岐阜の
スポット・体験を探す
- 現在の検索条件
- 歴史を知る
- 国史跡 美濃国府跡
-
- 西濃
- 大化改新(645年)によって、全国に国府がつくられ美濃国では府中地区一帯にあったといわれています。7世紀の終わりから8世紀初めにかけて、大和朝廷は律令政治の完成をめざしていました。全国を国と郡に分け。それぞれに国府(こくふ)、郡衙(ぐんが)などの役所…
- more
- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>
-
- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、叔父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚(薩摩塚)と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり…
- more
- 旧川上家別邸 萬松園
-
- 岐阜・中濃
- 日本最初の女優として知られる川上貞奴が、昭和8(1933)年に、自らの菩提寺「貞照寺」の門前、木曽川を一望する景勝地に建てた別荘。鉄瓦で葺かれた屋根や凝った内部装飾などがほぼ創建当初の姿で保存されており、貞奴の暮らしぶりを窺い知ることができます。
- more
- 小里城跡
-
- 東濃
- 土岐一族の支流である小里氏の居城で、岐阜県指定史跡。戦国時代末期には、小里光明らが織田信長の直臣として活躍しました。山頂部には小里城と安土城にしか見られない多角形の天守台があり「小里城は安土城を建てる前に試しに造られたのではないか」という興味深い説…
- more
- 久々利城跡
-
- 岐阜・中濃
- 久々利城は、美濃に勢力を誇った土岐氏の支流である久々利氏の居城と伝えられています。正確な築城年代は不明ですが、築城された時期の上限は14世紀半ばの南北朝時代まで遡ることができます。天正11年(1583)、美濃金山城主である森長可の手により落城しました。築城…
- more
- 龍護寺
-
- 東濃
- 明智光秀公供養塔 明知遠山家の菩提寺である龍護寺に、明智光秀公の供養塔があります。 光秀公に関する碑は、「その悲痛な思いで」ことごとく割れるといった通説どおり、斜めに大きくひび割れが入っています。 毎年5月3日には、光秀まつりとあわせて、明智光秀公…
- more
- 宝光院(ひだりめ不動)
-
- 西濃
- 伝教大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には徳川幕府から「御朱印地」として特別な保護を受けていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩である「節分会 はだか祭」が開催され、熱気あふれる祭りの舞台となります。祭礼に伴う櫓が建つ境内地は、伝統的な祭りの…
- more
- 可児市観光交流館
-
- 岐阜・中濃
- 山城めぐりの拠点施設及び観光案内所として、平成30年4月にリニューアルオープンしました。館内1階は、戦国時代の本陣をイメージした内装であり、陣幕や甲冑、槍や弓などが展示されています。展示の甲冑はすべて着ることができ、さらに、甲冑や忍装束を着て、美濃…
- more
- 中山道みたけ館
-
- 岐阜・中濃
- 中山道に関する資料を豊富にそろえた郷土館と図書館の複合施設。なかでも郷土館では、日本最古の象が闊歩した1800万年前から、中山道と宿場の隆盛、隠れキリシタンの歴史など…御嵩町の歴史と文化を感じてみてください。
- more
- 中山道と美濃路 垂井追分道標
-
- 西濃
- 宝永6(1709)年に建てられた追分の道標は、「中山道」と「美濃路」の大切な分岐点。中山道250余りの道標中、七番目に古いものです。☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路とし…
- more
- 旧小松屋吉田家住宅
-
- 岐阜・中濃
- 江戸時代に旅籠を営んでいた建物を、そのまま活用した太田宿のお休み処です。近世町屋建築の落ち着いた雰囲気の中で畳の上でおくつろぎください。美濃加茂市出身の文学者・坪内逍遥ほかの資料展示もあります。
- more
- 炉畑遺跡
-
- 岐阜・中濃
- 縄文時代中期から後期の集落遺跡で、発掘調査では10基の竪穴式住居跡と、多くの縄文土器、石器が発見されました。現在は、縄文時代の風景や生活スタイルを見学できる緑豊かな公園として整備されています。
- more
- 日和田高原石仏めぐり2023
-
- 飛騨
- 飛騨と木曽の中間地点である、高根町日和田。2つの地域が融合したような独特な文化を持つこの地には、たくさんの石仏、史跡があり、そのひとつひとつに歴史と物語が秘められています。木曽馬が多く行き交った旧鎌倉街道沿いを始めとして6つのエリアに点在し、約2時間…
- more
- 白川八幡神社 釈迦堂
-
- 飛騨
- 白川八幡神社境内の釈迦堂は、江戸時代初期の寛永4(1627)年に当時の領主、山下氏勝が建立。 氏勝が家康から名古屋城築城の命を受けた際に、諸国の彫刻家に彫らせた弥陀、釈迦、日輪、月輪の4体の像は、山下家のの氏神として崇敬庇護されたといわれています。
- more
- 土佐屋
-
- 東濃
- 土佐屋は、今から約260年前に染物業を営んでいた商家で、建物自体は平成8年より復元工事が行われ、平成11年4月に「工芸の館」土佐屋としてオープンしました。当時の藍染めの工程を学ぶことができる染工場や、土佐屋の歴史をおさめた土蔵の展示室、庭の天正疎水などは…
- more
- 承久の乱 大井戸の渡し跡・土田の渡し
-
- 岐阜・中濃
- 鎌倉時代 承久3年(1221年)6月5日、日本史上初の朝廷と武家の間で起きた武力による争い「承久の乱」の開戦地。激戦地となった大井戸の戦いです。この地では、朝廷側(大内惟信)2000騎と幕府側(武田信光・笠原長清ら)東山道軍50,000余軍に東海道軍100,000余軍が…
- more
- 曽根城跡
-
- 西濃
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じます。その後、東軍が赤坂に進出すると、松平康長・水野勝成らが入城し、大垣城…
- more
- 米野の戦い跡
-
- 岐阜・中濃
- 慶長5年(1600年)、池田輝政を中心とした東軍1万8千に対し、西軍3千のみの布陣。河田木曽川渡河の戦いの後、東軍は木曽川を渡り米野に上陸し西軍と激突しました。 戦いは、東軍大勝利に終わりました。これを米野の戦いといいます。 池田勢の一番槍の手柄を…
- more
- 織部展示館
-
- 岐阜・中濃
- 美濃国山口・現在の本巣市山口に生まれた古田織部は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武人。茶の世界に興味を持つようになったのは、信長の美意識や茶の湯を政治に利用する姿を目にし、茶の湯の持つ力の大きさを痛感したからといわれている。千利休の愛弟子とな…
- more
- 杭瀬川古戦場
-
- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
- more