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- 長松城跡

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- 西濃
- 大垣市荒崎小学校付近が、竹中半兵衛の同族 竹中一族ゆかりの城「長松城」の跡と考えられており「長松城址」の標石が立てられています。ここは同城堀のうちの一部であり、古城図を見ると旧長松村の集落全体が、城郭の形を成しています。その城郭を囲むように曲がり角…
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- 竹ヶ鼻城跡

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- 岐阜・中濃
- 羽島市歴史民俗資料館(竹鼻別院前)の敷地内に竹ヶ鼻城跡の石標は立っています。応仁年間に武腰伊豆守が竹ヶ鼻城を築城したと云われています。その後、不破源六広綱が城主時代に、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による「水攻め」があったことで知られてます。竹ヶ鼻城跡の…
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- 宝光院(ひだりめ不動)

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- 西濃
- 伝教大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には徳川幕府から「御朱印地」として特別な保護を受けていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩である「節分会 はだか祭」が開催され、熱気あふれる祭りの舞台となります。祭礼に伴う櫓が建つ境内地は、伝統的な祭りの…
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- 菊姫の墓(中津川市史跡「五輪塔」)

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- 東濃
- 比丘(びく)尼(に)寺と呼ばれるこの地には、かつて木曽義仲の妹・菊姫が亡き兄を弔うために創建した寺、法明寺があったと考えられ、菊姫の墓もこれら五輪塔の中にあるとされる。鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻(あづま)鏡(かがみ)』によれば、源頼朝の妻政子と菊姫は猶…
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- 旧太田宿本陣門

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- 岐阜・中濃
- 文久元(1861)年、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍徳川家茂に嫁ぐために下向した際に新築された門です。この門は、一間の薬医門で両袖に半間の塀がつき、旧本陣の偉容を偲ばせる格式のあるつくりです。
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- 落合砦(千畳敷公園)

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- 東濃
- 明知城(白鷹城)が宝治元年(1247年)に築城される前から、西南の方角に当たる千畳敷台地に落合砦が築かれたと伝えられ、「土岐明智城」「多羅砦」と呼ばれています。現在は千畳敷公園として整備されており、出丸からの見晴らしがよく、三河(北条、今川、松平、三宅)…
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- 小原城址

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- 岐阜・中濃
- 小原集落の中央部にある白山神社の奥山一帯に城の遺構が残っています。城の規模は小規模で、小倉の姓を名乗る一族が城主であったと伝えられています。普段は神社西側の小倉屋敷(跡)で生活をし、有事のときのみ城を利用していた言われています。現在でも曲輪、堅堀、…
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- 鶴ヶ城跡

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- 東濃
- 明智光秀を輩出した土岐一族によって築城されたと伝わり、岐阜県指定史跡にも登録されています。天正10年(1582年)、織田勢の甲斐への侵攻(武田征伐)の際に信長とともに明智光秀も鶴ヶ城に立ち寄ったといわれています。鶴ヶ城は、武田氏に対する織田方の中心的な砦でし…
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- 堂之上遺跡

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- 飛騨
- 縄文時代前期から中期の集落跡を整備復元し、公開しています。隣接する歴史民俗資料館では、遺跡の調査記録や出土品のほか、久々野町に残る考古資料や民具などが展示されています。
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- 曽根城跡

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- 西濃
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じます。その後、東軍が赤坂に進出すると、松平康長・水野勝成らが入城し、大垣城…
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- 炉畑遺跡

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- 岐阜・中濃
- 縄文時代中期から後期の集落遺跡で、発掘調査では10基の竪穴式住居跡と、多くの縄文土器、石器が発見されました。現在は、縄文時代の風景や生活スタイルを見学できる緑豊かな公園として整備されています。
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- 白拍子谷 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 烏頭坂で重傷を負った島津豊久公を、家臣・川口運右衛門の意を受けた三輪内助入道一斉がこの地に案内したが、豊久公は自刃して果てた。白拍子谷は、伊勢街道(伊勢西街道)を入った名及集落の南を流れる堂木川の対岸にあり、小さな標柱が立つのみで、辺り一帯はひっそ…
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- 飯羽間城跡

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- 東濃
- 岩村氏から分出した遠山一族の遠山飯羽間(飯間)氏が本拠した城の跡地。岩村城の支城(岩村城を守るために造られた小さな城)であり、苗木城・明知城とお互いに連携を取りつつ、本城の外郭防衛線を形成していたといわれています。中でも飯羽間城は岩村本城に最も近距…
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- 美並ふるさと館

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- 岐阜・中濃
- 円空の初期から晩年の作品約90体を展示し、円空上人の生涯をパネル等で展示しています。施設内では、生活資料館として美並町の昔の生活や風習を再現したもので、すべて手作りで作られています。
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- 卜全塚(氏家卜全の墓)【海津市】

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- 西濃
- 氏家卜全は、戦国末期の大垣城主で織田信長に仕えており、当時西美濃三人衆といわれた実力者の一人でした。元亀元(1570)年、伊勢長島で勢力を誇っていた願証寺の門徒六万余は織田信長に反抗していた石山本願寺の寺に応じ尾張に攻め込んで織田信興(信長の弟)を…
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- 野原城趾

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- 岐阜・中濃
- 天正元年(1573年)東濃制覇をめざす苗木遠山氏に攻められ陥落した城の跡。ここからの眺めは一見の価値があります。鉄道ファンにはたまらない撮影スポット。四季折々の景色をバックに、川沿いを走る車両は絶好の被写体になるはずです。
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- 謡坂一里塚

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- 岐阜・中濃
- 御嵩町域にはかつて3ヵ所に一里塚がありましたが、現存するものはありません。謡坂一里塚は、明治41年に二円五十銭で払い下げを受け、取り壊されました。現在の一里塚は、昭和48年に地元有志の手によって復元されたものです。
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- 勝川家

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- 東濃
- 「江戸城下町の館 勝川家」は、平成15年8月にオープンしました。勝川家は屋号を「松屋」といい、江戸末期から台頭した商家です。江戸後期の建物で、木造2階建て2軒の建物からなっている古い家です。室内は、書院・茶室・使用人部屋などがあり、往時の暮らし向き…
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- 奥平貞治の墓

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- 西濃
- JR関ヶ原駅から北西へ約4km弱の場所に「奥平貞治の墓」があります。関ケ原の戦いで貞治は家康の意を受けて、西軍の裏切りを約束していた小早川秀秋隊の監視をしていました。秀秋の裏切りの後には軍の先頭に立って松尾山を攻め降り、大谷勢と奮戦し、玉村あたりで討ち…
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- 無動寺の戦い跡 光得寺 梵鐘

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- 岐阜・中濃
- 天文13年(1544年)8月、斉藤道三と尾張(現愛知県)の織田信秀(織田信長)の父との戦いの地。織田勢5000余人は、越前の朝倉勢7000余人と相呼応して、8月15日を期して稲葉山を挾撃します。斉藤道三の娘婿である土岐頼香(よりたか)を大将にして、無動寺村の安養山光…
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