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- 長寿院盛淳の墓・琳光寺

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- 西濃
- 島津義弘公の家老・長寿院盛淳は、島津豊久公に次いで捨て奸(すてがまり)を行い、義弘公から賜った陣羽織を身につけ、「我こそは義弘也」と名乗り、主君の身代わりとなって討ち死にしました。琳光寺には、盛淳公を悼んで宝暦治水の薩摩藩士が刻んだ五輪塔と、子孫が…
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- せきがはら史跡ガイド

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- 西濃
- 「せきがはら史跡ガイド」は、関ケ原町の史跡講座を2年間受講したメンバーで構成されています。希望の時間(9:30~16:30の間で自由設定) やコースに合わせて関ケ原の名所古跡を案内してくれるので、旅のプランに組み込みやすいです。また、初めて関ケ原を訪れた方…
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- 脇坂安治陣跡

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- 西濃
- 関ケ原の南方、現在の名神高速道路と黒血川との間、松尾山のふもとに「脇坂安治陣跡」はあります。脇坂安治は朽木元綱・小川祐忠・赤座直保とともに西軍として布陣しましたが、小早川秀秋隊が寝返ると4隊とも大谷隊へ攻撃をしかけ、最終的には東軍を勝利に導きました…
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- 連理の榊

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- 西濃
- 国の天然記念物指定を受けたサカキで、推定樹齢300~400年の大木。根本は二幹に分かれていますが、枝が絡み合って一体になっていることから、連理の榊とわれています。関ヶ原合戦時には西軍の長宗我部盛親がこの辺りに陣を張りました。
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- 名木林神社

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- 西濃
- 祭神は、天照大神。美濃神名帳に記録にある古い神社で天徳年間(957年)「ナキハヤ」と呼ばれていた模様。
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- 法雲寺 (法雲禅寺)

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- 西濃
- 美濃国最後の守護、土岐頼芸は岐礼郷の東春庵で生涯を終えました。墓が法雲寺門前にあります。
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- 一呑の清水

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- 岐阜・中濃
- 東濃
- 街道を旅する人々の喉を潤した清水です。岐阜県の名水50選にもなっており、皇女和宮が降嫁される際に好んで飲んだといわれています。水飲み場が人間用、馬牛用と2つに分かれており、当時荷を引くための馬や牛がいかに重宝されていたかがうかがえます。
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- 雲龍寺

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- 飛騨
- もとは720年に創建された妙観寺(みょうかんじ)という寺院でしたが衰退し、1395年頃、曹洞宗雲龍寺として再建されました。本能寺の変で戦死した飛騨国主 金森長近(かなもりながちか)の長男 長則(ながのり)の菩提寺であり、1590年頃に長近が建物を修営したと伝わ…
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- 聖蓮寺の八房梅

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- 西濃
- 関ケ原町今須地区の平井集落に所在する「八幡山 聖蓮寺(しょうれんじ)」には、町・県指定天然記念物の「八房梅(やつふさうめ)」と呼ばれる梅の木があります。これは鎌倉時代、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が関東から京都へ帰る際、この寺に立ち寄り、食事のもて…
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- 美濃路 墨俣宿脇本陣

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- 西濃
- 美濃路墨俣宿にあった脇本陣跡に建つ民家です。脇本陣は明治24年(1891年)の濃尾震災の際に倒壊し、現在は隣接する本正寺に山門が残るのみです。その後、再建されたこの建物は、脇本陣時代の構造を色濃く残しており、当時の宿場町の面影を偲ぶことができます。週末には…
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- 福束城跡 福満寺

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- 西濃
- かつて舟運の拠点だった城跡、福満寺は、寛正元年(1459)に僧盛道の開基の真宗大谷派の寺院で本尊は阿弥陀如来です。福満寺には、旧福束城を記録した「古版木」が残っています。版木の図柄は、中央に福満寺の本堂を画き、左に丸毛兵庫頭の墓、右に鎮守佐々木大神宮、…
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- 大須観音(真福寺)

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- 岐阜・中濃
- 寛元の頃(1240年代)に観音堂を建立。北野神社より分霊を受け北野山真福寺という大寺に発展しましたが、戦国時代に入ると次第に衰退の一途を辿ります。織田信長により一時再興されるも、慶長10年(1605年)の木曽川の大洪水で堂塔は全て流失しました。元和元年(1615…
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- 和泉式部廟所

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- 岐阜・中濃
- 東濃
- 情熱の歌人とたたえられた平安時代の女流歌人和泉式部は、旅する途中この地で病に倒れ、現在の鬼岩温泉で湯治したものの亡くなってしまったと伝えられています。石碑には「ひとりさえ渡れば沈むうき橋にあとなる人はしばしとどまれ」と記されています。
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- 仲深山砦

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- 東濃
- 明知城の南、万ヶ洞を隔てた尾根の先端に立地し、東西二つの曲輪群からなる。東側の曲輪は、背後(東端)を二重堀切で画し、北側には帯曲輪が巡る。その東端は横堀状になり 3 本の竪堀を設けている。堀切を隔てた西側の曲輪は、周囲に帯曲輪を巡らせ、さらに 1 段低い…
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- 妻木城士屋敷跡

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- 東濃
- 妻木城のある通称城山の北側の山麓には、御殿と呼ばれる領主の館と家臣の武家屋敷が築かれ、万治元年(1658年)の妻木家断絶まで陣屋として存続しました。屋敷敷地を区切っていた石垣や石段、井戸などが現在も残されており、山麓の御殿跡および武家屋敷は「妻木城士屋敷…
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- 美濃路 墨俣宿本陣跡

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- 西濃
- この墨俣宿本陣跡には、本陣の由来を示す石碑と渡船場常夜燈があるだけです。慶長5年、伊達政宗が宿泊したこともあり「伊達様御本陣」とも言われていました。本陣は、代々澤井家が務めていました。
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- 乱闘橋の戦い跡 乱闘橋供養塔

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- 岐阜・中濃
- 慶長5年(1600年)8月、西軍・織田秀信(織田信長の嫡孫・三法師)と東軍・池田輝政が戦い、橋は乱闘橋と呼ばれるようになりました。現在、このあたりにあった乱闘橋はありませんが乱闘橋供養塔があります。乱闘橋があった境川は、1185年の大洪水で流れが変わる前は木…
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- 島津塚 <島津の退き口ゆかりの地>

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- 西濃
- 関ケ原の合戦の撤退戦「島津の退き口」で殿軍を務め、伯父 島津義弘の身代わりとなりこの地で討死した島津豊久公の墓所です。瑠璃光禅寺西の森(カンリンヤブ)の中に、島津塚と呼ばれる島津豊久公の五輪塔が祀られています。上多良公民館の向かい側にあり、目印にな…
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- 加納家

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- 東濃
- 恵那市指定文化財の岩村藩鉄砲鍛冶加納家。鉄砲鍛冶道具などの展示がされています。初代包房(かねふさ)から5代睦久(ちかひさ)まで続いた鉄砲鍛冶の家。鍛冶は、初代から3代竹治まで行っていました。包房が、1831(天保2)年ごろから当時の6代岩村藩主松平乗保の命…
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- 大塚権太夫の塚

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- 岐阜・中濃
- この塚には、米野の戦いで討死した東軍の武将「一柳直盛」老臣「大塚権太夫」が葬られていると伝わっています。この戦いは、木曽川を渡河する東軍「池田輝政」ら兵約18000と米野付近に布陣した西軍の岐阜城主「織田秀信」の兵約3200によって関ケ原の合戦の前哨戦とし…
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