神輿が曳きだされます。神楽台毎年5月5日の例祭に引き出される祭…
- more
- 垂井一里塚・茶所

-
- 西濃
- 垂井一里塚・・・徳川家康は、街道整備のため慶長九(1604)年に主要街道に一里塚の設置を命じた。国の史跡に指定された一里塚は、中山道では垂井一里塚と東京都板橋区志村の一里塚の2ケ所だけ、交通史上重要な遺跡となっている。日守の茶所・・・江戸末期、岩手の美…
- more
- 山内一豊陣跡

-
- 西濃
- 旧中山道沿いにある「山内一豊陣跡」は、大きな松と山内家の三つ葉柏の軍旗が目印です。慶長5年(1600年)に徳川家康に従い会津の上杉景勝討伐の軍に参加した一豊は、関ケ原の戦いに際し、居城の掛川城を明け渡しての出陣となりました。岐阜・大垣の兵と戦い、野上に…
- more
- 開元院

-
- 東濃
- 土岐頼元が創建したと伝わる曹洞宗寺院。本尊は、観音菩薩で土岐市の定林寺の本尊を移したと伝わっています。この本尊は、岐阜県の重要文化財となっています。
- more
- 金屋川原の合戦址 須賀神社・正覚寺

-
- 西濃
- 西軍として南宮山後方に布陣していた長宗我部盛親は、関ケ原の合戦での味方の敗走を知り、戦わずして戦線離脱を図りました。伊勢方面へ抜けようと南へ進んだ毛利秀元・長曽我部盛親・長塚正家らは、養老町金屋付近で、遅れて関ケ原を目指していた東軍・松の木城主&nbs…
- more
- 夜叉堂 夜叉ヶ池伝説ゆかりの地

-
- 西濃
- 夜叉ヶ池伝説ゆかりの夜叉堂には、早咲きの「河津桜」約20本が植えられています。見ごろは3月上旬から中旬で、濃いピンク色の花が鮮やかに咲き誇ります。夜叉堂には、日照りのために干上がった田畑を潤し住民を救った夜叉姫とその父親である安八太夫が祀られています。
- more
