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- 気多若宮神社

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- 飛騨
- 古川町の市街地を見下ろす気多若宮神社は、その市街地一帯を氏子にもつ神社で特別金弊社として広く一般の崇敬を集めている。ユネスコ無形文化遺産に登録された古川祭(毎年4月19・20日)はこの神社の例祭として行なわれている祭である。参道の石段をのぼりきると…
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- 南天満山・宇喜多秀家陣跡

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- 西濃
- 杉の木立がうっそうとした南天満山の麓に天満神社があります。関ケ原合戦時には、この付近に兵約1万7千という西軍の主力部隊を布陣し、副総帥として参戦した宇喜多秀家。開戦の烽火と共に東軍・福島隊に攻め込まれた史実から、この辺りは大変に激しい戦いが繰り広げら…
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- 地歌舞伎公演(中津川市)

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- 東濃
- 地元の役者たちによって演じられる「地歌舞伎」。大歌舞伎では見られなくなった演目や特有の振付が見物!受け継がれてきた伝統芸能の粋をお見逃しなく!
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- 醫王山 飛騨国分寺

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- 飛騨
- 「国分寺」は、奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇が発した「国分寺建立の詔(みことのり)」によって建立されました。地震、飢饉、疫病(天然痘)が流行した不安定な社会の中、仏教によって平和と幸福を願うため、一国に一寺ずつ配置されたものです。飛騨国分寺…
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- 北天満山・小西行長陣跡

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- 西濃
- 小西行長は約6000名の兵を率いて西軍につき、北国街道と東山道(中山道)の間に位置する北天満山に布陣し、合戦開始とともに烽火をあげて味方に合戦の合図をしました。西軍諸隊が総崩れした後は揖斐川町方面へ敗走しましたが、その後自首し、京都で石田三成らとともに…
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- 垂井城跡

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- 西濃
- 垂井城主の平塚為広公は、大谷吉継の配下として関ケ原の合戦に西軍として参戦する。関ケ原の合戦 大谷吉継に代わって活躍するが、力尽きる「垂井の泉」と「大ケヤキ」が隣接してあります。専精寺に石碑はありますが、推定地であり城跡は確認されておいりません。
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- 土岐高山城跡

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- 東濃
- 鎌倉時代に高山伊賀守秀頼が築城したとされますが、詳細は不明です。戦国時代では、平井氏ー森氏の居城となり、関ケ原の合戦の際には西軍方の田丸直昌(岩村城主)の支城となっています。直昌は、東濃の戦い(関ケ原の合戦時に東濃地方で行われた一連の戦い)で妻木氏…
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- 伊久良河宮跡(いくらがわのみや)

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- 岐阜・中濃
- 全国神社の本宗である伊勢神宮は、皇位の御しるしの八咫(やた)の鏡をご神体とし、皇祖天照大神をお祀りしている皇大神宮(内宮)が信仰の中心となっています。垂仁天皇の時代、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)は、天照大神をお祀りするのに最もふさわしい地を求め…
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- 安国寺

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- 飛騨
- 国府町西門前にある太平山安国寺は、臨済宗妙心寺派の古刹で、本尊は釈迦牟尼仏、脇侍を文殊菩薩、普賢菩薩とする三尊仏です。室町幕府を築いた足利尊氏・直義兄弟が、夢窓国師の勧めで国土の安寧を計るため、貞和元(1345)年に光厳上皇の院宣により、国ごとに安国寺と…
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- 福島正則陣跡

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- 西濃
- 福島正則は秀吉子飼いの大名でありながら 、石田三成と対立して東軍へ加担し、関ケ原合戦の開戦後、宇喜多隊に襲いかかり死闘を繰り広げました。現在、陣跡が残る春日神社境内には、関ケ原合戦屏風にも描かれた樹齢800年の「月見の宮・大杉」が、どっしりとそびえ…
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- 中山道 伏見宿

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- 岐阜・中濃
- 伏見宿は元禄7年(1694年)土田宿の廃止に伴い整備された新宿です。木曽川の水運を利用した新村湊に近く、多くの物資の行交いとともに賑わいを見せていました。中山道ゆったり伏見宿は、宿内にある旧伏見郵便局舎を活用した観光案内所です。休憩所としても利用され、…
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- 中山道明治天皇大井行在所

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- 東濃
- 中山道大井宿の旅籠であった伊藤家は、明治13年の明治天皇巡行の際にご宿泊所となり、現在でも当時の座敷、風呂場、便所がそのままの姿で保存されています。同時に、江戸時代から明治初期にかけての町家の姿をよく残しており、建築史的にも貴重なものです。行在所横…
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- 岐阜信長神社(建勲神社)

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- 岐阜・中濃
- 樫森神社の境内に織田信長公を主祭神とする『建勲神社』があります。明治時代に京都の建勲神社から分霊されました。通称、岐阜信長神社。樫森神社では、毎月最終金曜日に金の御朱印がいただけます。尚、伊奈波神社(父)・金神社(母)・橿森神社(子)は親子関係にあ…
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- 伊自良湖・甘南美寺

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- 岐阜・中濃
- 伊自良湖は、周囲約2.4キロメートルの人造湖。四季折々の美しさをもち、中でも紅葉の季節は格別。ボートの上からも紅葉を堪能できます。また、水面に映える紅葉も風情があります。伊自良湖のすぐ近くにある、甘南美寺の紅葉もおすすめです。堂々たる本堂は、近代和風…
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- 奥の細道むすびの地(住吉燈台・船町港)

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- 西濃
- 芭蕉も舟で下った水門川は、大垣と桑名を結ぶ輸送経路として、明治時代に入っても物資や人の流れが多くたいへん賑やかな港であったといわれ、昭和初期には年間約1万もの船が行き来していたといわれています。松尾芭蕉は、古歌や故事で知られた名所・旧跡の地を訪ねて…
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- 赤坂宿本陣跡・本陣公園

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- 西濃
- 江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は、およそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものでした。文久元年10月25日、皇女和宮がここに泊したことは有名です 。(皇女和宮ゆかりの地)
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- 大正村資料館

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- 東濃
- 大正村資料館町のシンボル「銀行蔵」と南隣りの「大正の館」を含む一郭がその中心です。館内は、明治から大正時代の教科書や蓄音機などが展示されております。なお、館内には地元名産品などを取り扱う売店もありお土産なども購入できます。銀行蔵木造百畳敷き4階建て…
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- 長宗我部盛親陣跡

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- 西濃
- 長宗我部元親の四男、父の死後、地家督を継ぐ。当初、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に属することとなる。南宮山に陣を敷いたが毛利軍が動かず、戦わずして引き上げた。西軍主力の一角として、南宮山に布陣した。
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- 円徳寺

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- 岐阜・中濃
- 円徳寺は、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。天文16年(1547年)、織田信秀公(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三公に大敗し約5000人の戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築…
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- 中山道 細久手宿

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- 東濃
- 細久手(ほそくて)宿は江戸から48番目の宿で、大湫(おおくて)宿と同じく歌川広重の「木曽街道六十九次」に描かれています。東隣の大湫宿と西隣の御嶽宿の間が4里半と長く、旅人が難渋したために仮宿を設けたのがはじまりです。宿場内には尾州家定本陣であり今でも料…
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