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- 美濃路の松並木

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- 西濃
- 垂井宿~大垣宿~墨俣宿~起宿~萩原宿~稲葉宿~清須宿~名古屋宿~宮宿と続く脇街道「美濃路」の起点。「中山道」と「東海道」を結ぶ、五街道に次ぐ重要な脇街道。☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。 &nb…
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- 崇禅寺

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- 東濃
- 崇禅寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、1354年(文和3年)に、初代妻木城主とされる土岐頼重が、果山禅師を開山として創建しました。妻木城主代々の位牌や墓所があります。岐阜県や土岐市指定の文化財が多数保存されています。
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- 源平の古戦場 尾張川古戦場

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- 岐阜・中濃
- 平安時代末期の墨俣川合戦の第2戦場。昔からこのあたりの古池には蛙合戦の伝説があります。養和元年(1181年)3月10日、源氏は源行家(頼朝の叔父)、源義円(頼朝の異母弟)を将として墨俣川の東岸に陣を取り、平家は平重衡(清盛の5男)、維盛(清盛の嫡孫)を将と…
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- 無動寺の戦い跡 光得寺 梵鐘

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- 岐阜・中濃
- 天文13年(1544年)8月、斉藤道三と尾張(現愛知県)の織田信秀(織田信長)の父との戦いの地。織田勢5000余人は、越前の朝倉勢7000余人と相呼応して、8月15日を期して稲葉山を挾撃します。斉藤道三の娘婿である土岐頼香(よりたか)を大将にして、無動寺村の安養山光…
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- 中山道 ひし屋資料館

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- 東濃
- 中山道大井宿の有力な商家であったひし屋古山家住宅を改修・復元した施設です。古山家は享保年間(1716~1735年)から幕末まで約150年間もの間、大井村の村役人や庄屋を務めていた旧家で、穀物・小間物・反物・塩の販売と酒造りで財を成しました。 この「ひし屋」は平成…
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- すわがね(鶴岡山)

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- 東濃
- 「すわがね」は、鶴岡山の山頂732メートルに位置し、かつて織田信長軍の諏訪ヶ峯陣城があった場所です。空気が澄んだ日には、山頂から愛知県吉良の海が見えることから、明智町吉良見地区の語源にもなっています。近年は人が近寄らず荒れ果ててしまっていましたが、地…
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- 落合砦(千畳敷公園)

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- 東濃
- 明知城が宝治元年(1247年)に築城されたころ、この千畳敷台地に落合砦を築いたと伝えられています。伝承によれば、明智光秀公はこの砦で生まれ、産湯として使ったとされる井戸が残されています。
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- 垂井一里塚・茶所

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- 西濃
- 垂井一里塚・・・徳川家康は、街道整備のため慶長九(1604)年に主要街道に一里塚の設置を命じた。国の史跡に指定された一里塚は、中山道では垂井一里塚と東京都板橋区志村の一里塚の2ケ所だけ、交通史上重要な遺跡となっている。日守の茶所・・・江戸末期、岩手の美…
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- 行徳岩 (武儀川)

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- 岐阜・中濃
- 「明智光秀公の母」が懐妊していた時、この岩に立って行水し、「私の生む子が男であったら、仮令三日でもよいから天下を取るような立派な男子を、もし女であったら天下一の美女を御さづけ下さい」と祈ったと伝えられています。
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- 土岐頼貞の墓

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- 東濃
- 南北朝時代に美濃国守護となった土岐頼貞とその一族の墓です。この辺りは、江戸時代には中島村と呼ばれ興禅寺(光善寺)跡とも言われています。墓所は道路によって東西に分断され、東側は五輪塔10基、西側には五輪塔5基と宝篋印塔4基があります。頼貞の墓には「暦二年…
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- 一日市場八幡神社

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- 東濃
- 土岐一族の始祖、源光衡が本拠となる館を構えた場所とされています。八幡神社の境内には、土岐一族であったとされる明智光秀の像が建てられています。
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- 北天満山・小西行長陣跡

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- 西濃
- 小西行長は約6000名の兵を率いて西軍につき、北国街道と東山道(中山道)の間に位置する北天満山に布陣し、合戦開始とともに烽火をあげて味方に合戦の合図をしました。西軍諸隊が総崩れした後は揖斐川町方面へ敗走しましたが、その後自首し、京都で石田三成らとともに…
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- 美濃路 墨俣宿本陣跡

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- 西濃
- この墨俣宿本陣跡には、本陣の由来を示す石碑と渡船場常夜燈があるだけです。慶長5年、伊達政宗が宿泊したこともあり「伊達様御本陣」とも言われていました。本陣は、代々澤井家が務めていました。
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- 大塚権太夫の塚

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- 岐阜・中濃
- この塚には、米野の戦いで討死した東軍の武将「一柳直盛」老臣「大塚権太夫」が葬られていると伝わっています。この戦いは、木曽川を渡河する東軍「池田輝政」ら兵約18000と米野付近に布陣した西軍の岐阜城主「織田秀信」の兵約3200によって関ケ原の合戦の前哨戦とし…
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- 美濃路 大浦(三ツ屋)の道標

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- 岐阜・中濃
- 「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路としてこの路を通ったことから、「吉例(きちれい)街道」とも呼ばれ交通量も多く重要な脇街道です。
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- 恵日山遺跡(海老山遺跡)

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- 岐阜・中濃
- 約1万千年前の先土器時代を中心とした恵日山遺跡は岐阜県のみ成らず全国の旧石器時代の先駆けの遺跡、旧石器時代のナイフ型石器や細石器(さいせっき)。有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)などが多く見つかった。後に信長が堂洞城を攻める時に本陣を置いたと言われて…
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- 十七条城跡(船木城跡)

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- 岐阜・中濃
- 十七条城は、南北朝時代の初め、船木頼胤が築いた城です。享禄年間(1530年頃)より林氏の居城となりました。 お福(のちの春日局)の夫となる林正成はこの城で生まれました。成人後、稲葉重通(一鉄の子)の養子となり、稲葉正成と改姓し、小早川秀秋の家老…
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- 上恵土城址

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- 岐阜・中濃
- 戦国時代の15世紀末頃に荏土城と呼ばれていた平城で、後に上恵土城と称されるようになりました。築城年代は定かではありませんが、天正10年(1582)頃の城主長谷川五郎右衛門は大森城主奥村又八郎と謀って、金山城主森長可を攻め滅ぼそうとしますが、逆にその謀議の報…
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- 東山遊歩道

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- 飛騨
- 飛騨高山の象徴である「古い町並」の喧騒を離れ、江名子川のせせらぎを背に東へ少し歩を進めると、そこには飛騨高山の礎を築いた戦国武将・金森長近公が、京都の東山になぞらえて築き上げた「東山寺町」があります。ここは隠れた散策スポットとなっており、この遊歩道…
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- 東山白山神社

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- 飛騨
- 養老2年(718年)現安川通りに鎮座され、高山郷最古の氏神様として尊崇されましたが、天正14年(1585年)飛騨を領国した金森氏が城下町を経営するにあたり現在地に奉還されました。例祭には祭屋台と八角神輿が曳きだされます。神楽台毎年5月5日の例祭に引き出される祭…
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